『ペコロスの母に会いに行く』
85歳の監督、89歳の主演女優。これだけの年月を積み重ねて来た人たちの見ている風景を共有できる。認知症の老母と介護する60過ぎのバツイチ息子が主人公の『ペコロスの母に会いに行く』はそんな映画だ。
・89歳の赤木春恵、この映画で幕を引くことになるんじゃないかと思いながら演じた
長崎在住の漫画家、岡野雄一が実体験をエッセイ漫画にした同タイトルの原作は、素朴なタッチの画で認知症が進行していく老母とのかみ合わないやりとりをユーモラスに描いている。ペコロスとは小タマネギのことで、主人公・ゆういちの丸顔で禿げ上がった容貌を指す。映画は、バツイチで郷里に戻って息子と一緒に母を介護し、仕事に出かけ、趣味の音楽活動もし、というゆういちの日常の描写から始まり、やがてグループホームに入居した母・みつえが断片的に思い出す幼少期から新婚時代、神経質で酒に溺れる夫や息子たちとの日々が描かれていく。
監督は『男はつらいよ』シリーズ第3作『男はつらいよ フーテンの寅』をはじめ、『生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』など、数々の傑作を生み出してきた森崎東。本作公開から3日後の19日に86歳の誕生日を迎える監督にとって『ニワトリはハダシだ』以来、9年ぶりの新作だ。ペコロスを演じるのは劇作家、舞台演出家、そして『時効警察』や『謝罪の王様』などテレビドラマや映画でバイプレイヤーとして活躍する岩松了。長崎出身でもある。89歳の赤木春恵が母のみつえを演じる。もの忘れが激しくなり情緒不安定かと思えば、ケロッとしている様子、少女に戻ったり、肝っ玉母さんになったり、症状が進んで無表情になって……と波のあるみつえを好演している。
みつえとの会話は辻褄が合わないようで禅問答のような深遠さがあったり、建前が皆無の振舞いはときにズバリと真理をつく。幼くして死んだ妹、原爆投下、決して楽ではない生活、音信不通になってしまった親友。様々な苦しみ、悲しみを乗り越えてきた足跡が浮かんでくる。ゆういちは、自分の母親としてしか見ていなかった存在に、彼女自身の人生があることに気づく。そして自分もその一部であることを改めて認識していくあたりは、息子の成長物語ともとれる。
息子が、母親に顔を忘れられてしまう悲劇を一度は他人事として笑った後、実際我が身にふりかかったときの衝撃など、胸を突く場面がいくつもある。訳もわからず、「泣かんどって」とただ息子の頭をなで続けるみつえの姿は忘れられない。だが、湿っぽさに終始せず、カラッとしたユーモアを入れてくる。生きるための理由なんていらない。生を受けたからには生きていくのだ。なぜでも。──そのたくましさが森崎監督らしい。もっと若い監督が撮ると、母を思う息子に重点を置きがちだが、ここでは偏りがない。対象への距離が近く、より愛情深い。そして何より、想像で描く老いと、身を以て知る老いの描写はやはり違う。
若き日のみつえを演じるのはやはり長崎出身の原田貴和子。幼なじみのちえことの友情の物語が心に染みるが、悲しい運命をたどるちえこを演じるのは原田の実妹である原田知世だ。ゆういちたちの記憶の中にいる父を加瀬亮が演じる。ほかに竹中直人、温水洋一らが出演。坂の多い長崎の風景や、色調を落とした昭和初期から中期にかけてのイメージ、終盤にみつえが黄色いランタンいっぱいの眼鏡橋に佇む姿など、浜田毅による映像が美しい。(文:冨永由紀/映画ライター)
『ペコロスの母に会いに行く』は11月16日より全国公開中。
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