『ナンバーテン・ブルース さらばサイゴン』が4月26日に公開となり、テアトル新宿で行われた初日舞台挨拶に主演の川津祐介、きくち英一、長田紀生監督が登壇した。また、当時新人俳優として混血児タローを熱演し、38年余りの時を経て本作を劇場公開へと導いた磯村健治が進行役をつとめた。
本作は、1974年12月から翌75年4月までのベトナム戦争最末期に、南ベトナム(当時)全土に渡って全編ロケーションを敢行した作品。諸事情により未完成となっていたが、幾つもの経緯を経て2012年秋に完成した。
40年の時を経て公開される今の気持ちについて、主演の川津は「1975年にベトナムから帰ってきた時の胸の熱さが蘇りました。私は昭和10年生まれで、1945年に日本という国が戦争でなくなり、1975年にベトナムという国がなくなりました。国がなくなる時、国民がどういう扱いを受けるのか、この目で見せてもらいました。戦争だけは絶対して欲しくないという強い思いがあります」とコメント。
続けて「この映画はアクション・メロドラマ・エンターテイメントですが、その奥に映りこんでいた人々のことをぜひ思い出して欲しい。あれから40年経ちましたが、今、世界の現状がいい方向に動いているようには思えません。私たち1人ひとりが変わることで世界を変えていく。今こそ、そんな時を迎えているという気がしてなりません」と40年の時を経て陽の目を見た本作への思いを熱く語った。
きくちは「役者のほかにスタッフとして、銃器とアクションを担当しました。映画で使われている銃は全部本物で軍から調達しました。フエのシーンで川津さんとタン・ランがギャングから逃げるシーンがありますが、あのギャングはベトナムの刑事さんや兵隊さんが演じています。マシンガンが当たると煙がでますよね。あの煙は龍角散を使っているんです」と撮影裏話を披露。
長田監督は「1975年、ベトナム戦争が終わる直前にベトナムで行いました。川津さんは4月8日、我々スタッフはサイゴンが陥落する直前に帰国しました。仕上げもほぼ90%完成直前だったのですが、様々なトラブルに見舞われ完成はせず、我々もフィルムがどこにあるかわからないまま年月が経ちました。39年前に産み落とした我が子と対面したのは、2012年フィルムセンターでした。色は変色し、音はズタズタで、その時、この子はもう命がないなと諦めましたが、現在のデジタル技術の発達によって修復し、新たに編集を加えて2012年秋に完成しました」と、1度は諦めかけた未完だった本作が、誕生するまでのドラマを説明。「1975年当時も2012年の仕上げが終わった時も、今日こうして映画館で見ていただけるとは思いませんでした」と本作への思いを感慨深げに語っていた。
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