性的で凶暴な“犬の力”に翻弄される人々を通じてジェーン・カンピオンが描き出すものとは
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ベネディクト・カンバーバッチ主演、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞作
【週末シネマ】今年9月の第78回ヴェネツィア国際映画祭で、監督賞に当たる銀獅子賞を受賞したジェーン・カンピオン監督の『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は、1925年のアメリカ西部の物語だ。ベネディクト・カンバーバッチを主演に迎え、モンタナ州の牧場経営で成功を収める兄弟、弟が結婚した未亡人と彼女の息子が織りなす複雑な関係を描く。
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『ピアノ・レッスン』で女性監督として初のカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞を果たし、近年はTVドラマ『トップ・オブ・ザ・レイク 消えた少女』を手がけたカンピオンが12年ぶりに監督する映画の原作は、アメリカの作家、トーマス・サヴェージが自伝的要素も込めた同名小説。『パワー・オブ・ザ・ドッグ』とは、旧約聖書に収められた詩篇の一節「私の魂を剣から、最愛の人を犬の力から救ってください」を引いたものだ。
カンピオンは“犬の力”について、「動物のような本能であり、性的で凶暴で、強く危険な情熱のようなもの」と表現している。
嗜虐的で粗暴な兄は、弟と結婚した未亡人とその息子を追い詰め…
カンバーバッチが演じるフィル・バーバンクは粗野なカウボーイであると同時に有能な経営者だが、他者への思いやりは皆無で嗜虐的な暴君だ。弟のジョージは対照的に心優しい。従順で地味な弟は、フィルにとって一種の安定剤のような役割も果たしている。
そんな兄弟の均衡を崩すのが、彼らが牛追いの途中で立ち寄った宿を切り盛りする未亡人のローズだ。ジョージとローズは惹かれ合い、すぐに結婚までこぎつける。ジョージとローズを演じるのは実生活でもカップルである、ジェシー・プレモンスとキルステン・ダンストだ。
ローズには10代の息子ピーターがいる。手先が器用で、自ら作った造花を宿の食卓に飾る少年だが、フィルはそんなピーターをあからさまに馬鹿にする。理不尽な扱いにも感情を抑えて静かに耐える少年を演じるのは、『X-MEN:ダーク・フェニックス』などのコディ・スミット=マクフィーだ。
バーバンク家で幸せな生活をスタートさせた弟夫婦にフィルはつらく当たり、特にローズに対しては嫌がらせや罵詈雑言を容赦無く浴びせ続ける。劣等感を煽ってくる義兄の仕打ちにローズは不安定になり、アルコールに依存していく。ピーターは母と裕福な男性の結婚によって、都会で医学を学ぶ機会を得るが、帰省した際に変わり果てた母に衝撃を受ける。母と2人で生きてきた彼は、母を守るのは自らの使命だと考えていた。
粗暴なフィルはピーターの繊細さも揶揄するが、ある出来事をきっかけに伯父と甥の関係に急激な変化が訪れる。
内側から壊れゆく人々を見事に演じるカンバーバッチとダンスト
あらすじを追っていくだけでは、行き着く先はなかなか見えない。だが、物語の持つ引力が凄まじい。禁酒法時代のアメリカで、差別や偏見に満ちた社会を生きる登場人物たちが対峙するたびに、1人1人の抱える複雑な内面がうっすらと見えてくるのだ。
カウボーイの極意を教えてくれた亡き師、ブロンコ・ヘンリーを崇拝し、女々しさを嗤う荒くれのフィルは、実は教養ある男であり、誰にも明かせない大きな矛盾を抱えている。ローズは新しい環境への適応に苦しみ、悪意に満ちた義兄に全否定され、病んでいく。2人はともに “こうあるべき”姿に囚われて内側から壊れている。男らしさという概念に蹂躙され、心に鎧をまとったフィルの意外な脆さ、抑圧されたローズの絶望の果ての虚無の表情。カンバーバッチとダンストの名演から、傷ついた2人の緊張感が痛いほど伝わってくる。
スミット=マクフィーが醸し出す底知れなさも素晴らしい
自身との向き合い方が親世代と大きく異なるのがピーターだ。美しいものが好きで、創造的で、母思いの青年はこの物語の語り部であり、彼らの運命を大きく変えるキーパーソンでもある。ひ弱そうな者の芯の強さ、底知れなさをじわじわと醸し出すスミット=マクフィーは素晴らしい。
ブロンコ・ヘンリーという“幻”が象徴するように、この作品は目に見えないものの気配に満ちている。心の中に棲む犬の暴走に翻弄される人々を通して描かれるのは、人の心の内の見えなさ、誰かを愛することで迫られる決断。百年近く前の物語でありながら、誰もが思い当たるものを紡ぎ出す。カンピオンによる見事な脚色と大胆な演出は圧巻だ。(文:冨永由紀/映画ライター)
Netflix映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は、2021年12月1日よりNetflixにて全世界独占配信開始。それに先立ち、一部劇場にて公開中。
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