【週末シネマ】終盤に猛烈なカタルシス! ひとときも目を離せないサスペンス映画
英国情報局MI6の元諜報員という経歴を持つスパイ小説の大家、ジョン・ル・カレの小説「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を、同国屈指の名優を揃えて映画化した『裏切りのサーカス』。<サーカス>とは、主要人物たちが所属する英国諜報部を指す。東西冷戦下の1970代を舞台に、<サーカス>上層部に潜入しているソ連の二重スパイ<もぐら>をあぶり出すための攻防を描くサスペンス作だ。
スパイが主人公といっても、諜報部のリアルを描く本作には、同じ英国産の『007』シリーズのような華やかさは当然なく、地味なスーツに特徴のない髪形の中年男たちが互いを疑い合い、ひたすら情報戦に明け暮れる。指揮を執るのは、一度は組織を追われた老スパイのスマイリー(ゲイリー・オールドマン)。疑わしき4人の幹部、ティンカー(鋳掛け屋)、テイラー(仕立屋)、ソルジャー(兵隊)、プアマン(貧乏人)の身辺を探っていく。
様々な伏線が張り巡らされ、組織が<もぐら>の正体に近づいていく過程はじわじわとした調子で描かれる。もどかしいような時間の進み方に、70年代という時代を強く感じる。私が幼少の一時期を過ごした70年代半ばのヨーロッパには、新しいものが本当に少なかった。建物も乗り物も道具も何もかも、東京にあふれ返る新しさと較べて、一世代は確実に古びていた。そうした環境が醸し出す抑制や一種の停滞感が映像から伝わってくる。
その一方で、原作に詰め込まれた膨大な情報、複雑な関係性を駆け足で説明していくので、上映時間2時間8分はいかにも短い。個々のキャラクターがちらりと見せる側面は底知れぬ深さをのぞかせ、連続ドラマならば1話分に値するエピソードには事欠かない。私情など押し殺して行動するはずの彼らの感情こそが、物語を大きく動かしていくのが興味深い。共に戦う味方であり、敵でもある男たち。密やかな愛憎に支配された、口数少ない彼らが交わす視線によって進む物語は、1シーン1シーンをこの目でしっかりと見なければわからなくなってしまう。台詞が全てを説明するので画面を見なくてもOK、という映画ではないのだ。
それにしてもゲイリー・オールドマンはすっかり枯れた風情になった。アクが強く、けれんの塊のような人だったのに、いつの間にか完全に自我を消し去るようになっていた。姿形はそれほど変化しない。だが、中味がいつも違う。演じる人物が内側からにじみ出てくる、本物のカメレオン役者になったのだ。そして、それはスマイリーという男に最も必要とされる資質でもある。
老いてますます魅力に磨きがかかるジョン・ハート、『英国王のスピーチ』でオスカー主演男優賞に輝いたコリン・ファースやマーク・ストロングといった脂の乗りきった世代から、新鋭のベネディクト・カンバーバッチ、トム・ハーディに至るまで、新旧の味のある役者がこれでもかと揃う。ほんのわずかな出演のスティーヴン・グレアム、サイモン・マクバーニーといったバイプレイヤーの達人技に惚れ惚れする。渋く、巧い役者を楽しむ作品だ。監督は『ぼくのエリ 200歳の少女』のトーマス・アルフレッドソン。フリオ・イグレシアスのカラッと明るい歌声にのって、男たちの追憶と感情が高まっていく終盤に猛烈なカタルシスがある。エンドクレジットの最後の最後まで見届けてもらいたい。
『裏切りのサーカス』は4月21日よりTOHOシネマズ シャンテほかにて全国順次公開。(文:冨永由紀/映画ライター)
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