『捨てがたき人々』
映画として成立させる配役と演出。吉と出るか、凶と出るか?
問題作を発表し、人間とは? 生きるとは?と世に問う鬼才漫画家・ジョージ秋山原作による「捨てがたき人々」が映画化された。主人公は不細工で自堕落で、セックスのことばかり頭をもたげてしまうどうしようもない男、狸穴(まみあな)勇介で、大森南朋が体当たりで熱演している。
主人公の相手となるのはやはり不細工で劣等感とともに人生を歩み、新興宗教に救いを求めているお弁当屋で働く京子だ。狸穴は京子にちょっかいを出して強引に関係を持ち、なし崩しに2人は家庭を持つようになる。
この京子を演じるのはジャパニーズ・ホラー全盛期に多数出演してホラークイーンと称され、その後もキャリアを伸ばしている三輪ひとみだ。ちょっと待て、三輪ひとみなんて綺麗過ぎるじゃないか?と当然思うところだが、それは製作側も承知のようで、映画版では京子は顔にアザがある設定にし、容姿にコンプレックスを持つキャラクターとして落とし前をつけている。顔にアザとは「銭ゲバ」の正美(ドラマ版では茜/木南晴夏)に重なるところがあり、ファンへの目配せのように感じられる。それに、綺麗だからアザをつけちゃえなんて単純なように思えるが、三輪ひとみなら綺麗とは言え、エキセントリックな危うさを内包しているために一筋縄ではいかない内面にも納得できる。
考えてみれば、狸穴役の大森南朋も渋くてかっこよすぎる。原作の狸穴はタレ目でだらしない体型で『幼獣マメシバ』の佐藤二朗が2、3発殴られて顔を腫らしたような容貌だ。京子のほうも原作ではやはりタレ目でタラコ唇で、女優で言うのは難しいところ。あえて挙げるなら『あまちゃん』で観光協会の職員の栗原しおりを演じた安藤玉恵がおたふく風邪をしょいこんだような見た目……とでも言おうか。
いくらリアルであってもスクリーンのなかで、2、3発殴られた佐藤二朗とおたふく風邪をしょいこんだ安藤玉恵の自堕落で醜い人生模様を見せられるのはやっぱりキツい。ここは無精ひげの大森南朋とアザ付きの三輪ひとみで正解だろう。
しかしながら、三輪ひとみはヒロインとしてハキハキと歯切れよくハッキリとした意思を感じさせる。確かに京子は原作でもよくしゃべり、まぎれもなく意思を持った存在ではあるが、絵柄が与える印象の妙だろうか、どこかぼんやりと頭の弱い人格のイメージだ。タレ目で焦点のあってないような目つきに、セリフの吹き出しはいっぱいあってもほとんど口を開けてない歪んだ口元からくるのだろうか。観念的で哲学的な内容を話していても、本当に自分の頭で考えて話してはいないような気がしてならず、そこに普遍的な人間像があるように思える。
ただ、この感覚は漫画だからこそ可能なのであって、実写でやってもただつまらなく受け入れ辛い人物に写るだけかもしれない。原作では登場人物の独白やナレーションも多く、これに至っては漫画ならではの手法で映画でやるとかなり浮いてしまうことだろう。しかし主人公の、人生に達観したような、ふてくされているだけのような、賢者のような、愚者のような、複雑な魅力がいまひとつ伝わってこないのは惜しい。ぶつくさとぼやいているところにカギがあると思うのだが。さらに言うと、観念的な語りの内容とはまったく別の次元で、やたらと肉感的な女性の体や性描写が入り、頭でどんな理屈っぽいことを考えてても性欲が働く人間の業を感じさせるのだが、それを取り入れてなかったのも残念に思われた。
大森南朋も三輪ひとみも体当たりの熱演を見せてくれてはいるのだが、原作に漂う人間を俯瞰したようなシニカルに冷めた空気はない。映像作品としてのわかりやすさと受け入れやすさ、馴染みやすさを優先したというところだろうか。
しかし、ガッカリ感を胸に抱きながら見ていると、後半になって怒涛の巻き返しが!…後編へと続く(文:入江奈々/ライター)
『捨てがたき人々』は6月7日よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開される。
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