『はるヲうるひと』山田孝之インタビュー

虫けらのように扱われる男に涙が止まらなかった

#はるヲうるひと#山田孝之

山田孝之

得太とは正反対のキャラクター、何か似てるところはないですね

『はるヲうるひと』
2021年6月4日より全国公開
(C)2020「はるヲうるひと」製作委員会

こんなふうに、自分の演じる役について語るのか。客観的に理解すると同時に、我がことのように身も心も浸り切る感覚。山田孝之が、『はるヲうるひと』(佐藤二朗監督・出演)で主人公・得太を演じた経験を語る言葉から、これまで多くの俳優たちに話を聞きながら、実は全く理解できないままの“演じる”ということについて、ほんの少しだけわかったような気がする。あくまでも、彼のスタイルについて、なのだが。

架空の島の売春宿を経営する暴力的な兄・哲雄に虫けらのように扱われ、誰にも言えないものを心の奥底に封印している男をどう演じたか、エンターテインメントを含めた“今”とどう向き合っているかを聞いた。

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──本当にこの作品を見てる間はもう、つらくてつらくて。

山田:つらいですよね。みんなつらいですよね。

──でも結局、すごい引き込まれて。不思議な生命力を感じる映画でした。何度も共演されている佐藤二朗さんからのオファーですが、一度断られたと聞きました。

山田:得太が関西弁だったからです。

──関西弁だったから。

山田:はい。関西弁じゃなくてもなんですけど、要は、僕の中にない言語です。方言をやるとなると、そこを気を付けながら芝居もやらなきゃいけないので、100で芝居ができない。今回は100で行かないとできない役でした。すると、「それが原因なら、標準語でいい」と二朗さんが言ったから、「じゃあやります」と。それだけのことです。

──脚本を読んだ感想はいかがでしたか?

山田:読んでるときからつらかったし、得太がばーっと独白するところは、何回読んでも、涙が止まらなかったです。つらくてかわいそうすぎて。その人とちゃんと向き合わなきゃいけない。そう考えたら、方言指導の方が付いて、毎回毎回チェックしながらでは、意識が100、得太に向かないので断ったんです。方言でなくていいなら、100で向き合えるから、やります。

──先に、佐藤さんにお話を聞いたんですが、オリジナルの舞台版では得太も含めて役者さんへの当て書きだったということでした。そういう役を改めて演じることにプレッシャーを感じられたでしょうか?

山田:いや、それはないんじゃないですか、俳優は。だって、原作があるものを映像化することもあるし。例えば僕、『世界の中心で、愛をさけぶ』の映画がヒットして、そこで森山未來が演じた役をテレビドラマでやったこともあるし。それこそ舞台とかミュージカルって、ずっと何十年も再演されてるから、あんまり関係ないって思いますけどね。

──そこは全然、山田さんの中ではネックにはならない。

山田:僕というか、みんなそうはならないと思います。結局、それも脚本を書く段階で客観的にその人を見て当て書きなので、「これ当て書きです」と言われても、言われなかったとしても、たぶん変わらないと思うんです。「当て書きしました」「あっ、そうですか」って。

──佐藤さんが演じられた舞台版はご覧にはなりましたか?

山田:いえ、見ていないです。その時の写真を「こういう感じ」と画像で3枚くらい送ってきてくれて、「金髪にはしてほしい」「分かりました」ぐらいですね。

──山田さんにとって、得太はどんな人物ですか?

山田:脚本を読んで、得太に対して何を思ったかというと、とにかくかわいそう。孤独で誰にも話せなくて、という人だから。二朗さんが十数年前に脚本を書いた時から得太という存在が生まれてますけど、そこから二朗さんが演じているときは、得太に寄り添ってあげた。でも得太の人生で二朗さんだけですよ、寄り添ってあげたのは。寄り添ってない期間もあるんで、それがとにかくかわいそうだなと。だから、僕も得太にちょっと寄り添って、救うことはできないけど、ちょっとでも軽減させてあげることができたら、と。そう思ったのが、オファー受けた理由です。

──救ってあげたいというのは、やはり客観的に得太を見ている?

山田:もちろん、最初客観的に見たときに、かわいそうだと思ったから歩み寄っていくわけです。こっちに引き寄せるし、それが一つになるわけです。だから、それは……演じるとか役とかって、非常に説明が難しいことなんですけど。
撮影期間でいうと3週間ですけど、じゃあ僕が3週間歩み寄ったのかというと、そういうことじゃなくて。その瞬間に、得太の過去から未来まで全部、僕は背負ってるわけじゃないですか。得太の一生分に一度歩み寄ってるんです。二朗さんが一生分、1回歩み寄った、僕も歩み寄った。でも足りないですよ。今まで2人しか寄り添ってないわけだから。この作品が世に出て、とにかくみんなに見てもらって、もっと得太に寄り添ってくれる人が増えてほしいんですよ。彼はいまだにずっと孤独で寂しい思いをしてるから。

──今まで何度か取材をさせていただいて、ドキュメンタリーなどを見て私が知っている範囲での山田さんのイメージからみると、得太は正反対のキャラクターに見えます。

山田:そうですね。何か似てるところはありますかって言われたら、ないですね。

──そこで、寄り添う、歩み寄る、つまりは共感ということになるかと思います。

山田:もちろん、彼のことを知ってあげないことには寄り添えないので、とにかく彼を知ってあげる。何がそんなに彼を苦しめてるのか、なぜ抜け出せないのか。

──それを深く考えるのが演じることの邪魔になったりしないのか、と思ったりします。得太自身はその答えを知らないわけですから。これは演技というものを全く理解していないからこその質問なのですが。

山田:いやいや、当然だと思います。言ってしまうと、演じてるわけでもないんですよね。その記憶を作っていく。芝居をするっていうのか、役を演じるっていうのか分からないですけど。要は、もはや得太になるわけじゃないですか。そのときに何をするか。明確に覚えてるのは、例えば、あるシーンで鈴カステラが転がってて。カットがかかって、次のアングルのためにスタッフがいっぱい動き出すときに、その鈴カステラを見て、「ああ、お母ちゃん、鈴カステラ大好きだったな」「あんとき一緒に祭りに行って、鈴カステラ一緒に食べたな」とか、そうやって記憶を作ることが、その人の人生を作ることになるんです。それをずっとやるんですよ。やり続けるんです。
例えば3週間の撮影期間があって、山田孝之がいて、得太がいて、感覚で言いますけど、50%でずっといる感じです。50%で歩み寄って、50%引き寄せて、本番となるところまでにぐっと寄せて。ふらふらしてるんですけど、本番の時は100得太。
クライマックスの撮影のときは、長いシーンですし、たぶん1日やってたんです。ずっと100で居続けなきゃいけない。ちょっとでもスイッチを切ると、もう戻ってこれない感覚があった。ずっと得太のスイッチを切らずにいこうと思ったときに、じゃあ、何をどうやったら得太としていれるかというと、そういうもの全てを、全部思い出に変えていくんです。思い出だけじゃなくて、“今”も。
今、哲にい(哲雄)とこんな状態になってるのに、関係ないやつが入ってきた、と思う。それは撮影スタッフのことなんですけど。関係ないやつが入ってきた、俺のことなんか見てない、誰も俺のことなんかどうでもいいんだ、俺はこんなに今責められるのに、と。結局、ずっと得太なんですよ。全部をそうやってやる瞬間もある。それが、その役として生きるということですかね。

──確かにその状態を3週間ずっとは……

山田:それは無理、無理。その100をずっと維持したのはその日ぐらいですね。そんなこと、ほぼないですよ。過去に覚えてるのは『新宿スワン』。(綾野)剛の役と僕の役とのビルの屋上でのシーンです。せりふもあるし、殴り合ったりアクションしたりとか、7回戦ぐらいやったのかな。そのときも切っちゃ駄目だと思ったから、ずっとスイッチ入れたままで撮影終わるまでやってましたね。そういうときもありますけど、それをやるともうほんと崩壊するので、精神も脳みそも。なるべく究極のときだけで、あとは、カットがかかったら、なるべくすっと落として、自分と役でもどっちでもないようにふわふわさせといて、本番前にぐっと持っていくみたいな、そういう作業です。

──そこばかり掘り下げて申し訳ないのですが……

山田:全然、全然。

──そういうとき、記憶が飛んだりするんでしょうか?
山田孝之

山田:いや、元々、記憶力がないから、何ともいえないですけど。そこで得太の一生を生きたわけじゃないですか。そのあとも別の役を演じてると、1年365日じゃない生き方をしてるんですよ、俳優って。他の人の一生分をやっている。でも、自分には今のところ37年分の経験しかない。年間に“一生”を何回もやってると足りなくなるんです。だからやり過ぎは良くないと思うんです、演じ過ぎは。だから、出演本数をある程度絞っていかなきゃというのもある。
これは他の仕事にもつながるんですけど、僕、いろんな仕事をやっていますが、大体の人は1個の生き方で、そこにちょっと枝が出てきている感じだとすると、僕はもう何本も木があるような状態。全く違うことを考えなきゃいけなかったり、全く違う人たちと会う。すると、同時に僕自身も何本も生きてる感じで、いっぱい入ってくるから、いっぱい出せる、いろんな人生を歩めるという感覚でやってます。

──そのいくつかの木から、役者をやるときに何かをもらってくる感じでしょうか。

山田:それが分かっているので、全て無駄ではないと思ってやってます。ほとんどが表現ですね。別のしんどさはありますけど、365日芝居しててって言われたら、マジ無理ですね。死んじゃう、ほんとに。それをすると何が起きるかというと、自分の時間がなくなるんですよ。僕としての精神状態。むちゃくちゃになるのは当然じゃないですか、自分がなくなるわけだから。ある程度、自分も保つためには、芝居してない時間がすごい大事だし、そこでの経験が芝居には反映されてくる。

──自分をなくして、人の一生を何度もやるというのは、本当にきつい作業だと想像しますが、それでもやっぱり好きですか。

山田:お芝居が好きだからやってますね。

──それは、お芝居してる瞬間ということでしょうか?

山田:全部です。オファーが来て、台本読むところから始まって、これはどういうことなんだろう? と組み立てていく。まず役作りの基本が始まって、それを補うためにメークや衣装やいろんなことがある。役者1人では作れないから、共演者がどう受けるかによって、こっちの芝居も完成していく。何もないところから、自分でまず骨組みを立てて、筋肉付けて、脂肪付けて、皮付けて、毛が生えてきてみたいな。そこも楽しいし、それを実際に同じ作業した人たちと対峙させてみる現場での撮影も楽しいです。それが世に出ていくと、みんな何を思うんだろう。面白くないって言う人もいれば、人生変わりましたって言う人もいるわけで、何が起きるか分からない。それが総じて面白いなって思う。

──観客の反応は本当にさまざまで、人って面白いなと思います。

山田:それぞれでいいと思うんですよね。響くタイミングにもよると思うんですよ。見たときの年齢とか、性別とか、職業とかいろいろあるし。10年後にもう一度見たら、めっちゃはまることもあるじゃないですか。そう考えると、何だって残しておいて、誰かの救いになるんじゃないかと思う。

明日死ぬかもしれないと思って生きてる

──ところで、監督としての佐藤さんはいかがでしたか。

山田:印象はそんな変わらなかったです。ほんとに真面目で優しくて、お芝居もそうだし、そこに携わるスタッフも含めて、この表現者たちのことがとにかく好きなんだなって。それは変わってないですね。監督としての今回は、二朗さんの視点も入ったから、より愛を感じたというか。ほんとに優しい人だなとは思いました。

──そこから、あの物語が出てくるのが、すごいなと思います。

山田:うん。何考えてるんですかね(笑)。全部うそなんじゃないですか? コメディをやってるときも、Twitterも(笑)。

──山田さんも『ゾッキ』で監督をされましたが、奇を衒う感じではない演出が素晴らしかったです。
山田孝之

山田:ありがとうございます。ロードムービーで、旅してるのは龍平くんですし、國村(隼)さんとか、がっちり受け止めてくれる人もいるから。僕もリラックスしてできましたね。

──今回の佐藤さんも、俳優で監督ですが、意識したりは?

山田:いえ。そもそも俳優が何か別のことをするとか、考えないです。年齢が、性別が、国籍が、職業が、宗教がというふうに見ないので。もちろんゼロじゃないと思うし、そういう見方を悪いとも思わないですけど、それって物事を狭めちゃってない? いつまで言ってんの? という気がする。

──佐藤さんもインタビューで「俳優なのに」みたいなことを発言されて。

山田:二朗さんはそういうこと言うタイプですよね。僕は全くそうは思わないです。もう何年も前ですけど、脱サラしてラーメン屋をオープンした人がいっぱいいて、すごく素晴らしいことだと思っていつも見てました。

──なるほど。そこで痛い目に遭う人もいましたが。

山田:でも、やりたいと思ったから人生切り替えてみる。それは素晴らしいことじゃないですか。やりたいことがあるなら何でやらないの、やりたかったらやれよ、と思うんです。

──これまでのさまざまな機会での発言を聞いていると、楽しむということは山田さんの生きていく上でのキーワードかと思います。

山田:もう今はそれだけでもなくなってきてます。プロデュース業とか、MIRRORLIAR FILMSという短編の映画祭みたいなことをやってますけど、これは楽しむためにやるという感じではないです。

──使命感でしょうか?

山田:勝手な使命感みたいなのもありますね、今は。MIRRORLIARの話はどんだけ早口でしゃべっても1時間はかかるかもしれないから(笑)、話さないとして。プロデューサーをやってるのは、俳優、スタッフの働く環境を良くしたいから。良くしたい理由は質を高めたいから。質を高めてもっとアジア諸国に広まって、日本産の映画、結構面白いよ、と思ってもらえるように。まさに韓国や他の国がそうなっていますよね。そうなるために、別にやりたくもないけどやっている……。

──やりたくもないのに。

山田:やりたくもないですよ、全然。芝居が好きでやってるんだから、芝居を、表現をやらせてもらえればいい。でも、そんな好きな芝居ですら嫌になってしまう瞬間って、みんないっぱいあるんです。俳優が、考えなくてもやらなくてもいいことをやらされたりしたときにそれが起きる。そういうものをなるべくなくしていきたいから、やってるんです。それは自分に返ってくるので。

──日本の映画界が抱える問題を、例えば海外に出て、外から見てみたいと考えることはありますか? 今は時期的に難しいですが。

山田:国外に行くことを考えて、マンツーマンで1年半ぐらい英語を勉強していたことがあります。みんなが何で挑戦するかというと、夢を見たい、違うフィールドを見たいというのもありますが、根底にあるのは、これじゃ駄目だと思ってるから。でも、それで出ていったら結局変わらない。僕はそう思ったときに英語をやめたんです。駄目だから出ていくんじゃない、みんなが出ていきたいと思ってしまう場を良くしたいと思ったんです。
だから、ここに居続けるし、英語の代わりにプロデュースを学んで、映画を作っていく。自分がプロデューサーをやっている場は、まず睡眠時間を守ります。ヒットしたら分配します。当たり前だと思っていることを取りあえず僕はやってみる。それで、他の人たちも「そうします」となっていったらいいなという思いです。だから、全然やりたくないんです。誰かがやってほしい、早く。というより、みんながやってほしい。

──最後に、『はるヲうるひと』も公開が1年以上延期になりましたが、いわゆるコロナ禍が続いたこの1年をどう過ごされましたか?

山田:この1年、僕は何も変わってないですね。

──変わらない?

山田:はい。

──今後はどうでしょう?

山田:変わらないと思います。

──いろいろなことがどうもうまくいかない、苦しい環境になったと思います。

山田:それって、でも2年前、3年前でも一緒じゃないですか。

──気がついてない人が多かったと思うんです。

山田:なるほどね、そういうことか。平和だったんですね。そう考えると。僕、あんまり平和を感じたことがないから。20年前ぐらいに、取材で「明日死ぬかもしれないと思って生きてる」と言ったら、何でそんなネガティブなんですかと言われました。ネガティブじゃなくて、現実を受け止めてるだけ。だって、日本は災害大国で、大地震だって過去に起きてる。次がいつ来るか分からない、いつ死ぬか分からない。そのときは笑われたんですけど、今は誰も笑わないですよね、実際起きたから。だから、やるべきことをやっとかないといけないんですよね。

(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)
(衣装協力:ジャケット、シャツ、パンツ/YOHJI YAMAMOTO)

山田孝之
山田孝之
やまだ・たかゆき

1983年10月20日生まれ、鹿児島県出身。1999年に俳優デビューし、『WATER BOYS』でTVドラマ初主演。その後、映画『電車男』で主演を務め、『白夜行』『世界の中心で、愛をさけぶ』などのTVドラマ、『闇金ウシジマくん』シリーズ、『勇者ヨシヒコ』シリーズなどに出演。映画は『クローズ ZERO』シリーズ(07、09)、『凶悪』(13)、『映画 山田孝之3D』(17)、『50回目のファーストキス』『ハード・コア』(18)などに出演し、19年には主演作「全裸監督」がNetflixで世界配信された。「モンティ・パイソンのSPAMALOT」など舞台でも活躍。18年にドラマ「聖☆おにいさん」で製作総指揮、19年に映画『デイアンドナイト』でプロデューサーを務める。21年、映画『ゾッキ』を竹中直人、斎藤工と共同監督。