5・21公開『私のはなし 部落のはなし』メインビジュアル&制作者メッセージ
「全国水平社」創立100周年を迎えた今年2022年は、水平社の歴史や日本初の人権宣言ともいわれる「水平社宣言」が、さまざまなメディアで取り上げられている。
映画『私のはなし 部落のはなし』は、「部落差別」の起源と変遷から、根強く残る差別の現状までを丸ごと描いた、かつてないドキュメンタリー映画だ。
5月21日の公開に先立ち、メインビジュアルが完成し、さらに、「被差別部落の青春」「ふしぎな部落問題」などで知られる角岡伸彦、「紋切型社会」の著者でTBSラジオ「アシタノカレッジ」金曜パーソナリティーも務める武田砂鉄からコメントが寄せられた。
満若勇咲監督、大島新プロデューサーからのメッセージとともに紹介する。
かつて日本には穢多・非人などと呼ばれる賤民が存在した。1871年(明治4年)の「解放令」によって賤民身分が廃止されて以降、かれらが集団的に住んでいた地域は「部落」と呼ばれるようになり、差別構造は残存した。
現在、法律や制度のうえで「部落」や「部落民」というものは存在しない。
しかし、いまなお少なからぬ日本人が根強い差別意識を抱えている。なぜ、ありえないはずのものが、ありつづけるのか? この差別は、いかにしてはじまったのか?
同作は、その起源と変遷から近年の「鳥取ループ裁判」まで、堆積した差別の歴史と複雑に絡み合ったコンテクストを多彩なアプローチで鮮やかに解きほぐしていく。
監督は、屠場(とじょう)とそこで働く人々を写した「にくのひと」(07年)で第1回田原総一朗ノンフィクション賞を受賞するも、劇場公開を断念せざるをえなかった経験を持つ満若勇咲。
あれから十数年、プロデューサーに『なぜ君は総理大臣になれないのか』(20年)、『香川1区』(21年)の大島新を迎え、文字通り“空前絶後”のドキュメンタリー映画を作り上げた。
満若監督「覚悟を持って撮影に応じてくださった方に感謝」
フリーライターの角岡伸彦は「被差別部落は、なぜ残ったのか。中世から現代に至るまでの共同体の歴史をたどりつつ、さまざまな立場の人びとが、自分と部落を語った傑作ドキュメンタリー」と振り返り、ライターの武田砂鉄は「具体性がないまま膨らみ、実態を確認せずに強い拒否反応だけが生まれる。それは、今、この社会のあちこちで起きていることではないか。歴史を知ると、強烈な問いが現在の自分に向けられる」とコメントした。
さらに、プロデューサーを務めた大島新は「ここ数年、私のもとに多くのドキュメンタリー映画の企画が持ち込まれ、『プロデューサーとして参加してほしい』という依頼があったが、『乗った』のは満若監督の『私のはなし 部落のはなし』のみです。勘が働いた、というしかない。この若者に、賭けてみたい。出資を決め、企画が動き出してからおよそ2年後、3時間におよぶ編集の第1稿を見た時の驚きは忘れられない。やろうとしていることのスケールの大きさに圧倒された。期待を遥かに上回る意欲作が誕生しつつあるという予感に、『俺の勘は正しかった! 』と叫びたくなった。この映画は、まことに饒舌である。そしてその饒舌さゆえに、単純な要約を許さない。だから見た人は、それぞれに受け止め、自らの思いを持ち帰って解釈をするしかない。私はプロデューサーとして、このとんでもない作品をきちんと世に届けなければと、身の引き締まる思いでいる」と熱く語った。
また、満若勇咲監督は「現在の部落差別は、その根深さとは裏腹にとても見えにくく分かりづらい。多くの人にとって部落問題は身近な社会問題ではない、というのが正直なところだろう。ぼくも映画制作という機会がなれば意識することはなかったように思う。『部落問題』を題材にした映画作りは難航した。カメラには映らない。けれど確かにそこにあるものを、どのように映像で表現すればいいのだろうか? 悩んだ末に、僕は人々の『はなし』を紡ぐことで、意識の奥底にある『部落問題』の存在を感じさせることができるのではないかと考えた。そのために3時間25分という長さが必要だった。部落問題を解決する道はまだ見つかっていない。撮影することは当事者の方々が差別を受けるリスクを伴う。そのような現実のなか、覚悟を持って今回の撮影に応じてくださった皆さんに心から感謝します」と、メッセージを残した。
『私のはなし 部落のはなし』は、5月21日から全国で公開される。
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