ジョニー・デップ、報道写真家ユージン・スミスの作品は「一枚一枚にいつも真実が示されている」
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孤高の報道写真家ユージン・スミスの魅力を伝えるショート動画
ジョニー・デップ製作・主演で日本四大公害の1つ水俣病を世界に知らしめた写真家ウィリアム・ユージン・スミスを描いた『MINAMATA―ミナマタ―』が、9月23日に公開される。このたび、写真家ユージンを紐解くショート動画が公開された。
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ショート動画は、ユージンを紹介するジョニーの語りを交えつつ進む。
ユージンは高校時代から写真家として活躍し、第二次世界大戦中、戦場カメラマンとしてサイパンや、硫黄島、沖縄戦などの激戦地を撮影。戦後も何気ない日常に潜む人間の素顔を切り取ったフォト・エッセイで「LIFE」誌のメインページを幾度も飾った。世界的写真家集団「マグナム・フォト」の正会員であり、「ポピュラー・フォトグラフィー」誌より世界の十大写真家の一人にも選出されている。
しかしユージンは、世界的な評価を得る一方で、ジョニーが語るように、「数々の苦難を経験し、重傷を負って孤独だった」。戦争で心と体に大きな傷を抱えていたのだ。
そんなユージンが人生の最期に選んだテーマが水俣病だった。
当時の水俣の状況に衝撃を受け、1971年から3年間、パートナーのアイリーン・美緒子・スミスと共に水俣市に移住。患者の家や病院、抗議集会や裁判所、チッソ東京本社前など様々な現場でシャッターを切り続けた。
水俣の人々と交流し、その飾らない人柄で友情を芽生えさせていくユージン。ジョニーが言うように、「ユージンの写真に惹かれ続けたのは、一枚一枚にいつも真実が示されているから」だ(ショート動画はこの記事の最後にあります)。
ロバート・キャパ賞受賞の写真家ユージン・スミスの晩年を描く
本作品は、熊本県水俣市のチッソ工場の廃水を原因とした日本四大公害病のひとつ水俣病を世界に知らしめた写真家ウィリアム・ユージン・スミス(William Eugene Smith)の実話に基づく映画。
ジョニーは、長年の憧れであるユージンの遺作となった写真集「MINAMATA」を基に、「映画の持つ力をフルに活用して、この歴史は語り継がなければならない」と自ら製作、主演を努めて映画化した。その他の出演は真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子、ビル・ナイ。監督はアンドリュー・レヴィタス、音楽は坂本龍一。
本作品の舞台は、71年のニューヨーク。あるときユージンは、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。水銀に侵され歩くことも話すこともできない子どもたち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側──そんな光景に驚きながらもシャッターを切り続けるユージンは、チッソの社長からのネガを大金で買うという申し出を拒否したために危険な反撃にあう。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮る……。
ユージンは、アイリーンと水俣市に暮らしながら3年間にわたり水俣病の問題を取材し、75年にアイリーンと連名で写真集「MINMATA」をアメリカで出版すると、世界中で大反響を巻き起こす。翌年、ロバート・キャパ賞を受賞した。
この原案となった写真集「MINAMATA」は長らく絶版となっていたが、9月7日に約40年ぶりに再出版される。
また、ノンフィクション作家・石井妙子の最新作「魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣」も9月10日に発売される。
『MINAMATA―ミナマタ―』は、9月23日に公開される。
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