【週末シネマ】ディカプリオの高い声も計算の内!? イーストウッド流アプローチの妙
連邦捜査局(FBI)で約半世紀もの間、初代長官として君臨したJ・エドガー・フーヴァー。1920年代から、8人の大統領のもとで3つの戦争を経験し、科学捜査の導入や伝説的なギャングたちの逮捕に関わった英雄であると同時に、要人たちの秘密を掌握することで他者の介入を許さない権力を手にした人物だ。同性愛、女装癖などスキャンダラスな噂はあるなか、徹底した秘密主義で自身について多くの謎を残したまま世を去った男の物語を、クリント・イーストウッド監督が主演にレオナルド・ディカプリオを迎えて撮った。
冒頭の1960年代前半、すでに老境に達したフーヴァーが40年に及ぶ自身のキャリアを語り始めると、まずその声にギョッとする。少し高めで少年っぽさが残る、いつものディカプリオのままだ。メイクで見事に変貌した外見なのに声が全然老けていない。まるでコント。これで2時間以上も大丈夫なのか、と思う。しかし、じきにそれは敢えての手法なのだと確信する。
老け顔と若い声の収まりの悪さは、フーヴァーの語る虚構と現実が生み出す違和感を象徴しているかのようだ。あらゆる手段を駆使して事実をねじ曲げてでも自らの”偉業”をアピールするのがフーヴァーのやり方、だが、画面に大きく映し出された彼が話す物語は、その風体と同様、彼自身が思うほど説得力を持たない。カメラは、なりたい自分の理想像を事実として自信満々に語る男に対する聞き手の意外に醒めた視線そのものなのだ。
それにしても、畏れられこそすれ、愛すべき存在ではなかったはずの男なのに、弱さを見せる瞬間に何とも言えない哀れがにじむ。依存していた母親の死、公私ともに寄り添い続けた側近トルソンと一度だけ起こす修羅場、口述筆記をつとめる若い書記官の一言に虚栄心をくすぐられてほんの一瞬無防備になる表情など、随所で繊細な演技を見せるディカプリオの愛嬌のなせる技である。
徹底したリサーチで役に近づくと同時に、役を自分へと引き寄せもする、映画スターの力だ。病的なまでに疑り深いフーヴァーが信頼を寄せた2人の”伴侶”秘書のヘレン・ガンディ役のナオミ・ワッツ、クライド・トルソン役のアーミー・ハマー、そして支配的な母親を演じたジュディ・デンチ、とキャスティングは全て素晴らしくはまっている。
フーヴァーとFBIの功績を畳みかけるおしゃべりな前半は、派手な宣伝で世間を煽るフーヴァーの手法に則ったもので、本来のイーストウッドのスタイルとは対極的。やがて、映画は徐々に過剰さを取り払い、静けさが支配していく終盤は監督の真骨頂だ。たとえば、愛情を描くには、倒れた者の尊厳を守るためのシーツを探す、その手を映せば十分なのだ。
自らの帝国を築き上げた権力者の孤立を描く名作は数多く、古くは『市民ケーン』、最近では『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』などが思い出される。ひたすら深刻にすることもできるが、イーストウッドはそこにある種の軽やかさを取り込む。人生なんてそんなものだ、というふうに。死というものの捉え方も印象に残る。美しくもなく醜くもなく、肉体が空っぽになる様を描く、その恐ろしいほどのリアリズム。遺された人物とともに感傷に浸ることはしない。ただその場に寄り添い、静かに見つめるだけだ。
前述の2作は監督が20代、30代で撮った作品だが、80 歳を過ぎて本作を撮ったイーストウッドは長く生きている分、人間をより良く知っている。年若い脚本家、ダスティン・ランス・ブラックとの相性も良く、理想と現実のギャップから生まれる滑稽さを逃さず形にした。
英雄であり、卑劣漢。唯一無二な存在である以前に、ただの1人の人間。フーヴァー長官を礼賛せず、断罪せず、J・エドガーという男の内面を描くことに徹した作り手たちの選択に感服した。
『J・エドガー』は1月28日より丸の内ピカデリーほかにて全国公開される。(文:冨永由紀/映画ライター)
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