この人にしか作れない映画を撮る。そんな監督は少なくなったが、ペドロ・アルモドバルは間違いなくその1人だ。天才的な形成外科医と囚われの美女を描く『私が、生きる肌』の物語は何の情報もないところから始まり、1つの鍵が開けた扉の向うにもう1つの扉を用意し、官能と暴力の深い迷宮へと観客を誘い込む。
・巨匠監督が久々に放ったエロティックで倒錯的・変態的な世界観にクラクラ
2012年、風光明媚なスペイン、トレドの豪邸の一室に美しい女性が幽閉されている。無数のカメラで24時間監視される彼女が身につけているのは肌色のボディ・ストッキングのみ。屋敷の主で世界的な形成外科医・ロベルは、邸宅に併設した研究所で最先端のバイオテクノロジーを駆使して人工皮膚開発に勤しんでいる。彼はなぜ、ベラを幽閉したのか? 2人はどのように出会ったのか? 彼らの世話をするブラジル移民の女性、マリリアの正体は? そしてロベルとベラ、それぞれの記憶に登場する女性のように線の細い美青年は一体誰なのか? 薄皮を一枚ずつ剥がすように、複雑に絡み合う真実が明かされていく。
ロベルを演じるのはアントニオ・バンデラス。『セクシリア』(82年)で映画デビューして以来、『アタメ』(89年)まで数多のアルモドバル作品に出演し続けた彼が、22年ぶりに再びアルモドバルと組んだ。90年代にハリウッド進出後、情熱的なセックスシンボル、陽気なラテン男のイメージが定着したが、本作では感情を表に出さないマッドサイエンティストの内なる激情を、抑えた演技で表現。自覚のない真の狂気とはこういうものだと印象づける。思えば、『アタメ』で彼が演じたのも1人の女性への妄執を募らせる精神を病んだ男だった。本作はエネルギッシュな『アタメ』の過剰さの逆を行くミニマルな表現で、洗練された語り口を実現している。ベラを『この愛のために撃て』(10年)のエレナ・アナヤが、マリリアをアルモドバル作品常連のマリサ・パレデスが演じる。
スクリーンの中に、あらゆるサイズの画面が登場する。監視カメラはモノクロの俯瞰映像と、ズーム機能を自在に操れるカラー映像があり、ロベルの私室の巨大なテレビ画面にベラの顔が大写しになると、囚われの身のベラがロベルを圧倒し、主従関係が逆転するような錯覚を与える。虎の装束をまとった凶暴な侵入者、ルイーズ・ブルジョワの彫刻、針金で矯正される盆栽など、示唆に満ちたイメージやエピソードの数々が、「生きる肌」を変えられても不可侵のアイデンティティというテーマを導き出す。
アルモドバルとの仕事を「真夜中に崖から海へ飛び込むようなもの」とバンデラスは語るが、それが出来るのは監督への信頼があってこそ。彼らと対照的なコンビとして『シザーハンズ』(90年)以来、共に歩み続けてきたティム・バートン監督とジョニー・デップがいるが、一緒に成長してきた彼らと同様、互いへの絶大なる尊敬をもって、アルモドバルとバンデラスは、妥協知らずの問題作を完成させた。あらゆる決めつけや倫理さえも放棄する大胆な展開は観客を選ぶだろう。だが、22年間、別々の道を進んだ2人の芸術家のコラボレーションはより深く、複雑に、成熟したものへと進化を遂げた。
『私が、生きる肌』は5月26日よりTOHOシネマズシャンテほかにて全国順次公開される。(文:冨永由紀/映画ライター)
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