2000年2月3日生まれ、フランスのパリ出身。俳優のサンドリーヌ・キベルランを母に、ヴァンサン・ランドンを父に持つ。15歳でフランスの名門高校Henri IVに入学し、同時に初監督作『スザンヌ、16歳』の執筆を開始。2018年優秀な成績で高校を卒業し、パリの国立高等装飾美術学校に入学。19年、15歳のときに書いた脚本を元に、19歳で映画制作に着手。監督と主演の両方に初挑戦した。完成した本作は、20年カンヌ国際映画祭にてオフィシャルセレクションに選定され、その後も各国の映画祭で高い評価を受けている。またセリーヌ(CELINE)のクリエイティブディレクター、エディ・スリマンによる“PORTRAIT”プロジェクトにモデルとして参加。さらにシャネル(CHANEL)のアーティスティックディレクター、ヴィルジニー・ヴィアールに新しいミューズとして抜擢されるなど、フランス国内のカルチャー&アートシーンで注目を集めている。
『スザンヌ、16歳』スザンヌ・ランドン監督インタビュー
15歳で脚本執筆、若き才能が鮮烈な監督デビュー 思春期の瑞々しさ溢れるひと夏描く
スザンヌは若く世間知らずでも、自分のままでいることを恐れない
パリ・モンマルトルを舞台に、高校生が大人の男性に恋をするひと夏の物語を描いた映画『スザンヌ、16歳』が8月21日より公開される。
主人公のスザンヌは16歳。同年代の友人といても退屈で、恋に憧れはあるけれど、学校の男の子たちが魅力的とは思えない。ある日彼女は、劇場の前で年の離れた舞台俳優ラファエルと出会う。2人はすぐに恋に落ちるのだが、スザンヌは彼との関係に不安を抱き始める。
若干20歳の新鋭スザンヌ・ランドンが脚本・監督・主演をつとめた本作は、2020年のカンヌ国際映画祭・オフィシャルセレクションに選出されるや、大きな話題に。俳優を両親に持つランドンが、15歳の時に脚本を書き、19歳で映画製作に着手。主演俳優として複雑でアンバランスな少女を体現しながら、監督としてその繊細な魅力をスクリーンに映し出している。ランドンに本作を作りたかった理由、脚本に込めた思いを語ってもらった。
・20歳で脚本・監督・主演! 全く新しいフランス映画『スザンヌ、16歳』
ランドン:映画を撮りたいと思った理由はちょっと変わっています。いろんな仕事をしてみたいと夢見る子どもたちと違って、私はずっと映画に出演したいと思ってきました。でもすでに家族が映画業界にいたので、怖くて言い出せませんでした(笑)。この点についてはすごく恥ずかしがり屋だったんです。
実際に映画に出演していい演技をするためには、きちんとした理由があって自分がその役に選ばれたと感じる必要がありました。だから映画に出演し、それが正当なことだと感じるためには、自分で脚本を書かなければいけないと思ったんです。そして少しずつ、この物語に愛着がわき、自分のものになっていきました。次第に頭に映像が浮かび、作品にしたいと思うようになったのです。
ランドン:ある年齢を描きたい、という気持ちから生まれました。脚本を書いた時は15歳、スザンヌの1歳年下でした。高校入学前の夏に書いたんですが、私にとって少し特殊な時期でした。両親や友人と一緒に楽しく過ごしていましたが、ある種の憂鬱感があって、それが何なのか説明できなかったんです。そして、これは自分がいま経験している思春期と関係があるんじゃないだろうかと考えました。人生における微妙な時期です。自分自身を本当に理解し、自分が何者なのかを知る前に、新しい物事や、感覚、感情を知ってしまう時期ですから。
そのうえ、私は恋愛にとても興味があって、恋してみたいと強く願っていました。恋をしたいという気持ちが強かったんです。まだ経験したことのない恋愛感情というものに好奇心でいっぱいでした。それで少しずつ、自分が経験してみたいラブストーリーを書き出しました。同じ年の子たちとはあまり合わなくて退屈していたので、自然に年上の男性との恋愛が思い浮かびました。かつて思春期に私と同じような気持ちを抱いていた大人の男性です。この物語は何かしらの倦怠感、他者と共にいることの難しさを語っています。2人の間に年の差はあっても、彼らの精神状態は似ています。
ランドン:いいえ。この脚本はちょっと変わっていて、とても短く全部で50ページしかありません。長い間下書きのままで放置してあって、この下書きを出演俳優たちに読んでもらいました。よく書き込まれた短編小説のように書いたものです。
私が見せたいものもあれば、見せたくないものもありました。高校1年生の間はこの脚本から離れていました。そしてバカロレアのフランス語の試験の後、再び取り組んだんです。この思春期の少女と35歳の男性の関係はプラトニックなものですが、何かしらセンシュアルな要素も必要でした。2人の間に何かフィジカルなものが欲しかった。それでダンスを考えました。でも後から追加したのはダンスだけで、そのほかは15歳の時に書いたものそのままです。
ランドン:私にとってラブストーリーとは第一に、瞬間のストーリーであり、恥じらいのストーリーです。これは説明できないことだし、言葉で説明したくありませんでした。内気な感情を強調する仕草や沈黙、互いに持つ尊敬の気持ちを表現したいと思いました。それが何より重要だと感じたのは、おそらく私の世代がとにかく話すからです。みんな常に何かを話している。話しすぎと言ってもいいくらい。みんなが自分の考えや意見を話しているので、ちょっと疲れます。2人の人間が真の意味で出会う時、つまり互いを発見する時、彼らは言葉を交わす必要はないと思います。対話以外の方法で2人は互いを感じ、理解し合うのです。彼らに話をさせる必要は感じませんでしたし、語られない物事があるのが好きなんです。全てを説明してしまうと、面白くなくなりますし、もう何もしなくていい気分になります。
すぐに性行為に至る関係ではなく、愛情深く、礼儀正しい関係を描きたかった
ランドン:そのとおりです。執筆を始める前から決めていたことです。映画や写真を撮ったり、本を書くなら、ある時代に特定されないものがいいとずっと思っていました。すべての人が共有する普遍的な感覚を語りたかったんです。見る人それぞれが、自分もその感覚を経験したような気持ちになってほしかった。だからこの作品の中には時代を感じさせるものがいっさいありません。場所や、登場人物たちのコミュニケーションの方法においても同様です。携帯電話を1つ出すのも自分に禁じたんですよ(笑)。普遍的な物語を語るため、すべて普遍的なものでないとなりませんでした。
私は本作で自分が知る「若さ」について語っています。脚本を書いているその時に、自分が経験していた若さです。若い女の子と年上の男性の関係を、今の時代に起こりがちな関係とは真逆のものとして見せたかった。私は「女性の選択」を真っ先に支持します。そしてすぐに性行為に至るような男女の関係ではなく、敬意があり、健全で、愛情深く、互いの同意がある関係、謙虚で礼儀正しい関係を描きたかったのです。
ランドン:この映画では、幸運にも撮影監督のジェレミー・アタールと仕事をすることができました。準備中に彼に出会った時、彼は私の脳みその延長線上にいる人だと思いました(笑)。私が言うことすべてを理解してくれるんです。特に撮影中は、私は俳優でもあったので、時に演技のためにすっかり身を委ねることもあったので、1回指示を出したらすっかり信頼できる環境でないといけませんでした。
カメラが指示的でないというのは、私がカメラの後ろにはいなかったからでしょう。私は監視する側におらず、その反対に、カメラと一緒に演技をしていたのです。でも演じながら指示をすることも必要でした。ちょっとしたシンプルな動きで指示をすると、ジェレミーは完全に理解してくれました。だから本当に自由だったんです。自由でいることは、演出について大きな不安を感じる私にとってはとても必要なことです。背景に水のペットボトルがあってそれが気に入らないだけで、パニックを起こしてしまうほどですから(笑)、どんなに些細なディティールもすべて撮影前に確認します。すべてが私らしくなければいけません。その代わりすべてが整えば、私は自由を感じ、自信が湧いて、何かを試す力があると感じられます。
ランドン:はい、そう言えると思います。彼女は若いので世間知らずですが、自分の欲しいものを欲しいと言うことや、彼と一緒にいるときも自分のままでいることを決して恐れないと思います。彼女は誘惑したわけではなく、知らず知らずのうちに彼が魅了されているのです。彼女が終止符を打つのは、空想ではなく実際に彼のことを知るようになると、彼女にとって彼がある種の脅威になり始めたからです。2人の物語に終止符を打つのが彼女であるということは、私にとって非常に重要なことでした。なぜなら、この恋によって、彼女は前に進むことができ、希望やエネルギー、現実の生活に直面しても退屈しないことを示す方法だったからです。
彼は彼女にたくさんの優しさと敬意をもって接し、彼女は彼に影響されることなく自分らしく生きています。彼女は自分が乗りたくないときにはスクーターに乗らず、自分が思っていないことを無理にすることもなく、自分の人生を前進させることができると思えば、愛する男性と別れる強さも持っています。
ランドン:大切なのは、ちょっと変なところはあるけど、特に問題のない若い女の子を描くということでした。同級生の子達とも、家族とも特に問題はなく、信頼と仲間意識を持っている。それが、ラファエルの前に現れる時、彼女をよりいっそう孤独にしているんです。外的な問題がないということが、彼女が持っている憂鬱をより強くするんです。
確かに、スザンンヌと父の関係、スザンヌと母の関係は異なります。最も顕著に関係性に差が出る年頃だと思うからです。彼女は父親をテスターのように使います。変な質問を投げつけたりするけど、決して深くは掘り下げません。母親については、映画ではほとんどスザンヌの疑問には関与していませんが、スザンヌが最後に泣きつくのは母親です。このシーンのフロランス・ヴィアラの演技が大好きです。驚いたり、判定をくだすような表現を一切していません。
スザンヌに何が起きているのかを理解してもらうため、両親とのシーンを書くのは重要だと感じてました。最初は両親に対して非常に軽やかに接していますが、最後にはこの関係は変化します。両親の必要性が強調されます。彼女は両親の元に戻り、母親に支えてもらい、守ってもらうことが必要なのです。
ランドン:私はすごく幸運でした。プロデューサーのキャロリーヌ・ボンマルシャンが私を信頼してくれて、ブロックすることなく、ついてきてくれました。やりたいことを自由にやらせてくれました。王道の資金調達はせず、ただ脚本を読んでもらって、出資を決めてくれた人々に助けてもらいました。
低予算で作りましたが、撮影には3週間強かけられました。すごく短い期間に思われると思いますが、皆が同じエネルギーを持ってくれたので、助かりました。
多くのことを考える時間はありませんでしたから、素早くいろいろなことを試しました。うまくいくかいかないか、試しながら。基本的にこういうやり方は楽しいものです。常にリスクをとり続けることになりますから。落ち着かなかったり、危険を感じる時、私はさらに強く本能を発揮し、ただそれに従います。
ランドン:私が吸収してきたすべてのものを映したかったんです。例えばピナ・バウシュの振り付けが子供のころから大好きで、もう私の一部になっています。それからダンスを使うことで物語を少し崩すことができました。映画にまるで関係ない、ちょっとした挿入句の効果をねらいました。
ダンスはコミュニケーションをとる別の方法でもあります。同じヴィヴァルディの音楽に乗せて2人が踊るシーンは、最初はカフェ、次に劇場の舞台で2回ありますが、理由なく挿入したのではありません。この2つのシーンは同じことを語っているのではありません。カフェでは彼らは恋に落ちます。彼らは完全なる相互浸透状態にあることに気がつきますが、まだ2人のストーリーは始まっていません。劇場の舞台で踊るときは、実行することなく愛を交わしているのです。
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