1967年生まれ、東京都出身。明治学院大学在学中の1987年、佐藤伸治らとフィッシュマンズを結成。ドラムを担当する。1991年にシングル「ひこうき」でポニーキャニオンよりメジャーデビュー。ポリドール移籍後のアルバム『空中キャンプ』に始まる「世田谷三部作」で多くの音楽ファンから高い評価を得るものの、1999年3月に佐藤が急逝。活動休止を余儀なくされていた2001年に、かねてから交流のあった東京スカパラダイスオーケストラにドラマーとして正式加入する。2005年頃よりゲストボーカルなどを迎えてフィッシュマンズを再始動。結成30周年を迎える現在も、佐藤伸治の楽曲を世に伝えるべく、フィッシュマンズとしての活動を継続している。
『映画:フィッシュマンズ』茂木欣一インタビュー
純粋に音を追い求めた孤高のバンドの軌跡とは? ファンの思いが紡いだドキュメンタリー
そもそも「辞める」という発想がまるでなかった
今年でデビュー30周年を迎えたバンド、フィッシュマンズ。セールスの不調や相次ぐメンバーの脱退などで苦境に立たされるも、プライベートスタジオでレコーディングされた「空中キャンプ」「LONG SEASON」「宇宙 日本 世田谷」の三部作で音楽的な高みへ上りつめ、現在も国内外の心ある音楽ファンから絶大な支持を得る孤高のバンドである。1999年3月にフロントマン・佐藤伸治が急逝。一時は活動休止を余儀なくされたが、ひとり残されたリーダーの茂木欣一はフィッシュマンズを解散せず、佐藤の楽曲を伝え続ける道を選び、様々なサポートメンバーの協力を得ながら現在まで活動を継続させている。
『映画:フィッシュマンズ』は、デビュー当時からフィッシュマンズを追いかけ続けたファンの坂井利帆さんが企画・発案したもの。製作資金はクラウドファンディング・プラットフォームの「MOTION GALLERY」で募られ、最終的には目標金額の1,000万円を大きく上回る1,827万円あまりの資金を確保したという。『その男、東京につき』では撮影監督を務めた手嶋悠貴監督によって丹念に取材・編集された本作は、ドキュメンタリー映画としては異例とも言える172分の大長編に仕上がっている。
ここでは本作の立ち上げから関わられてきたメンバーの茂木にZOOMインタビューを敢行。東京スカパラダイスオーケストラのドラマー/ヴォーカリストとしても精力的に活動する茂木にとってのフィッシュマンズを語ってもらった。
・今語られるフィッシュマンズ・佐藤伸治! 関係者が明かすあの頃の真実とは!?
茂木:坂井さんは僕の古い友人で、デビュー当時からフィッシュマンズの活動を熱心に追いかけてくれていたファンでもあります。で、ある時に彼女が自分の所有している膨大な音や映像、グッズや掲載雑誌を前に「これを何かの形で残すことはできないだろうか」と考えて、僕に相談に来てくれたんです。2018年の夏だったかな。その場で「じゃあ映画を作ろう」ということになったんだけど、とにかく熱意がすごくて。その時点では、どんな映画になるのかまるで想像がつきませんでしたね。
茂木:映画を作ることが正式に決まったあとに坂井さんから手嶋(悠貴)監督を紹介してもらって、実際にプロジェクトが動き始めました。せっかく作るなら歴代メンバーや関係者のみんなに協力してほしいと思ったので、フィッシュマンズのライブイベント「闘魂 2019」(2019年2月開催)の決起集会を兼ねて新年に集まった時、みんなにお願いしたんです。「しゃべりにくいこともあるだろうけど、一度でいいからカメラの前で自分の思いを話してほしい」と。「よし、オッケー!」みたいなテンションではなかったけれども、みんなが静かに受け入れてくれましたね。
茂木:その決起集会の時にも「クラウドファンディングってどうなんだろうね?」という話題が出たと思います。誰もそういうことに関わったことがなかったから。僕は事前に坂井さんから説明を受けて、お金が集まるほど自由度の高い映画づくりができると思ったので、(クラウドファンディングは)いい話だと思いました。普通の映画のようにスポンサーがついてくれたとしたら、それはそれで嬉しい話だけど、スポンサーの意向を不本意ながら反映させなければいけないという場面が出てくるかもしれない。それよりは、本当にフィッシュマンズを好きでいてくれる人たちから受け取った厚意で、みんなが本当に見たい内容の映画を作るべきじゃないかと考えたんです。
茂木:僕がインタビューを受けたのは5回ぐらいかな。佐藤くんの墓前だったり、母校の明治学院大学、日比谷野外音楽堂、渋谷クラブクアトロ、あと「LONG SEASON」を録ったVIVID SOUND STUDIOにも行きました。小嶋さん(小嶋謙介/ギタリスト)、譲(柏原譲/ベーシスト)、HAKASE(HAKASE-SUN/キーボーディスト)、みんなゆかりのロケーションでインタビューを受けています。
茂木:はっきり言って、知らないことだらけでした。メンバーなのに、自分はフィッシュマンズのことを何にも知らなかったんだなと(笑)。何より嬉しかったのは、「しゃべりにくいこともあるだろうけど……」という僕のお願いに、みんなが真っ直ぐに応えてくれていたことです。たとえばHAKASEが佐藤くんの死後に「気持ちが荒れた」と語っていたこと。僕が知っているHAKASEは、いつも理路整然として冷静な印象があったから。小嶋さんもそうですね。脱退するまでの気持ちを本当に正直に語ってくれていて。「自分が『LONG SEASON』に参加している姿を想像できない」とかね。「ここまで話してくれたんだ」と、試写を見ながらグッときました。
茂木:佐藤くんは僕の2つ上の先輩で、入った時から「佐藤伸治っていうすごい人がいる」と聞いていました。でも普段はサークルにまったく顔を出さない人だったから、しばらく会えなかったんです。で、ある時に新入生歓迎ライブが開かれることになって、そこで初めて会いました。映画の中で、下北沢の街の路上でしゃがみ込んでタバコを吸っているシーンがあったでしょ? まさにああいう感じでポツンとステージの横にいて、その佇まいがすでに「何かやりそうな人」という雰囲気を醸し出していました。当時サトちゃんは自分のバンドを解散したばかりで、そのライブでは他のバンドの演奏でピンク・クラウドの「Last Night」を歌ったんだけど、それがもう見たことも聴いたこともないようなパフォーマンスでね。「こんなにすごい人がいるんだ!」と驚きましたよ。
茂木:そうです。基本は全部オリジナル。ライブでリクエストに応えて、一度はっぴいえんどの曲を演ったことがあるぐらいじゃないかな。佐藤くんの書く曲って、人の心にズケズケと入っていくような感じがまったくない。「頑張れ」とか「前進しよう」とか直接的な言葉は言わず、黙って隣で寄り添ってくれているように僕は感じます。それがとても馴染むというか、自分にしっくりくる。この感覚は、初めて彼のオリジナル曲を聴いた時から、ずっと変わらないですね。
茂木:もう、完全に変えられましたね。初めて会ったその日から、僕はずっと佐藤伸治のファンだから。自分がフィッシュマンズのメンバーじゃなかったとしても、きっとサトちゃんの音楽に辿り着いてファンになっていた自信がある(笑)。
茂木:そんなに難しいことではなくて、僕にはそもそも「フィッシュマンズを辞める」という発想がまるでなかったんです。今も昔もね。98年の年末に譲が辞めて2人になったあとも、1999年の夏には新しいサポートメンバーを入れてライブをやろうと言っていたし、普通に新曲も録音するものだと思っていました。僕には50代になったサトちゃんが歌っている姿が事細かに想像できるんですよ。むしろ、フィッシュマンズに続きがないということが想像できないというか。あの声で、気持ちよくステージで歌っている佐藤伸治の姿が続いていないとおかしいと思うし、そうじゃないと悲しいと思う。だから、いろんな形でフィッシュマンズの音楽を伝えていきたいんです。1999年の3月にサトちゃんが亡くなったあと、日本でも野外フェスが定着して、僕にはそれがものすごく悔しかった。彼の歌うフィッシュマンズでフジロックのグリーンステージなんかに立ちたかったなと。
近年の海外人気にはびっくり、でもね……
茂木:それは僕もびっくりしました。でもね、映画を作ることになった当初からプロデューサーの坂井さんはずっと「海外でも上映したい」と言っていて、実は英語の字幕もすでに準備してあるんです。だから、音だけを聴いて好きになってくれた海外のファンにもフィッシュマンズの歴史というか、どういうバンドなのかを分かってもらえる機会になればいいなと。この映画のみんなのコメントはとても繊細なので、英語に翻訳するのが難しいんじゃないかと最初は思っていたんだけど、翻訳者の方にも映画を気に入ってもらえて、とても丁寧に言葉を置き換えてくださっています。きっと海外の人にも楽しんでもらえるんじゃないかな。
茂木:究極の質問ですね(笑)。えーっと……今ぱっと思い浮かんだのは「新しい人」。「音楽はなんのために鳴り響きゃいいの/こんなにも静かな世界では/こころふるわす人たちに/手紙を待つあの人に/届けばいいのにね」っていう歌詞が、どこか今の時代を分かった上でサトちゃんが書いたように思えるから。
茂木:それは僕が一番知りたいことです(笑)。今の時代って、ネガティブな言葉を強い口調で言っちゃう人をSNSなんかでよく見かけるじゃないですか。僕はそれがすごくもったいないと思っていて。さっきも言ったように、佐藤くんの歌は聴き手に何も言わずに寄り添ってくれるようなところがある。「君は間違っている」とか絶対に言わないし。「サトちゃんならこの時代にどんな言葉を届けてくれるのかなあ」と、いつも考えています。
茂木:僕の勝手な予想だけど、もしTwitterをやっていたら人の文句ばっかり連投していたと思う(笑)。でもサトちゃんって、文句の言い方も粋なんですよ。だから全然嫌な感じがしない。
茂木:さっき話に出たライブイベント「闘魂 2019」の映像が、そう遠くない時期にパッケージ化できればいいなと思っています。個人的には、結成当初から「闘魂 2019」までを音源で振り返るようなアーカイブが作れたらと考えているんですけど、それはもっと先の目標ですね。最近エンジニアのZAKとよく「フィッシュマンズの曲をもっと自由に鳴らしたいね」という話をしていて。たとえば「空中キャンプ」に入っている「ずっと前」なんかを新たなリズムアレンジと別のヴォーカリストでリメイクしたりね。この映画が完成したことで、ある種の開放感を覚えたんです。佐藤伸治という人と一緒にバンドをやれたのは、僕にとってすごく幸運なことだったけれども、それは必然であって、間違いなく僕の役目だったと信じたい自分がいます。だから、これからも彼の音楽を伝え続けるつもりです。
茂木:そうですね。最近はスカパラで僕のことを知ってくれた若いファンから「欣ちゃんって、フィッシュマンズのドラマーだったんですか?」と聞かれることも少なくなくて、そういう人たちからよく「フィッシュマンズでライブもやってください」と言われるんです。だからフィッシュマンズとしてのライブも何らかの形で近いうちに実現したいですね。
茂木:これはフィッシュマンズの物語であると同時に、みんなの物語でもあると思います。「みんな」というのは、フィッシュマンズのファンだけでなく、この映画を見てくれる人すべて。自分の人生の分岐点とか、楽しかったこと、後悔していること、いろいろ思い出すんじゃないかなと。たとえば何か後悔を引きずっている人も、これを見れば「なんだ、みんな同じじゃん」と思って新たな一歩を踏み出すきっかけになるというか。大袈裟かもしれないけれど、見てくれた人の人生の何かの気づきになれば嬉しいですね。
(text:伊藤隆剛/ヘアメイク:津田千昌)
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