1978年5月15日生まれ。ロシア・モスクワ出身、アルジェリア育ち。アルジェリア内戦時に、家族と共にフランスへ移住し、大学でジャーナリズムを専攻。その後、パリにあるフランス国立映像音響芸術学院の夏季映画監督プログラムに参加する。初監督を務めた短編映画『EDWIGE』(11)では、サン=ジャン=ド=リュズ国際映画祭のCiné+賞とユニフランス短編映画賞に輝き、ドバイ国際映画祭などいくつかの映画祭で上映。長編第1作目となる『パピチャ 未来へのランウェイ』は、第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門に正式出品された。
『パピチャ 未来へのランウェイ』ムニア・メドゥール監督インタビュー
本国では上映中止の問題作!注目の女性監督が描いた戦い
抵抗しながらも、素晴らしい旅路を歩む若い女性の物語を伝えたかった
女性監督の活躍が目覚ましい昨今、女性ならではの視点から描いた作品も増えてる。そんななか、注目を集めているのが、アルジェリアで育ったムニア・メドゥール監督の長編デビュー作『パピチャ 未来へのランウェイ』。第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門にも正式出品され、高い評価を得ている。
主人公となるのは、1990年代のアルジェリアでファッションデザイナーになることを夢見る女子大生のネジュマ。テロが頻発する首都のアルジェで、ムスリムの女性が頭や身体を覆う布「ヒジャブ」の着用を拒否していたネジュマがある悲劇的な出来事をきっかけに、自分たちの自由と未来のために戦う姿が描かれている。本国では上映中止とされている本作だが、作品に込めた思いや背景についてメドゥール監督に語ってもらった。
監督:私はアルジェリアの学校に通って育ち、1年間は本作の舞台にとても似ている大学でジャーナリズムを専攻していました。その後、1997年の終わりに、私の家族は国を離れることを決断。私は18歳でした。当時、「暗黒の10年」の真っ只中で、知識人たちはこの動乱の第一線で闘っていたので、映画監督であった私の父も殺すと脅迫されていたのです。
私たちが向かったのは、フランスのセーヌ=サン=ドニ県パンタン市でしたが、政府はすでに多くのアルジェリア人芸術家や知識人を受け入れていたので、私たち家族も受け入れてもらうことに。フランスでは、大学で情報とコミュニケーションを専攻し、後にドキュメンタリー映画制作に専攻を変えました。幸運にも、フランス国立映像音響芸術学院の実習生になることができ、フランスアルジェリア研究所からも奨学金をもらうことができました。そして私はドキュメンタリー映画を制作しながら、最初の短編フィクション映画、『EDWIGE(原題)』を作り、のちに、本作が誕生したのです。
監督:部分的にはそうなりますね。主人公の少女たちが大学構内で体験することはすべて、90年代に現地の女子学生たちが日常生活で体験していたことそのまま。もちろん私も例外ではありません。イスラーム原理主義勢力が台頭する中で、私たちは生活のあらゆる場面で抑圧されていました。でも、大学構内でのテロ襲撃事件は、フィクションです。そしてネジュマが見せるファッションへの情熱は、象徴を表しています。当時の原理主義者たちは、女性の体に覆いをかけようとしていたので、美しい体を見せるファッションは、私にとっては黒いヴェールに対する抵抗なのです。
私は普段、観客として映画を見るときに、登場人物の足取りや冒険を辿りながら彼らに感情移入することをとても楽しみにしています。なぜなら、様々な障壁や悲劇に立ち向かい、人として成長する姿が好きだからです。そういったこともあって、本作の脚本はネジュマを中心にして組み立てていきました。原理主義に抵抗しながら素晴らしい旅路を歩んでいく若い女性の物語を伝えたかったのです。その道中で彼女は多くの危険に遭遇しますが、彼女の機知や友人たちとの支え合いや友情、愛、そして葛藤に溢れるアルジェリア社会の様々な側面を描いています。その意味で、劇中の大学は、社会の縮図と言えるのです。
監督:今回のテーマについて考え始めたとき、この作品に身を投じるには少し時間が必要だと感じました。なぜなら、主題について様々な視点から考えたかったし、舞台となっている時代を哀悼する必要もあると思ったからです。さらに、脚本執筆、ステージング、そして演出の腕なども磨きながら、自分自身の武器を作り上げなければいけませんでした。フィクションにしたのは取り掛かり始めてからです。脚本は、まるで口述を書き取っているかのように、短い時間で直感的に駆り立てられるように書き進めました。できるだけ詳細かつ忠実に、思い出と当時の音楽を描きたいと思っていましたし、物語の構成には気を配りました。
暴力的な描写の度合いはどれくらいにするかを話し合い、数年に渡って起こったことをわずか数週間の時間軸に詰め込むことに。この映画では、グラデーションを使って表現しているところがありますが、大学の外と構内にあるポスターから構内の食堂まで、明暗が少しずつ変化していきます。女子学生たちの部屋に入ってくるヴェールを被った女性たちもグラデーションの一部ですが、当時、見回りをするヒジャブを被った女性たちが定期的に授業に乱入し中断させていたことは、紛れもない事実です。
監督:彼女の家族は労働者階級ですが、女子学生の多くは、大学構内に住めるように一生懸命働きます。それは勉強のためでもありますが、父親と兄に代表される家族のもとを離れて、束の間の自由を体験するため。それほど大学の寮は、自由を感じられる場所なのです。ネジュマは闘志に溢れていて、祖国に留まりたいと考えていますが、私も彼女と同じ気持ちでした。若い時は国外にどんなチャンスがあるか知らず、国を出たいとは思いません。私にとって祖国を離れることは辛いことでしたが、突然起こった動乱によって、瞬く間に慣れ親しんだ故郷を離れざるをえなくなったのです。
監督:その通りですね。まるで目隠しをしているようだと思います。同じような困難を体験する国でも、人々は職場や仕事のために外に出続け、楽しむことも忘れません。どんな危機的な状況の中でも人生は続くのです。ネジュマは、姉のリンダを亡くしたことで、生きようとする強い本能が怒りに変わり、その結果、ファッションショーを行います。ネジュマは宗教に反対しているわけではありません。ただ、宗教の名の下に行われる虐待に抵抗しているのです。彼女にとって服のデザインは、一種の追悼であり、積極的な行動です。
彼女は最後に向かった姉の墓前で初めて喪に服しますが、そこで涙を流すことで、姉の死を受け入れ、初めて姉に別れを告げることに。そうすることで、ネジュマは初めて心の平安を得るのです。姉リンダのキャラクターは、狂気的な殺戮が国中で巻き起こる直前に第一の標的にされた何百人というジャーナリストたちや知識人たちに対する敬意の象徴。毎日が死の連続でした。私たちの周囲でも多くの人が亡くなりましたが、その中には家族も、友人も、それ以外の愛する人たちも含まれています。
監督:ネジュマの親友であるワシラは、ネジュマより感傷的。愛を信じているので、叶わない恋のとりこにさえなるでしょう。カヒナはカナダへ行くことを夢見ていますが、それは当時十代の若者すべてのアイドルといえばロック・ヴォイジーンだったから。女の子なら誰でも、遠くに行きたいと思っていましたよ。そして、仲間の中で最も敬虔なのがサミラですが、彼女がファッションショー実現のカギ。彼女はいつも諦めてはいけないとネジュマを励まし、最終的には一緒に解放の時を迎えます。私たちにとって寮は、自由を満喫できる場所。勉強もできましたが、ダンスをしたり、音楽を聴いたりすることもできました。当時は楽しい思い出ばかりなのです。
監督:私にとっては本作をアルジェリアで撮影することは、自然なことであり、根源的なことでもありました。私が育った町ですから。ティパザにある大学の構内には、フェルナン・プイヨンが建てた観光客用の複合ビルがあって、そこで撮影をしましたが、建物のあちこちが改装の最中だったので、撮影セットデザイナーと一緒に食堂や寮を撮影用に装飾することができました。加えて、1人の少年がネジュマの後をつけてナンパする場面は、アルジェリアの旧市街カスバでも撮影しています。彼のような人をアルジェリアでは「ヒッティスト」と呼びますが、これはアラビア語で「壁」を意味しており、街中の壁に寄りかかって過ごす人たちのことをこう呼ぶのです。
アルジェリアで撮影することで、ドキュメンタリーのような真実味を出すことができました。例えば、バスが到着する時に、車掌さんはある特定の仕草をしますが、機敏に動く指と黒ずんだ手の間で硬貨をチャリンと鳴らすのです。バスのシーンは、彼を中心にイメージしました。私は現実とフィクションを混ぜ合わせるのが好きなのです。また、アルジェリア人の典型的な喋り方も捉えたいと思いました。それはとても活気があって、想像的で、時にとても滑稽でもあるのです。
監督:フランス語の単語を「アラブ化」して、ひたすら慣用句を混ぜるもので、「フランサラブ語」と呼ばれています。この映画にそのリズムと豊かさを加えたいと思いました。なぜなら、それそのものがアルジェリアの姿で、アルジェリア特有のものだからです。私はこの映画の中心に、自分が知る愛する町を置きたかった。その町のゆったりとした生活リズムをそこで刻みたかったのです。その流れで、「愉快で、魅力的で、常識にとらわれない自由な若い女性」を意味するアルジェリア語の「PAPICHA」をタイトルにつけました。
二度と過ちを繰り返さないため、話題にし続けることが不可欠
監督:もちろん、アルジェリアは、「暗黒の10年」の間に受けた傷を忘れてはいませんが、それと同時に、20年経った今でも、このドラマを記憶から消そうとは思っていません。様々な人たちとこの映画の撮影について話した時、それが制作スタッフであれ、街中にいる人々であれ、この物語を発信することがとても重要であると考えていると感じました。二度とこの過ちを繰り返さないため、残虐行為を起こさないためには、話題にし続けることが不可欠なのです。現在のアルジェリア国民が不満に感じていることは、政府が経済や社会状況をうまく統制できていないから。
だから人々は群れをなして街にくり出し、変革を求めているのです。15万人もの命を失い、私たちは歴史から教訓を得ました。国民が不満に思っているのは、宗教のことではありません。人々は、ただ単により良い生活を求めているだけなのです。
監督:撮影監督と一緒にたくさんの準備を行いました。目指していたのは、詩的で本能的で、自然に没入できる映画です。お互いに忙しい身ですから、何を撮影したいのかを明確に定義付けなければなりませんでした。その結果、「不安定な状況の中での生きる本能」という定義にたどり着きました。ネジュマの視点から物事を捉え、彼女の目を通して他のキャラクターを知るためには、彼女の近いところにカメラを置いて、彼女の動きをことごとく捉えなければなりません。それは彼女が洋裁をしている時も、何かを探している時も、何かを見つける時も同じこと。さらにそこに素晴らしい編集が加わりました。主人公のネジュマは、希望を諦めながらも恐れに屈しないアルジェリアの若者を象徴しています。ですからその彼女の生命力を反映するような、鋭く、たくましい編集を希望しました。
監督:これは、経済的な理由です。決して裕福ではないこの若い女性が服のコレクションを制作するなら、一体何が使えるだろうかと考えました。アルジェリアの女性は「ハイク」を必ず一着は持っています。従来の衣服としての機能の他に、それはフランスの植民地政策に対するアルジェリア国民の抵抗運動の象徴の役割も果たしていました。当時の女性たちは、自分たちの衣服の中に戦闘用の武器を隠していたんです。ですから、それを使うことで、植民地主義やテロリズムに対して、女性も男性と肩を並べて抵抗したということを示すことができると思いました。そして、重要だったのは、その色。白は、アルジェリア人女性の清さと気品を象徴しています。ペルシャ湾岸諸国の女性たちが身につける「ニカブ」の暗さと見事な対比を成しているのです。
監督:私は準備段階を通じて、様々な資料を大量に集めました。有名なファッションデザイナーの視覚資料、アイデア、デザインなどで、再現しやすくて、ファッションデザインに関心を持つ学生でも手に入れることができるようなものです。それを出発点として、衣装デザイナーのカトリーヌ・コムが「ハイク」を使った独自のコレクションを作り出してくれました。
監督:最初の頃は、主人公は絶対にアルジェリア人でなければならないと主張していましたが、リナに初めて会った時、彼女の強さと儚さの虜になりました。とてもいいバランスだったので。そして、彼女の内側には無邪気さと熱意があると同時に、たくましさと真理に対する渇望があります。彼女と話す中で、彼女自身も私と同じようなことを体験したということを知りました。彼女の父親はジャーナリストで、1990年代に家族でアルジェリアを離れなければならなかったと。彼女も私と同じように、人生の全てを築き直さなければなりませんでした。ネジュマを彼女以上に理解できる俳優は他にいないと思います。リナとは意見交換をし、一緒に役作りに取り組み、リハーサルをして、細かい部分やセリフを極めていくことに。その作業は撮影現場でも続きましたが、場面の順序を変えて撮影しなくてはならなかったので、私たちは、様々な感情のレベルを作り出すことで、ネジュマの反応と感情を構築し、紐解きました。
(c)Faycal Bezzaoucha (C)XavierGens
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