ひめゆり学徒だけではなかった沖縄戦もう一つの悲劇とは……
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ドキュメンタリーと再現ドラマによって描かれた『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~』公開
米軍統治下に置かれていた沖縄の日本本土復帰50年を記念して、『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~』が8月2日から東京都写真美術館ホール、8月6日から横浜シネマ・ジャック&ベティ、8月上旬に大阪・シアターセブン、京都みなみ会館、名古屋シネマテーク、沖縄・桜坂劇場にて上映される。
この度、ポスタービジュアル、場面写真、及び、ドラマパートを監督した松村克弥のコメントが公開された。
映画『ひめゆりの塔』(53年)は繰り返しリメイクされる反戦映画の名作。10代の少女たちで編成されたひめゆり学徒の悲劇だ。だが、沖縄戦で看護学徒として動員されたのは、ひめゆりだけではない。沖縄県立第二高等女学校の4年生56名の生徒から編成された白梅学徒もその一つだ。
たった18日間の看護教育を受けただけで八重瀬岳にある第一野戦病院に配属。負傷した日本兵が次々に運び込まれて、ベッドも足りなくなる。多くの兵士は床や通路に寝かされた。負傷兵は治療するよりも腕や足をノコギリで切り落とすしかないことが多かった。
そんな手術の手伝いをしたのが10代の女子、白梅学徒たちである。
兵士の傷口に湧いたウジを取る。ズボンに溜まった何日分もの糞尿の処理。つい先日まで青春を謳歌していた10代の女子たち。やがて病院壕にも米軍が迫り、歩けない兵士たちを医師たちが薬で毒殺。学徒たちも米軍の攻撃にさらされて命を散らしていく。
今も健在で取材が可能な白梅学徒はごく僅か。90代の中山きくさんと、武村豊さんが当時の状況をリアルに語る。
その証言をもとにドラマ部分を制作し、若き女優たちが白梅学徒たちの活動を再現。ドキュメンタリーと再現ドラマにより、沖縄戦とは何であったか、多くの日本人が知らない白梅学徒という存在、戦争の悲しさを伝える。ウクライナ×ロシアの戦闘が続く今、より多くの人が実感できるはずだ。
ドキュメンタリーパートは『ドキュメンタリー沖縄戦~知られざる悲しみの記憶~』(20年)、原発事故の悲劇を描いた劇映画『朝日のあたる家』(13年)の太田隆文が監督。
ドラマパートは『サクラ花―桜花最期の特攻―』(15年)、『祈り~幻に長崎を想う刻(とき)』(21年)など戦争悲劇を描き続ける松村克哉が監督。
ドキュメンタリーパート90分、ドラマパート30分の構成になっている。
ドラマパート監督の松村克弥「魂が震えるような出来栄え」
ドラマパートの監督を務めた松村克弥は「もう20年以上前になるが、凄惨な少年犯罪の実話を描いた私の監督作品がある。脚本を担当した太田さんは、その後『ドキュメンタリー沖縄戦~知られざる悲しみの記憶~』を監督。続いて同作のドキュメンタリーパートを担当。27年ぶりの共作となった。私は近年、興味を持ち沖縄戦の女子学徒隊の勉強をしていたが、太田さんが撮った体験者たちのドキュメンタリーを見た時は絶句した。壮絶な体験をした人たちの言葉は本当に重い。再現ドラマパートを担当する私が、それに匹敵するものを作れるのか……。そう思えたが、近年に担当した戦争映画の経験がそこで生きた。白梅学徒役の若き女優たちは、悲しみの記憶を自分たちのものとして演じ、負けまいと無名兵士を演じた男優たち。絶望的な状況で、冷徹な診察を続ける軍医役の布施博さんの渾身の演技。ドキュメンタリーパート同様に、魂が震えるような出来栄えとなった。古き戦友とのコラボ。そして俳優たちの熱演が“戦争の悲しみ”を多くの人に伝えてくれるはずだ」と語った。
『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~』は、8月2日から東京都写真美術館ホール、8月6日から横浜シネマ・ジャック&ベティ、8月上旬から大阪・シアターセブン、京都みなみ会館、名古屋シネマテーク、沖縄・桜坂劇場で公開される。
東京写真美術館ホールでの公開時には、太田監督の『ドキュメンタリー沖縄戦~知られざる悲しみの記憶~』の同時上映も行う。
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