『原爆の子』(52年)や『午後の遺言状』(95年)、『一枚のハガキ』(11年)などで知られる新藤兼人監督が、5月29日午前9時24分、都内自宅で老衰のために亡くなった。
新藤監督は1912年4月22日生まれの100歳。広島県出身で、監督デビュー作は『愛妻物語』(51年)。1950年に松竹を辞め近代映画協会を立ち上げるなど、独立プロの先駆けでもある。
また、公私に渡るパートナーであった女優の乙羽信子とは、デビュー作の『愛妻物語』から乙羽の遺作となった『午後の遺言状』(95年)まで、数多くの作品を生み出してきた。
そんな新藤監督の最後の作品となったのが、昨年8月に公開された『一枚のハガキ』。この作品で記者会見に登壇した監督は、最後の作品と明言していることについて聞かれると「この映画が最後だということは事実です。体が弱りましたし、頭も少し弱りました。それで、続けていくのも限界かと思った」と回答。次いで、32歳の時に召集され軍隊に行ってから、独立プロを作り頑張ってきた半生を振り返りつつ、「ふと気がつくと98歳になっていました。だから、これが限界かと思って映画作りを降りる気でいます」と語った。
さらに、『一枚のハガキ』の公開初日には舞台挨拶に登壇し、「何でも終わりがあるように、私にも終わりが参りました。みなさんとお別れです」と、別れの言葉を口にした。
一方、5月30日には新藤監督の訃報を受け、山田洋次監督が自身の新作『東京家族』の製作報告会見後に囲み取材に応じ、「『一枚のハガキ』が最後と仰っていたけれど、もう1本だけ作りましょうということになればと念じていた」と思いを吐露していた。
新藤監督の通夜は6月2日、告別式は6月3日に東京・芝の増上寺で行われる。
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