【週末シネマ】理知的なイメージを封印し緩んだ体型をさらけ出す堺雅人の新境地
『その夜の侍』
髪がぺったりと顔に張りつき、作業着には汗染み。鬼のような表情で商店街を歩く眼鏡の男が手にしたレジ袋からは包丁の刃が突き出している。彼が尾行する男は、尾けられていることに気づいているのかいないのか、のんきな様子で歩いている。眼鏡の男・中村は5年前にひき逃げ事故で妻を亡くした。そして今、刑期を終えて出所した犯人・木島への復讐を果たそうとしている。
・「無様で愚かでも生きていくのが美学」赤堀雅秋がモントリオール映画祭でティーチイン
木島のもとには「お前を殺して、俺は死ぬ。決行まであと○日」という脅迫状が毎日届いている。今日は8月8日。決行日は5年前に事故が起きたのと同じ8月10日。そこに到る3日間を描く『その夜の侍』は、監督・脚本の赤堀雅秋が劇団「THE SHAMPOO HAT」で演出・主演した同名戯曲の映画化だ。
喪失感と復讐心と亡妻に止められていた甘いプリンだけを糧に生きている中村を演じるのは堺雅人。理知的なイメージを封印し、分厚いレンズの眼鏡に緩んだ体型で、糖尿病気味の鉄工所経営者になりきっている。悲しみに浸り過ぎた人間のとる、傍目には奇異な行動をいちいち的確に演じてみせる。罪を償って出所したものの、実は罪悪感など毛頭なかったように傍若無人な木島を演じるのは山田孝之。言いがかりをつけて相手を萎縮させ、意のままに動かして自堕落に生きるクズ男の底知れなさが恐ろしい。彼らがそれぞれ過ごす描写に、ときおり過去がフラッシュバックする。ほぼ台詞なしのまま、カットで状況を見せていく冒頭といい、逆に舞台ではどう表現したのかと思うほど、映画らしい造りだ。
出演はほかに綾野剛に新井浩文、でんでん、谷村美月、安藤サクラに田口トモロヲ。最近の邦画によく登場する顔ぶれがそろい過ぎて、見る前からお腹いっぱいな気がしたが、ふたを開けてみれば既視感を覚えることもない。見事なアンサンブルだ。
強烈すぎる個性の主役2人を中心に物語は進んでいくが、やがて、傍らにそっと佇んでいる人々たちが気になりだす。凶暴なジャイアン・木島に引きずられてばかりの腐れ縁の小林。被害者の肉親としての気持ちを抑えて事態の収拾に腐心する青木先生。息子ほど歳下の木島の玩具にされてヘラヘラしている中年男の星さん。出会い頭の事故のように木島と関わってしまう警備員の由美子。1人ひとりの抱える寂しさ、虚しさが堪(こた)える。彼らは一様に面白くもない話を、意味もなく笑いながら話す。寂しさや怯えがこういう態度をとらせるのか。下手(したて)に出ているのに何となく押しつけがましさが漂う。人の話をあまり聞かず、なぜか1人で聞かれもしないことを喋る。それに対して、中村や木島は全然聞く耳を持たない様子なのに、ちゃんと聞いていて、思わぬタイミングでそれを蒸し返す。その対比が印象的だ。
追う者と追われる者としてもがき苦しむ二つの魂がついに対峙する、雨の決闘シーンには得もいわれぬカタルシスがある。一方、個人的に忘れ難いのは高橋努が演じる、冗談ばかり言っている鉄工所の従業員・久保の存在だった。他人のために涙を流せるという幸せ、そんな人がそばにいてくれるという幸せ。すべてはそれに尽きるのではないだろうか。(文:冨永由紀/映画ライター)
『その夜の侍』は11月17日より全国公開される。
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