『最後のマイ・ウェイ』
『最後のマイ・ウェイ』の資料を読んでいて一番驚いたのは、60〜70年代のフランスで一世を風靡したクロード・フランソワという歌手が日本では全く知名度がないということ。そればかりか当時の日本ではレコード発売もなかったということだ。
クロード・フランソワ(愛称:クロクロ)はフランク・シナトラからシド・ヴィシャスまでもが歌った不朽の名曲「マイ・ウェイ」の作者である。だが、フランスでは「マイ・ウェイ」の作者で“も”あるという認識だ。現地に1か月も滞在すれば、街なかやラジオなどで1度は彼の曲を耳にする。死後35年経っても、アイドルの象徴であり続ける彼の生涯を描く本作は、スター一代記であると同時に、大衆目線でフランス近代史を顧みる作品にもなっている。
代表曲は聴き覚えがあっても、クロクロ本人についてはほとんど知らなかった。たとえば彼が生まれたのはフランスではなく、エジプトだったこと。冒頭、裕福な生活を営んでいたフランソワ一家は父の働いていたスエズ運河の国有化によって一転、無一文でモナコに渡り、クロクロは地元のバンドに雇われ、エンターテイナーとしてのキャリアをスタートさせる。息子が“芸人風情”になることを許さない厳格な父との確執は、失意のまま父が病死するまで続いた。
スターを夢見て新妻と2人でパリへ移住し、レコード会社に日参。風貌がイマイチと言われれば迷わず鼻を整形するのに、晴れてデビューが決まり、人気者はエディやジョニーといったアメリカンな芸名だから、と改名を勧められても「この名前が大切」と本名を名乗り続ける。それでいて流行には敏感で、R&Bもディスコもいち早く取り入れ、派手な衣裳とダンスにフランスらしい哀愁も加えたヒット曲を量産する。「神は細部に宿る」と全てをコントロールし、詐病で世間を騒がせてまで注目を集める……と、傲慢で神経質なスターのエピソードがテンポよく紹介されていく。病的に女好きで手当たり次第に付き合うが、束縛が強くてほとんどストーカーまがい。そんな彼が作った恋の終わりを嘆く歌が、全く違う内容の英詞によって「マイ・ウェイ」に化けたのだ。
クロクロを演じるのは、『ある子供』『少年と自転車』など、ダルデンヌ兄弟の作品で知られるジェレミー・レニエ。比較的似た顔立ちゆえに、髪や服装をそろえると、生き写し。劇中で流れる歌声はオリジナルだが、個性的なダンスをしっかりと再現し、あごを少し上げて背筋を伸ばして歩く姿もそっくりだ。
監督はハリウッドにも進出しているフローラン・エミリオ・シリ。国民的歌手の伝記映画を撮るのが、彼やオリヴィエ・ダアン(『エディット・ピアフ〜愛の讃歌』)いうのも興味深い。いわゆるフランス映画らしくない作風の監督たちが、大きなバジェットで思う存分作り込むのだ。監督の盟友、ブノワ・マジメルが敏腕マネージャーを演じる。メイクとパンチパーマのようなチリチリ頭で、まるで別人。それほど出番が多いわけでもない。監督と役者の友情と信頼関係、そして「神は細部に宿る」の精神を痛感させる好演だ。
クロクロは世界進出に踏み出そうとした矢先の1978年3月11日、自宅で感電死した。39歳での不慮の死だが、全てが過剰だったスターは幕引きまでもドラマティックだった。死後4日目が発売日で遺作シングルとなった「アレキサンドリ・アレキサンドラ」は歌詞にエジプトの風景が登場する。その年の復活祭には、追われるように出国して以来、初めて家族での里帰りを計画していた。
帰ろうとしていたスエズの青い水の中を少年が泳ぐ。そこに最後のシングル曲が流れてくる。故郷から始まり、魂の帰郷で幕を閉じる。波瀾万丈で桁外れな生涯を、そのままのスケールで描いた大作だ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『最後のマイ・ウェイ』は7月20日よりBunkamura ル・シネマほかにて全国順次公開中。
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