スペインの鬼才、ペドロ・アルモドバル監督の原点に返ったような異端性と、熟練工が為せる技のような磨きの掛かったストーリーテリングに大興奮! 鑑賞直後は茫然として自分を取り戻すのにあたふたしてしまったほどだ。
アルモドバル監督はその嗜好や境遇など、一風変わった人物に目を向けてきた。監督自身も同性愛者であり、マイノリティの立場を尊重して彼らのアイデンティティや深い愛情を大事に作品に取り込んできたのだ。
ただ、ここのところは半自伝的『バッド・エデュケーション』(04年)があるものの、『オール・アバウト・マイ・マザー』(98年)などの3部作から“女性賛歌感動作の巨匠”というイメージが強く、これからは巨匠らしい貫禄ある普遍的な作品を手がけていくのかなぁと、ファンとしては頼もしく思いつつも少し寂しく思っていた。もちろん最近の作品もアルモドバル監督らしいドラマ性に満ちてはいるが、初期の頃の変態性とキッチュ感あふれるとんがった感覚は薄まってきていた。還暦も過ぎるという監督にとんがった感覚を求めるほうがおかしいのだろうが、なんと『私が、生きる肌』ではこちらが要求した以上のものを見せてくれたではないか。
本作の主人公は手術室や研究室を備えた大きな屋敷で完璧な人工皮膚の研究に没頭する天才的な形成外科医のロベル。彼は全身大火傷を負った亡き妻にそっくりの美女を、人体実験で人工皮膚を移植して創りあげ、屋敷に幽閉している。異端も異端のマッドサイエンティストが禁断の行為によって亡き妻を蘇らせ、歪んだ愛を注いでいるのだ。このロベルを、映画デビューはアルモドバル監督の『セクシリア』(82年)だったスター俳優のアントニオ・バンデラスが演じ、ポーカーフェイスの下にエゴの塊である狂気の愛を潜ませてエロティックな色香を漂わせている。
その愛を受ける幽閉の美女は肌色の全身タイツに見を包んで、静かに読書やヨガをして過ごしており、なんともミステリアスだ。アルモドバル監督の『キカ』(93年)も手がけたジャン=ポール・ゴルチエが衣装を担当し、切り替えのステッチが入った全身タイツはオーガニックで幾何学的な不思議なデザイン。その全身タイツをまとって読書する彼女が別室の大きなモニターに映し出され、それをロベルが見つめるという画ヅラだけでもエキセントリックでエロティックで倒錯的で変態的! クラクラする独特の世界観に初期のアルモドバル作品の手触りを感じてトリハダが立つ。
でも、これは序の口で、このへんてこなムードを楽しむだけがこの作品の醍醐味ではない。異端者の立場を尊重するアルモドバルは彼らを突き放すのではなく、観客をきちんと彼らに寄り添わせてくれるのだ。バックボーンや家族も描き込み、どんな人間でも絶対に親がいるからこそ存在し、たいていはその親の愛を享受しているちっぽけな子どもであることを実感させる。アーティストだろうと盲目の映画監督だろうと大事故の遺族だろうと、一般的ではない特殊な立場の人間も血の通った普通の感覚を持ち合わせていることを感じさせ、彼らに共感させてくれる。
かくして、マッドサイエンティストが暴走する狂気の愛に対して、観客は倫理的なジャッジを迫られるのではなく、もっと深淵な心理ドラマと人間ドラマの旅に出ることになる。それもしみじみしたものでなく、ロック調ド演歌とでも言うべき、未練と復讐が渦巻く怒涛に揉まれるから、見ているだけでもうヘロヘロ。さらにはマッドサイエンティストだけでなく、彼の産物の美しきモンスターにも共感させられるハメになる。時間軸をさかのぼってみせる熟練のストーリーテラーによって、否応なくさまざまな立場にシンクロさせられてしまうのだ。
彼はどうしてこんなことをするのか、彼女はいったい何者なのか、彼と彼女はこれからどうなってしまうのか。沸き起こる謎に丁寧に答えてくれ、観客は没頭して共感したドラマにぐるんぐるんと振り回される。エロティックでとんがった独特の世界観で見せる、ドラマティックな怒涛の展開にただもてあそばれるしか為す術はない。
本作はフランスの作家ティエリー・ジョンケの小説をモトネタとし、アルモドバル自身『顔のない眼』(59年)やヒッチコック作品、ブニュエル作品を想起したと言っているが、どうしようもないほどに唯一無二の“アルモドバル映画”だ。
『私が、生きる肌』は5月26日よりTOHOシネマズシャンテほかにて全国順次公開される。(文:入江奈々/ライター)
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