民族間の対立を解くカギ…「矛盾や違和感を指摘するのではなく、ありのままを受け入れる」
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『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』言語学者・伊藤雄馬インタビュー
6ヵ国語を自由に話し文字のないムラブリ語の語彙を収集する言語学者・伊藤雄馬と共にムラブリ族を追ったドキュメンタリー映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』が3月19日より公開される。このたび、伊藤のオフィシャルインタビューが届いた。
本作品に関わるようになったきっかけは、2017年、金子遊監督とタイ北部のナーン県のフワイヤク村の調査地での出会いだという。
「僕は調査で2週間位滞在していました。金子監督はムラブリの噂を聞いて来られ、『日本人がいるとは思わなかった』と驚いていました。僕も日本人が来るとは思っていなかったので、『どうしたんですか?』と聞いたら、映像を撮っている方とのことで、僕は自己紹介がてら『ムラブリの方言を比べる研究をしています。お互い嫌い合っていて、避けているんですが、引き合わせてみようと思っていて』という話をしたら、『それ、映画になりそうですね』という話になりました」
ムラブリ語の魅力は、音・響きにあるという。「森の中でも遠くまで響く、裏声の歌声のような音が好き」と語る。
もっとも、ノマド生活を送るラオスのムラブリ族の文字のない言葉を研究するには、密林いる彼らと実際に話して辞書を作る必要があり、英語などメジャーな言語とは研究の仕方が根本的に違う。コロナ前は年に2回、多いときで3〜4回行き、1ヵ月ほど森の村に滞在していたという。
「ムラブリ語は文字を持たないので、自分で資料・データを得なければなりません。フィールド言語学という言い方をするんですけれど、現地に行って、自分でデータを取ってきて分析をするという手法の言語学です。文字がないので、英語の辞書にある発音記号のようなものを使って、会話などを書き起こして分析します」
ムラブリの人たちと接する際に心がけていること、金子監督に事前にお願いしていたことはあるかとの問いには、次のように答えた。
「ムラブリはタイの中で“経済的に貧乏な人たち”とカテゴライズされています。タイは仏教国で、施し・寄付の文化があります。徳を積むために物を人にあげたりお寺にお参りに行ったりするんです。ムラブリに何かをあげることも徳を積む行為になっていて、毎日毎日外部の人が来て、服をあげたり、お菓子をあげたりするんです。その寄付は確かに助けになっているんですけれど、『お前たちは貧乏だ』『お前たちは施しがないと生きられない』というメタメッセージを含むことも避けられず、ある意味では侮辱なんです。外部の人たちは施しにやってくる人たちばかりなので、僕も最初は“お前もそういう人だろう”という眼差しをムラブリから受けていました」
それを解消するための工夫として、何年も通って一緒に住んだり、ご飯を食べたり、ムラブリの言語や文化を学んだりした。そんな活動を通じて、彼らの自分を見る目が変わってきたという。
「『ありがとう、これお金』じゃなくて、『一緒にご飯食べよう。一緒にお酒を飲もう』というやり方で友だちとして付き合うということを続けていました。金子監督に直接言ったかは覚えていないですけれど、そういう僕の態度を金子監督はわかってくれていたと思います」
今回、金子監督がラオス側のムラブリ族を世界で初めて撮影した価値は高く、「とても貴重」と太鼓判を押す。
「ムラブリには“黄色い葉の精霊”という別名があり、その名前での知名度は高く、首都であるバンコクの人々でも知っているほど、伝説的な存在です。彼らは外部の人との接触を避けてきた時代が長く、他の人たちが近づくと逃げてしまい、残っているのがバナナの葉っぱを使った風除けだけでした。誰かがいた形跡があるけれど、誰も会ったことがない、だから“精霊”という名がつきました。“精霊”と言いましたが、現地語のニュアンスは“おばけ”に近いもので、蔑称です。現在では“精霊”とは呼びません。タイ側で定住した後のムラブリは様々なメディアで取り上げられていますが、“精霊”と呼ばれる理由 となったムラブリの森での生活はまだ誰も撮影していません。ですから、今回ラオスの映像はとても貴重です」
本作品では、互いに伝聞でしか聞いたことのない別のムラブリ族同士が初めて会う機会を創出する。伊藤はそれぞれと話していて別のグループを「人食いだ」と怖れていることに以前から違和感を抱いていたのか問われると、民族間の対立を解く鍵になりそうなコメントを寄せた。
「『刺青をしているムラブリは悪いムラブリだ』という話をするそのおじいさん本人が刺青をしていたこともありました(笑)。そういうのを見て、『矛盾しているな』とは思っていたんですが、別のグループの話が『良いムラブリ、悪いムラブリ』の判断基準になっていて、 言わば“規範”として現在も機能してコミュニティを形成しているようにも見えます。僕の感じる矛盾や違和感を指摘することはせず、それが彼らのリアリティだと受け入れた上で、違うグループと会うことをどういう風に提案するかを考えました」
最後に伊藤は本作品の見所について、次のようにアピールした。
「ラオス側のムラブリを映像におさめたのは初めてなので、これは見ていただきたいと思います。もう一つ、お互い人食いだと嫌い合って会っていなかった別々のグループにこの映画の最後の方で僕が呼びかけて会ってもらうんです。そのシーンも貴重で面白いシーンだと思います。映像ではカットされていましたが、僕は現場でニヤニヤしながら見ていました。『怖がらなくていいんだよ』と言いながら、お互いの言葉を、『それ、俺らと一緒だ』だとか『それはちょっと違うね』とやりとりしているのを見て、『こういう風に彼らはくっついたり離れたりをしているんだな』と思い至りました。『ムラブリの中でよく起きていたことなんだろうな、これからも起きていったらいいな』と。喧嘩したり仲直りしたりという のは僕らにも日常的にあることですが、このシーンはムラブリの“出会いと別れ”の特徴が出ているシーンだと思います」
文明社会に問いかける、密林の民のノマド生活
本作品は、伊藤と共にカメラが世界で初めて平地民から姿を見られずに森のなかを遊動する「黄色い葉の精霊」と呼ばれるムラブリ族の謎めいた生活を捉えた映像作品。ムラブリ族が言語学的に3種に分けられることをつきとめ、互いに伝聞でしか聞いたことのない他のムラブリ族同士に、初めて会う機会を創出。また、今は村に住んでいるタイのムラブリ族の1人に、以前の森での生活を再現してもらうなど、消滅の危機にある貴重な姿を映し出す。
タイ北部ナーン県のフワイヤク村は、300人のムラブリ族が暮らす最大のコミュニティ。男たちはモン族の畑に日雇い労働にでて、女たちは子育てや編み細工の内職をする。
無文字社会に生きるムラブリ族には、森のなかで出くわす妖怪や幽霊などのフォークロアも豊富だ。しかし、言語学者の伊藤雄馬が話を聞いて歩くと、ムラブリ族はラオスに住む別のグループを「人食いだ」と怖れている様子。
そこで、伊藤とカメラは国境を超えて、ラオスの密林で昔ながらのノマド生活を送るムラブリを探す。
するとある村で、ムラブリ族が山奥の野営地から下りてきて、村人と物々交換している現場に出くわす。それは少女ナンノイと少年ルンだった。地元民の助けを得て、密林の奥へとわけ入る──。
はたして、今も狩猟採集を続けるムラブリ族に会えるのか? 21世紀の森の民が抱える問題とはいったい何なのか?
『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』は、3月19日より公開される。
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