1960年代に女性革命家として名をはせた重信房子とウルリケ・マインホフ。2人の生き様をそれぞれの愛娘である重信メイとベティーナ・ロールの視点で追ったドキュメンタリー映画『革命の子どもたち』が7月5日に公開となり、テアトル新宿で行われた初日舞台挨拶に重信メイと、元日本赤軍メンバーで映画監督でもある足立正生(あだち・まさお)が登壇した。
この日、司会進行をつとめた本作の配給を手がける太秦の小林三四郎代表は、本作の上映劇場であるテアトル新宿が日本映画専門の映画館であることを明かすと、「アイルランドの監督(シェーン・オサリバン監督)だから、これは日本映画じゃないじゃないかと言われたので、メイさんは日本人で50%くらい出ているし、足立さんも5%くらい出演している。なので、これは日本映画だと押し切った」と劇場が決まるまでのエピソードを披露。最終的に、このドキュメンタリーの公開を熱望していた故・若松孝二監督が、この劇場をホームグランドにしていたこともあって、ようやく上映にこぎつけたと語った。
その後、司会の小林から質問。子どもの頃から生命の危険を肌で感じながら生活してきたことについて改めて聞かれたメイは「生まれたときからそういう状況で、突然、大人になって変わったわけではないので、ストレスのようなものはありませんでしたが、まわりの人とちょっと違うなというのは、いろいろと感じていました」とコメント。「大人の方と離れる度に、その人とは2度と会えないかもしれないという思いを持っていて、うちの母親も含めて『さようなら』って言うのがとても辛かった。でも、そういう風に生きないと、逆に生きていけないというのがありました」と過酷な日々を振り返った。
また当時は、何人ものお父さんがいるような暮らしだったそうで「ある人はおじさんみたいな感じだったり、ある人はお父さんみたいな感じだったり、大きい家族があるみたいでした」とメイ。
すると、そうした“お父さん”的存在の1人であった足立は「メイちゃんが生まれた後、国籍をどうするかっていう問題があって、メイちゃんの賢さを見た若松(孝二監督)が『よし決めた! 彼女は俺の娘にする。アラブの女性に生ませた子どもだと言えば通用するはずだから、連れて帰る!』」と言ったことを明かし、メイも「若松さんのことは、『若ちゃん』って呼んでいたんですけど、お父さんの1人のような方でした」と偲んでいた。
一方、メイは2000年11月に母・房子が逮捕されたときのことを尋ねられると「もちろん、逮捕されることはとても残念なことですし、私からすると無罪で、証拠もないまま20年独房に入れられるということも、不正義なことだと思います」とコメント。続けて「でも、今までの人生のなかで心配していた暗殺とか拷問がなかっただけホッとしました。逮捕という私がずっと怖れていたことが起こってしまった哀しさと、でも、殺されなかったという思いで複雑な心境でした」と話していた。
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