『永遠の0』に原作者の意図は反映されていると言えるか?
『永遠の0』は反戦などではなく、戦争肯定であり、特攻隊賛美だという声もある。同じく零戦をモチーフにした『風立ちぬ』のインタビューで宮崎駿が語った、「零戦映画の嘘八百の神話の捏造は頭にくる」という、おそらく『永遠の0』に照準を合わせたであろうバッシングも有名な話だ。
・【元ネタ比較!】『永遠の0』前編はこちら/原作者・百田尚樹とは?
百田はツイートなどでも幾度となく物議を醸し出している。思ったことをすぐに口に出さずにはいられない大阪のおっちゃん気質なのだろう。なかには私もムムッと聞き捨てならないものもある。映画というものはプロパガンダ映画という言葉もあるように、政治・思想とは切っても切れない関係だ。とは言え、ここで言及するのは話が長くなりすぎるし、私の趣味ではないので、この話題についてはこれでとどめておくことを許してもらいたい。
ただ、作者の意図が映画版に反映されているかは疑問である。「永遠の0」の原作を斜に構えずに素直に真正面から読むと、反戦の形をとっていると捉えられる。主人公の実の祖父・宮部は零戦のスゴ腕のパイロットだが、“臆病者”と言われるほど命を惜しむ男だ。しかし、それは愛が為させたことであり、悲劇的なだけに戦争の残酷さが浮かび上がる仕組みとなっている。
映画版では、三浦春馬扮する宮部の孫・健太郎が、フリーライターである姉(吹石一恵)に誘われて実祖父(岡田准一)を調査していく過程で、宮部がどんな人物だったかを、戦時中に宮部に接した人々が語っていく。だがそれは、1人の人物がいかに多面性を持つかを主旨としたミステリー調の描き方ではない。同じ場面をいろいろな立場から描くというよりは、それぞれが体験したさまざまな戦争の場面が描かれる。露悪的な戦場の凄まじさというものではないが、昔話として距離を持った戦争体験が語られていく。
戦争体験者が高齢となり語り継がれてゆくべきことが途絶えようとしている現在、小説では、原作者がそれを後世に残していこうとする意思が感じられる。それゆえに聞き手である健太郎世代の描写も重要になってくるのだが、映画版では健太郎たちはいわゆる狂言回しに過ぎず、単純に出番も少ない。語り部となるある登場人物の1人、映画版では橋爪功が演じる井崎の孫は登場しないが、原作では孫が登場し、祖父の話で変化がもたらされる。その変化とは、拗ねた若者が更生するというようなちょっと単純な描き方ではあるが、映画版でカットされていたのは残念に思う。説教調であってもそこは残しておかなくては。この話が語られる意味、この映画が作られる意味にもつながってくるのだから。後編へ続く(文:入江奈々/ライター)
『永遠の0』は全国公開中。
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