『さよなら渓谷』
緑があふれる渓谷の町で、母親による実子の幼児殺害事件が起きる。隣家の若夫婦の夫が事件との関わりを疑われ、真相を探るべく取材を続けていた週刊誌の記者は、過去に起きたもう1つの衝撃的な事件にたどり着く。『さよなら渓谷』は人目を避けて暮らす“夫婦”が辿る、極限の心の旅を描いていく。
・【週末シネマ】沢尻エリカを彷彿、不幸を演じることの自浄作用
冒頭、夏の暑さがこもる室内で“夫”の俊介と“妻”のかなこが抱き合うシーンがある。俊介がむしゃぶりつくと、かなこの着ている白い服にドーランがべったり付く。2人は全く気にしない。カメラもそのまま回り続ける。これから始まる、あり得ないような物語にふさわしい幕開け、と言うと皮肉めいて聞こえるだろうか? そうではない。世間の目を避け、息を潜めて暮らす男と女が、2人だけの空間では全てをさらけ出してぶつかり合う。この世界に2人以外はいない。そんな恐ろしいまでにむき出しの感情を形にした、作り手側の決意表明に思えるスタートだ。
10代でおぞましい事件に巻き込まれ、その後15年間、幸せを求めるたびに絶望を味わってきたヒロインを演じる真木よう子の凄まじい気迫に圧倒される。ボロボロに傷ついて、内に渦巻く愛憎に翻弄される女性を文字通り体当たりで表現する。深い罪悪感と贖罪に生きる俊介を『キャタピラー』などの大西信満が演じる。自分が不幸にした女の苦しみを自らのものにすべく、一緒にいることを選んだ男が抱く愛情。理屈ではない心の揺れを伝えてみせる。監督は『まほろ駅前多田便利軒』、『ぼっちゃん』の大森立嗣。
『悪人』や『横道世之介』など、吉田修一の小説の映画化作に触れるたび、よく頭に浮かぶ考えがある。男は赦されることを前提に生きていて、女は赦すのが役目なのか。事件の加害者と被害者という設定の本作では、特にそれを強く思わずにはいられない。だめ押しするかのように、事件を追う週刊誌記者の渡辺(大森南朋)と妻(鶴田真由)の関係も描かれる。挫折したスポーツ選手同士という一点から、俊介に対して共感を募らせていく渡辺の存在はかなり大きく、当然ながら、これはやはり男目線の物語だな、と痛感する。ここに描かれたものが全てとは言わないが、異性として、「男はこう考えるのか」という事実を改めて突きつけられた思いだ。
かなこと俊介は強く互いを惹きつけ合いながら、決定的にすれ違ってもいる。男は女の気持ちがわからない。女は男の気持ちに応えない。過去は消えないが、乗り越えることはできる。それぞれが下した男の決意、女の選択に対して、観客1人1人の抱く感想や意見もまた様々だろう。見終わった後、絶対に誰かと話したくなる作品だ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『さよなら渓谷』は6月22日より全国公開される。
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