政府に映画制作を禁じられながらも映画撮影を続けるパナヒ監督最新作
世界3大映画祭ほか主要映画祭にて高く評価され続け、イラン政府に映画制作を禁じられながらも圧力に屈せず映画撮影を続ける名匠ジャファル・パナヒ監督。第79回ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞した最新作『熊は、いない』より、パナヒ監督自身が演じる主人公が、村の奇妙なしきたりを聞かされる場面を切り取った本編映像を紹介する。
・収監中のイラン人監督がハンガーストライキを開始「おそらく命が消えた私の体が刑務所から解放されるまで…」
本作は、事実と虚構を織り交ぜ、規律が厳しいイランだからこその隠喩がそこかしこに散りばめられた、フィクションとノンフィクションのハイブリッド作品。パナヒ自らが映画監督役として主演を務め、迷信や圧力、社会的な力関係によって妨げられる2組のカップルに起きる想像を絶する運命を描く。
国境付近にある小さな村からリモートで助監督レザに指示を出すパナヒ監督。偽造パスポートを使って国外逃亡しようとしている男女の姿をドキュメンタリードラマ映画として撮影していたのだ。さらに滞在先の村では、古いしきたりにより愛し合うことが許されない恋人たちのトラブルに監督自身が巻き込まれていく。2組の愛し合う男女が迎える、想像を絶する運命とは? パナヒの目を通してイランの現状が浮き彫りになっていく。
今回解禁された本編映像は、パナヒ監督演じる主人公が滞在している宿に村人たちが訪ねてくるシーン。村人のひとりが神妙な面持ちで「村の写真を撮っておられたかな?」と尋ねる場面から始まる。パナヒが写真を撮ったことをすぐに認めると、「実は厄介な問題になって、あんたにしか解決できん」とその村人は訴え、村に古くから伝わるという、ある“しきたり”をパナヒに聞かせる。
それは、“女の赤ん坊のへその緒は、未来の夫を決めてから切る”という奇妙な風習。ゴザルという村の娘をめぐり、“へその緒の契”によって決められていた許嫁ヤグーブと恋人ソルドゥーズとの間で三角関係になっているのだという。そこで、しきたりを破り、逢瀬を楽しむゴザルと恋人ソルドゥーズの証拠写真をパナヒが撮っているのではないかと村人たちは騒いでいるのだ。
しきたりに縛られ、愛し合う恋人同士を別れさせようと必死な村人たちと、よくわからない風習に振り回される村の青年にまつわる話を、硬い表情で聞くパナヒ。小さないざこざに思えるこの出来事が、パナヒを巻き込み大きな事件になっていく。最初は皆笑顔だったが、いつしか気まずい雰囲気が漂いだす。この先の展開が気になる場面だ。
さらに、映画監督の瀬々敬久、ラッパーで監督作『シン・ちむどんどん』がヒット中のダースレイダー、フォトジャーナリストの安田菜津紀、宗教学・ペルシア文学研究者の村山木乃実ら各界で活躍する著名人をはじめ、全国各地の劇場スタッフから絶賛コメントが到着した。
・[動画]映画完成後に監督逮捕、現在も政府の監視下に/『熊は、いない』予告編
瀬々敬久(映画監督)
怒りていう、逃亡にはあらず。ラストシーンを見た瞬間、この言葉を思い出した。
映画をもって抵抗する作り手たちの魂。それでも尚、ユーモアをもって語られていることに心震えた。
ここに映されている出来事は今も世界中で起こっている。
ダースレイダー(ラッパー)
イラン映画を見る時は、画面に映っている事象の奥に広がる外部を想像する必要がある。この映画ではあらゆる場面の奥から外部の牽引力が働き、見ている僕を一気に最後まで連れていってしまう。それ自体がすごい体験だが、連れていかれた先でのエンジン音の余韻は今も響いている。外に、熊はいないのか?
安田菜津紀(メディアNPO Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)
ここにあるのは閉鎖社会の呪縛と、「撮りたい画」という暴力性だった。
抑圧に抗い、時に表現の世界を内省的に見つめる監督が、一日も早く映画の現場に戻ることを願う。
小野寺系(映画評論家)
なぜ逮捕されても禁止されても、自国が“知られたくない”実情を題材にし続けるのか。
ジャファル・パナヒ監督が命をかけて闘い続ける理由が、本作で明らかになる。
いびつな社会が生み出す物語は、私たちの生きる場所についての話でもある。
だからこそここで監督自身が表現する覚悟の姿は、いまを闘うための勇気を与えてくれるのだ。
村山木乃実(宗教学、ペルシア文学研究者)
『これは映画ではない』(2011年)から続く、「映画の否定としての映画」の傑作。
タイトルの「熊は、いない」を理解するには、映画の中盤に登場する村人のセリフ
「〔熊は〕いるもんか 俺たちを怖がらせる作り話さ 怖がらせて力を得る者がいる 熊はいない 張り子だ」
が鍵となる。国境付近の村に、熊は、いない。しかし熊がいることを信じる迷信は、ある。
その迷信に振り回されているのは誰か、それを使い権力を握る者は誰か。
映画に巧みに散りばめられたイラン社会が抱える問題のメタファーには、厳しい状況に置かれながらも、イラン国内にとどまり続けるパナヒ監督の痛切なメッセージが込められている。
大場正明(映画評論家)
劇中でパナヒから儀式を撮影してくるように頼まれた村人は、不慣れなために録画と停止を逆に操作してしまい、図らずもそこには村人たちの本音が記録されている。そんなエピソードにはパナヒの狙いが示唆されている。
本作は、ある場面や出来事が撮影された(されなかった)ことをめぐって展開していく。
登場人物たちは、映像や画像に翻弄され、彼らの運命までもが大きく変わる。パナヒは、登場人物たちの関係に常にカメラを介在させることで、抑圧や軋轢を炙り出し、閉塞したイラン社会を浮き彫りにしている。
藤本高之(イスラーム映画祭主宰)
トルコの町とイランの村、2つの場所でパナヒ監督の思惑が予期せぬ波紋を呼び、
現実を携えた虚構(フィクション)はやがてカオスと化す。
映画撮影や国外への出国禁止、国家の暴力に晒されながらも映画を作り続ける監督が、
自身の芸術の在り方について内省を試みた野心作。
新宿武蔵野館(支配人/菅野和樹)
ジャファル・パナヒ監督を知らなくても、映画を見れば《熊》とは何かを知ることができます。
すると不思議と監督のことを知りたくなるはずです。世界で最も勇敢な映画監督のことを。
静岡シネ・ギャラリー(副支配人/海野農)
ジャファル・パナヒ監督が彼の映画作りの前に立ちはだかるハードルをアイディアと覚悟で跳び越えたりくぐり抜けたりしながら、あたたかいユーモアと鋭い批判性をそなえた新作を届けてくれるたびに、心の中で喝采を送っています。今回も痺れました。
ところで、自作に本人役で出演する映画監督が時々いますが、彼ほど良い塩梅で「映画監督のジャファル・パナヒおじさん」を演じられる人はいないと思います。俳優パナヒの「良い塩梅」ぜひご注目ください。
伏見ミリオン座(副支配人/岩﨑方哉)
第79回ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した今作『熊は、いない』。
興味をそそるタイトルの物語の中身は、パナヒ監督が撮るドキュメンタリードラマのカップルと、パナヒ監督が滞在する国境近くの村でのカップルという2組を通してイランの現状を描くという力作だった。熊はいるのかいないのか、ぜひ劇場でパナヒ監督のメッセージを受け取って欲しい。そしてきっと思うだろう。
パナヒ監督の作品をこれからも見続けたいと。
シネ・リーブル梅田(営業係/瀧川佳典)
緩やかで朴訥とした演出ながら107分間緊張が途切れることがない。しきたり、掟、教義、法律、文化、文明、権力、正義、自由、家族、国境、友情、愛情、子ども、責任、幸福、平和、そして“映画”について考えさせられる見事な作品。どんな圧力や苦難にも屈することなく映画を撮り続けるジャファル・パナヒ監督は、きっとカメラとPCの上に手を置いて映画の神様に宣誓したのだと思う。彼の強い意志と覚悟と行動力に勇気をもらった。
アップリンク京都(副支配人/鳥井優希)
日本に暮らしている中ではおおよそ直面することのない、イランの不条理な問題を目撃すると同時に、慣習に従って生きるイランの人々の言動からはある種の既視感を覚える。
ドキュメント性が極めて高く感じる演出だからこそ身に迫るものがあり、果たして自分はあの村人のように【熊】なんか居ないと言えるのか、そもそも日常に潜む【熊】をどれだけ認識できているのか試されているようにも感じた。
KBCシネマ(スタッフ/八重尾知史)
虚実をいとも簡単に、幾度も越境して見せる鮮やかな語り口が浮かび上がらせるのは、戒律やしきたり、こうであれという願い、恐れるべき熊。大いなる者の不在の中で抑圧し合う人間の愚かな営みを冷ややかに見つめながらも、映画監督という、この世で最もエゴイスティックなアーティストをも皮肉に晒してみせる自己言及っぷりに痺れました。
『熊は、いない』は9月15日より全国順次公開。
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