『トゥルーノース』清水ハン栄治監督インタビュー

北朝鮮強制収容所の過酷さを告発する衝撃作

#3Dアニメーション#トゥルーノース#北朝鮮#清水ハン栄治

トゥルーノース

構想から完成までの10年を要した理由とは?

北朝鮮強制収容所の過酷な環境で生きていく家族とその仲間たちが成長していく姿を描いた長編3Dアニメーション映画『トゥルーノース』6月4日から全国公開される。

同作は、アニメーション映画の世界最高峰を選ぶ権威あるアヌシー国際アニメーション映画祭で「長編コントルシャン部門」にノミネートされ、第33回東京国際映画祭では「ワールド・フォーカス部門」、レインダンス映画祭では異例の2部門での招待作品となり、ワルシャワ国際映画祭では「フリースピリット部門」審査員特別賞、ナッシュビル映画祭では「長編部門 特別賞」に輝くなど世界中で話題となっている。

監督・脚本として同作を手掛けたのは、横浜生まれの在日コリアン4世の清水ハン栄治氏。同作は、北朝鮮国民だけでなく、主人公一家のような元在日コリアンや、拉致被害者だという日本人女性も出てくるショッキングなストーリーだ。

これらの構成は、収容所を体験した脱北者や元看守らの証言をもとに練り上げたもの。「もしかしたら、自分も(強制収容所に)収容されていたかもしれなかった」と語る清水氏。初監督作品として“ないない尽くし”の中で完成に至った映画製作に対する思い、そして、波乱に満ちた自身の半生も大いに語ってくれた。

極寒の収容所での暮らしは凄惨を極め…『トゥルーノース』予告

──『トゥルーノース』の構想から完成までの10年。なぜ、これほどの月日を要したのですか? また、完成までの課題となった部分は何でしょうか?

清水:まずは僕の力不足。映画作りって、特にアニメーションに関しては、お金が集まれば早くできるんです。まぁそれは極論ですけれど。アニメの設計図を描くところは品質重視になるんですが、実際にアニメのキャラクターを動かすというところは人海戦術。その部分で僕らはお金を集められなかったので、手弁当でやっていくと……。“人数が少ないから時間をかけて”という方程式になり、そこで10年のうちの数年かかってしまった。それ以外に、一番痛かったのが、最初の5~6年は製作開始にも至らなくて、この企画書を持って、いろんな人のところに「お金出してください」ってピッチ(資金調達を獲得するためのプレゼンテーション)しに行ったのです。世界中回って……アメリカ、ヨーロッパ、韓国、中南米にも行きました。

──韓国での反応はいかがでしたか?

清水:韓国が一番冷たかったですね。これは後になってから気づいたのですけれど、素材的に、まさに“ド真ん中”での、こういったコンテンツはダメなんです。韓国からはすぐに(お金を)引っ張れるかなぁと思っていたんですが、最も“門前払い”的で、空振りしていって……。それで、世界中で「興味持っている人いるよ」って聞くと、格安航空券買って行って、プレゼンしました。変わったテーマだから興味は持ってくれるんですよ。それで、脚本を読むと「面白いよ」って言っていただけるんだけれど「よく考えると、何かちょっと危なっかしいな」って言って切られちゃうんです。その繰り返しで、このプロジェクトの半分以上を費やしました。

──それは欧米も含めて?

清水:ハリウッドのかなり大きなメディアグループからも気に入ってもらったんですよ。硬派なコンテンツだから「ピッタリだね」と受け取ってもらっていたんですが、突如、連絡が来なくなって、「どうしたんですか? 」って聞いたら、「ごめんなさい……あのプロジェクトやらなくなりました」ってなったんです。「何でー!?」ってショック受けていたら、その時に、『ザ・インタビュー』という、金正恩が暗殺されるという映画がリリースされて、配給元のソニー(ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント=SPE)が、サイバー攻撃を受けたタイミングだった。それが理由なのかは、僕の推測なんですけれども、“こういったテーマはNG”となってしまいました。そのため、ぶり返しで、フェーズ1から始めることになり「誰もお金を出してくれないだろうなぁ」って思って、それならどうやって手弁当でできるかにフォーカスを移して……。予算がないから、時間はかかるけれど積み上げていく方向になりました。

──そして、最終的にはインドネシアのアニメーターさんが協力していくところに繋がっていくんでしょうか?

清水:そうですね。それまでは、いかにしてお金を他の人から持ってくるかというところにフォーカスしていましたが、「これは無理だ」となると、選択肢は二つで、一つは「企画をやめるか」。でもやめることはしたくなかった。というのは、僕にとって、かなりパーソナルな問題で、僕自身、一歩間違えば(強制収容所に)行っていたかもしれない。だから、これはあきらめちゃいけない。もう一つは「いかに安く作るか」。でもクオリティーを妥協せずにどうするかっていうことになると、まず、日本、アメリカ、ヨーロッパでは作れない。でも、“あきらめること”で見えてくる路線というものがあって、だったら世界のどこで作るかってことになると、人件費の安いところ。でも、リテラシーの低いところではできない。僕はその当時、バリ島に旅行などで行っていたので、インドネシアの方と知り合いになって、そこから、とても才能のある若い3Dアニメーターと知り合って、そこで計算していくと、もしかしたら全部のお金は出せないけれど、ある程度プレゼンができるくらいの形作りはできるんじゃないかと思い、始めていって、だんだん肉付けができてきて、最終的には完成まで行っちゃったというところです。

──インドネシアのアニメーターさんたちは映画の内容について、何か反応はありましたか?
清水ハン栄治

インドネシア・ジャカルタに開設したスタジオにて。若きアニメーターたちと清水監督

清水:やはり「怖い」という思いはあったようです。特に中華系のインドネシア人の方が過敏に反応しました。それには二つの側面があって「過敏に怖がっている」、そして「過敏に情熱を持っている」。なぜかというと、インドネシアの歴史をひも解くと、1970~1980年代に「赤狩り(共産主義者及び共産主義国出身者の排除)」があって、中華系の人が虐殺されたり、差別されていました。マレーシアでは、むしろ中華系の名前を使っていますが、インドネシアの中華系の人は、虐げられた歴史があるから、名前も現地の名字を使っています。そういった悲しい歴史があるから、怖いけれども「こういったテーマで苦しんでいる人がいる。12万人も(強制収容所に)収容されている。そういった人々のために立ち上がらなければダメだ」という男気(正義感)。怖いんだけれども、日本人のオッサンと人助けしたいという気持ちはあって、一緒にやろうとなったようです。

──インドネシアの若い人にとっては、(“赤狩り”の歴史は)教科書でしか知り得ないことなんでしょうか?

清水:インドネシアに関しては“現在進行形”で、今でも国内の不安が高まると中華系がスケープゴートにされて、つい最近も、問題が起きると「中華系が……」ってなる。ある時、スタジオに行ったら中華系のアニメーターが来ていないんですよ。来ているのはモスリムのメンバーだけ。中華系の人は外出するとブン殴られるから、家にこもっていた。「栄治さんも中華系に見えるから、あまりホテルから出ない方がいいよ」と言われて……。だからこそ怖がりだけれども、不条理に対しては怒りを感じていて、それがエネルギーに繋がっている部分はあります。

──大正や昭和初期に日本人が在日コリアンに対して行っていた歴史と重なります。

清水:僕もそういった部分で理解できます。想像するのは難しくありません。もちろん、大正や昭和初期に比べれば、環境もだいぶ違いますし、K-POPとか、華やかなものも出てきて変わってきたとは思います。

──日本ではK-POPが流行して、韓国コスメも人気。韓国でも、アニメなどの日本文化が浸透して若者の文化交流レベルは相当高いと感じますが、国として対立する部分もある。そのあたりのギャップについては、どうお考えでしょうか?

清水:僕は楽観的に考えています。世代別に日本人の在日への感情を見てみると面白くて、僕より下の世代だと(韓国系は)結構チヤホヤされるんですよ。韓流ブームの影響で。昔は合コンの自己紹介で「在日なんですよ」っていうと、一瞬みんなのリアクションが“ヤベッ”って感じだったのが、今では在日っていうと「へ~カッコイイ」って言われたりするみたいですね。BTSとかの影響で。「うらやましいなぁ」と思う一方、もっと昔の世代の人たちは、在日っていうだけでブン殴られていた。でも考えてみるとこの変化は凄いことで、たった20〜30年で、いがみ合っていた人種同士が、韓流なり、クールジャパンなりのソフトコンテンツを一生懸命に流し合っていくことで変われるポテンシャルを持っている。それでいくと、東アジアの2つの国で起こっている出来事は、世界中に示せるポテンシャルの一つだと感じます。例えば、パレスチナとイスラエルの問題も、僕の目が黒い間に解決しないと感じるし、この後の100年、200年も同じなのではないかと悲観的にもなるのですが、“いや、待てよ”と。「東アジアの人たちは、たかが15年、ソープオペラ、いわゆるメロドラマを流していただけで仲良くなっちゃったよ」ということを考えると、じゃあ、世界中で起きている紛争も、時間をかけて、ちゃんと真面目に(相互理解できるような)ソフトコンテンツを作って、“あなたも私も同じ、痛みを感じる人間なんだよ”という部分、共有できる部分を広げて、コツコツと努力を積み上げていけば、解決しない紛争はないんじゃないかなと思っています。

──3Dアニメにしたことで、老若男女問わず鑑賞できる作品になっていると感じますが、そもそもなぜ、3Dアニメにしようと思ったのですか?

清水:(構想の)初めから、3Dアニメじゃないとできないと思っていました。実写だと生々しすぎて厳しいのと、制作チームの規模が大きく複雑になります。僕は人に指図するのことは向いていないので、それならアニメでコツコツと進めていった方がいいかな、と。2Dアニメは、僕には経験が足りないので難しい。でも、3Dアニメは技術的に難しいと感じられるかもしれませんが、実は2Dアニメの方が、もっと難しくて……というのは、監督が明確なビジョンを持っていて、“このシーンはこういう風にやる”という正解を知ってスタッフに指示しないとダメなんです。でも3Dアニメは、3Dモデルさえ作ってしまえば、何テークも撮れるし、この角度で失敗したからこの角度で撮り直すということが簡単にできるんです。僕に力がないから、何回もやって失敗して……という作業が必ず発生するので、3Dアニメの方が良かったんです。

──音楽担当に、アカデミー賞にもノミネートされたことのある大物で、『ムーラン』の楽曲も手がけたマシュー・ワイルダー氏が参加した経緯は?

清水:とてもラッキーだったというのもあるんですけれども、アフレコをアメリカのロスでやっている時に、予算が無いので、俳優学校の学生を声優としてリクルートして録音していました。録音も、お金が無いから、知り合いを通じて安くスタジオを使わせてくれるミュージシャンがいないかなぁと探していたら、友だちの友だちにマシュー・ワイルダーさんがいて、「自宅、使っていいよ」ということになり、その自宅兼スタジオを、3~4日間、借りたんです。それに合わせて映画の企画について詳しく伝えたら、彼も男気(義侠心)を見せてくれて「こんなに大事な人権的な問題は(もっと世の中に)伝えていかなくてはいけない」と、このテーマを受け止めてくれて、大御所ではあり得ないようなギャラ条件で関わってくれることになりました。そこからはずっと親身になってくれて、日本にも来ていただいて、僕も彼の自宅に何度も行って、相談に乗っていただきました。

無実の人が虐げられているというのは絶対にダメ

──世界各国の映画祭で高い評価を得ています。どのようなところを評価されての受賞だと思いますか? 各賞の選考委員の方々から理由などを聞いていますか?

清水:(受賞の理由は)二つあるのかなと思っていまして、一つは「世界中が知るべき悲劇的な状況を、アニメという表現を使って告発してくれた」という評価。あとは、作品自体の“大いに泣いて笑って怒って”という、純粋なエンターテインメント性への評価です。

──強制収容所に12万人もの罪なき人が入れられているという現実は、現在進行形と捉えていいのでしょうか?

清水:その通りです。強制収容所の存在というのは、北朝鮮の金政権が存続している要の一つなんです。まずは「強制収容所がある」という脅威、もう一つは「3世代連座制」というのがあって、例えば僕が(政権に対し)批判めいたことをボヤいたとすると、「お前と、お前の子どもと、お前の親も強制収容所に連れていく」という連帯責任制なんです。その二つが要になっているから、にらみが効くんです。北朝鮮国内では核ミサイルよりも、国民を手なずける要因となっています。だからこそ、この強制収容所と連座制の現状をコンテンツとして扱うことにしました。

──この作品は韓国でも上映されるんですか?

清水:もちろん上映したいし、韓国人にも見てもらいたいです。まずは日本で評判になって、そして、いろんな国に広がってほしいです。

──それこそ「北朝鮮の真実」だと?

清水:そうですね。「北朝鮮の真実」まさに『トゥルーノース』ですね。でも“True North”という言葉は僕の造語ではなくて、英語の慣用句としてあるんです。普通の会話で「君の“True North”は何?」と聞いたりする。「絶対に譲れない人生の目的」という意味です。だから「北の真実」でもあるんだけれど「生きる目的や羅針盤」という意味も含んでいるんです。

トゥルーノース

『トゥルーノース』2021年6月4日より全国公開
(C)2020 sumimasen

──これまで、どういったキャリアを?

清水:高校までは横浜で過ごして、大学はアメリカのバージニア州の大学を出て、そこから、(南米)チリに留学、日本に戻ってから、少しサラリーマンをやって、その後、マイアミでMBAを取って起業しましたが、失敗して借金抱えて日本に戻ってきて、サラリーマン(サン・マイクロシステムズに入社)になり、その後、リクルートに転職しました。そこで思い立って、サラリーマンを辞めて、人生いろいろ考えたいなと感じて、またアメリカに渡ってドキュメンタリー映画を作りました。

──リクルートでは、海外旅行を扱った雑誌「エイビーロード」を担当されていたとうかがいました。脂の乗り切った35歳という年齢で、そこを離れようと考えたきっかけは?

清水:「エイビーロード」ではとてもエキサイティングな経験をさせてもらいました。でも「自分は本当に幸せなのか?」と考えるようになりました。周りから見ると、チヤホヤされるし給料もいいし、幸せっぽく見えるけれど、自分で考えるとそうでもない。すごろくでいうと「もう“上がり”! これでお終い? 」みたいなところに来てしまって、もっと“幸せ”って別のところにあるのかな、と。快楽的な幸せだったら美味しいもの食べたりとか、デートしたりとかも楽しいし、リクルートって派手な会社だったから、売り上げが上がると、みんなで「イエ~ィ! 」ってお祝いしてくれるような感じだったんです。でも、そういうのとは別の“幸せ”があるんじゃないかと思って。まぁ、35歳っていうと、人生の半分終えてしまった感じで、後半はもっと違う幸せを探ってみたい気持ちが強くて、自分で何かやろうかなと思っていた矢先に、アメリカ人の友人がちょうどドキュメンタリー映画を作り始めようとしていて、次の作品のテーマが「幸せ」についてのドキュメンタリーを作ると聞き、「栄治、手伝ってくれない?」と言われて、「僕もちょうど、自分の幸せについて考えていたんだ、やるやる」となって、『happy−しあわせを探すあなたへ』という作品が出来ました。

──今、“幸せ”のパラメーターは何%くらいですか?

清水:今は結構高いですね。どんどん上がっている感じで、あとはこの映画がどのくらい見ていただけるか。そして、この映画がきっかけで、拷問が減ったり、家族と再会できたりするような人が現れたら、僕にとっては、ステーキを腹いっぱい食べるよりも幸せ。「俺、頑張ってるじゃん!」みたいに感じることが特上の幸せです。

──この作品が公開されることによって、色々な方面から攻撃される想定はされていますか?

清水:そうですね。実はこの会話も盗聴されているんですけど(笑)。
冗談はさておき、一時期は心配したんですけど、今はそういう心配はしていなくて。やはりあちらの体制もバカじゃないから、大政治家とか金正男のように(北朝鮮体制の)転覆を考えているような人だったらまだしも、僕くらいの“タマ”だったら、攻撃しても何の得もないし、逆に映画のプロモーションになっちゃうんで、そのあたりは心配していません。

──すごくヒットしちゃったら、逆に怖くないですか? “巨匠”みたいになっちゃったら……。

清水:それもないと思うので……(笑)。僕の知り合いの政府筋の人が、北朝鮮のエージェントの活動を調べているんですが、一説によると、ソウルよりも東京の方が北朝鮮のスパイが多いらしいですよ。その人に、映画製作中に怖かったから相談したんですが、「栄治さん、全然心配しなくていいよ。君くらいの“タマ”を攻撃したら逆にとばっちり食らうから(スパイの方が大変なことになる)。北朝鮮っていうのはとばっちりが降りかからないように、例えば君が繁華街で不良に絡まれたら、隠れていた北朝鮮のエージェントがさっそうと出てきて彼らを退治してくれるよ。だから心配するな」と。

──ヘタにケガさせちゃうと、良くない噂が出ちゃうと?

清水:そうなると、それがフリーのプロモーションになっちゃうから。

──それでSNSで拡散でもしちゃえば…

清水:面白いもので、言ってることは間違っていると思ってはいないし…。ここは強調すべき点なんですが、僕は政治的な議論はしていないんですよ。政治的な話は、意見はあっても言いたくない。というのは、南北統一とはどういった形にするのかなんて正解は分からないし、米国と中国とどう絡むのか、6ヵ国協議はどうなるのかなんて正解が分からない。しかし、その中で、証拠はたくさんあるんだけれども、強制収容所で無実の子どもたちが泥まみれで働かされているという事実は、絶対に150%の確率で「いけないことです」って言えますよね。政治のことは分からなくても。だから、それだけ言い続けていこうかなと思っています。その話だけしていけば、金正恩だって否定はしないと思うんですよ。南北統一のディスカッションなどは相いれない意見もいっぱいあるとは思うんですけど、無実の人が虐げられているというのは絶対にダメだと言える。論破するからどんな理由でもどんな哲学でも持ってきなさいと……。でも、ここだけは譲れない自信は持っています。作品の中でも、その事実だけは伝えていきたいと考えています。

(text:寺島武志)

清水ハン栄治
清水ハン栄治
しみず・はん・えいじ

1970年、横浜生まれの在日コリアン4世。アメリカでのMBA取得、起業を経て、帰国後、サン・マイクロシステムズ、リクルート勤務を経て、35歳で独立。ドキュメンタリー映画『happy-しあわせを探すあなたへ』(12年)をプロデュース、NHKのEテレでも紹介されるなど、高い評価を得た。『トゥルーノース』(20年)は初監督作品となる。また映像、出版、教育事業を世界中で展開、17年のTED Residencyにも選抜された。