大義があれば虚実を気にするのは無意味なのか。感動と複雑な感情が入り混じる『MINAMATA―ミナマタ―』
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ジョニー・デップが演じるスミスの姿に心揺さぶられる
【週末シネマ】何とも言えない感情が湧き起こった。日本でも忘れ去られかけている、20世紀後半に認定された公害問題を扱う映画がジョニー・デップ主演で作られたという感慨と、物語はこう語られるのかという驚きだ。
アメリカ人のカメラマン、故W.ユージン・スミスと元妻のアイリーン・美緒子・スミス氏の共著で1975年発表の写真集「MINAMATA」を原案とする本作は、1971年から1974年まで2人が滞在した水俣での日々に焦点を充てている。
・ジョニー・デップ、“野次馬するヒマがあったら困っている人に目を向けよう”…記者会見で熱く語る
化学物質製造会社チッソの水俣工場の工業排水に含まれた有機水銀によって海が汚染され、地元住民の健康を蝕んだ「水俣病」の患者やその家族に寄り添い、損害賠償を求めて戦う人々をカメラに捉えていく活動、チッソ社長との対決も描かれる。
スミスが撮影した「MINAMATA」を象徴する1枚、胎児性水俣病患者の少女が母親に抱かれて湯船に浸かる「入浴する智子と母」は1972年に「LIFE」誌に掲載され、世界に向けて当時の水俣の姿を強烈に訴えかけた。
本作プロデューサーも務めるデップは白髪まじりのひげをたくわえ、仕草なども実物そっくりで、外側からも内側からもスミスになっている。両者の外見は比較的似ているが、さらに互いの魂が呼び合ったかのような佇まいには素直に感動を覚える。
水俣行きを持ちかけられる前、ニューヨークに暮らす当時50代のスミスは、かつて従軍取材をした沖縄戦で負った古傷に苦しみ、薬や酒に溺れて仕事への意欲も失っていた。そんな彼は日本からの取材で通訳を務めたアイリーンと出会い、水俣へと導かれる。
世捨て人のように荒みながら、優しさもある。聖人ではないが、信念を貫こうとする。写真という媒体で表現する芸術家として、また心身の苦痛で壊れかけた人としてのスミスの姿に、何よりも心を揺さぶられる。
サスペンス部分は紋切り型だが、浅野忠信ら日本からのキャストの演技は見事
映画そのものに対しては、1つの作品が2つに分裂している印象を受けた。スミスがアイリーンと2人で水俣に長期滞在し、人々と交流を深めて彼らをカメラに収める様子を繊細に描くドラマと、紋切り型のサスペンス描写は、1つのコップに入れた水と油のように分かれている。
冒頭、浅野忠信が演じる水俣病患者の子を持つ父親を見て、「この作品は信じられるのでは」と思った。アイリーン役として英語の演技に奮闘する美波、補償を求めて大企業と戦う人々を演じた真田広之や加瀬亮、チッソの社長を演じた國村隼をはじめ、日本から参加したキャストは文句なしの貢献だ。スミスの写真家人生を変え、世界を揺るがせた決定的な1枚を撮るシーンの美しさは忘れ難い。
「正しく伝えたい」というデップの思いは?
いろいろな思考を促す作品だが、とりわけ考えたくなったのは作品資料にデップの本作への思いとして記された「正しく伝えたい」ということだ。水俣でのスミスの行動、その身に起きたことなど、違和感を覚えたいくつかの描写について調べると、その多くは実話ではなかった。
『MINAMATA―ミナマタ―』はもちろん劇映画であり、ドキュメンタリーではない。だが、史実に沿った物語に差し込まれる架空のエピソードの数々が、公害問題に関わる重要な部分にまで及んでいることには複雑な感情を覚える。
脚本にはアンドリュー・レヴィタス監督、これが長編映画デビュー作となるデヴィッド・K・ケスラーほか4名がクレジットされている。過剰な脚色は出来の良くないスリラーのように凡庸で、エンターテインメントとしても効果的とは言い難い。
スミスのありのままの功績を、関わった人々を、彼らが生きた現実の持つ力を、作り手側はもっと信じてもよかったのではないかと個人的には思う。だが、水俣で起きたことを広く知ってもらうという大義があれば、細部の虚実にこだわるのは無意味なのだろうか。
水俣病が1956年に公式確認されて今年で65年になる。今もまだ患者認定されずにいる被害者の存在も含めて、これは過去ではなく現在進行形の出来事だ。
言いたいことはまだあるが、それは呑み込むことにする。他ならぬアイリーン・美緒子・スミス氏が必ずしも事実通りではない映画の描写について、英字メディア「KYOTO JOURNAL」のインタビューで「私はある種の悟りを得た。それは、手放すということです(I’ve had a sort of epiphany. It’s about letting go.?)」と語っているからだ。こうして手放すことで、スミスと彼女が伝えたかったメッセージがより多くの人に届くようになるという。
事実から大胆に飛躍する描写について、実際にその場にいた関係者や考証のコンサルタントがそれで良しとしたならば、部外者が口を挟むのは無用だろう。「正しく伝える」ということについて、私はもう少し考えてみたい。(文:冨永由紀/映画ライター)
引用/「KYOTO JOURNAL」該当記事
(https://www.kyotojournal.org/conversations/aileen-mioko-smith-pt1/)
『MINAMATA―ミナマタ―』は2021年9月23日より公開
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