映画の歴史も100年を越え、そろそろ伝統芸能の入り口に立ちつつあると言っていいだろう。ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』は、20世紀に花開き、今や爛熟期を迎えた映画という芸術の最も美しかった姿を21世紀にもう一度咲き誇らせた、そんな印象を受ける。
第二次世界大戦から帰還した元海軍兵のフレディは、幸せで豊かなアメリカ社会のなかで従軍時のトラウマに苦しみ、仕事を転々としながら酒浸りの日々を送っていた。そんなある日、船上のパーティに忍び込み酔いつぶれた彼は、翌朝1人の紳士と引き合わされる。彼こそがランカスター・ドッド。新興宗教団体「ザ・コーズ」の教祖<マスター>を務め、作家で医者、核物理学者で理論哲学者を名乗り、「だが何よりも君と同じ人間だよ」とささやく男だ。
「ザ・コーズ」は、トム・クルーズやジョン・トラヴォルタが信奉することで知られる「サイエントロジー」をモチーフにしたとされている。創始者のL・ロン・ハバードと、本作でフィリップ・シーモア・ホフマンが演じるマスターの風貌もやや似ている。その他大勢の信者を前にすると絶大なカリスマ性を放つのに、2人きりになると、揺れ動く内面をちらりとのぞかせて軽く甘えたそぶりも見せる。人の懐に思いきり入り込んでくる何とも言えない胡散臭さが、実に“らしい”。
引き裂かれた魂をもてあますフレディを演じるのはホアキン・フェニックス。義弟のケイシー・アフレックと組んだ偽ドキュメンタリー『容疑者、ホアキン・フェニックス』で見せたブクブクに太った身体から脂肪を削ぎ落し、痩せこけた頬に荒んだ笑顔の迷い人になりきっている。
では、これはマスターによって“救済された”さまよえる子羊の盲目的な信心を描くのかというと、そう簡単な話にはならない。共通項もないのに、彼らは互いに対していびつな憧れのようなものを抱いている。惹かれ合っては反発し合う。それはまるで、悪い相手に引っかかって苦しむ腐れ縁の恋物語のようだ。
監督はロバート・アルトマンを師と仰ぎ、『ブギーナイツ』、『マグノリア』といった群像劇、オスカー2冠の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でも、父性や宗教といったテーマを扱ってきた。俳優の狂気を引き出し、闇のなかの大スクリーンいっぱいに別世界を創造する。今回の撮影には65ミリという特殊なフィルムを使用した。物語の舞台となる1950年代の映画の多くはこのフィルムで撮られたという。『コッポラの胡蝶の夢』、『テトロ』、『Virginia/ヴァージニア』とフランシス・フォード・コッポラ監督の近作を手がけているルーマニア出身のミハイ・マライメアJr.による映像は詩情にあふれ、ドラマティックな美しさを醸し出す。フレディの感情が映っている。そんな錯覚にとらわれる。
謎めく物語の深さに酔いながら、主人公2人と一緒に観客もさ迷う。磁力が半端ではない。何が起きているのか? どこに向かうのか? 答えを求めてというより、単純にもう、その場に釘づけになる。決して放してもらえない、魔法をかけられたような濃密な時間。ほかの誰にも、こんな映画は作れない。(文:冨永由紀/映画ライター)
『ザ・マスター』は3月22日よりTOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開中。
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