サントラ買い必至、1973年の気分を詰め込んだ青春映画『リコリス・ピザ』
ポール・トーマス・アンダーソン監督によるボーイ・ミーツ・ガール映画
【映画を聴く】まもなく公開のポール・トーマス・アンダーソン監督『リコリス・ピザ』。そのオリジナル・サウンドトラックが、国内盤CDとして公開2日前の6月29日にリリースされる。すでにSpotifyやApple Musicなどの音楽ストリーミングサービスでは聴けるようになっているが、たとえば『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ベイビー・ドライバー』のサウンドトラックと同じように、これは形あるフィジカル・メディアで手もとに置いておきたいと思わせる、物語とのつながりが強い音楽作品に仕上がっている。
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『マグノリア』のあとの『パンチドランク・ラブ』、『ザ・マスター』のあとの『インヒアレント・ヴァイス』など、ポール・トーマス・アンダーソン監督はシリアスな大作のあとに、少しリラックスしたムードの作品を手がけることがある。今回の『リコリス・ピザ』は、まるで知見のないファッション業界を一から勉強して作り上げたという『ファントム・スレッド』の反動だろうか。自身が生まれ育ち、現在も暮らしているというカリフォルニア州ロサンゼルス郡サンフェルナンド・バレーを舞台に、自分が知り尽くした世界を気軽に楽しく綴ったエッセイのような親しみやすさがある。もちろんディテイルへのこだわりで知られるアンダーソン監督の作品だけに、それぞれのキャラクターの人物造形は恐ろしく緻密だし、挟み込まれるエピソードの味わい深さもいつも通りではあるのだが、作品のベースは極めてシンプルな「ボーイ・ミーツ・ガールもの」と言っていい。
「リコリス・ピザ」は出てこない?
タイトルに使われている「リコリス・ピザ」というのは、1970年代に南カリフォルニアでチェーン展開されていたレコード・ショップの名前。リコリスといえばスペインカンゾウ(甘草)の根っこの部分を原料としたリコリス菓子を指すことが多く、中でも欧米ではハリボー社のグミ「シュネッケン」がよく知られている。「世界一マズいお菓子」なんて形容されることもしばしばの、一度食べたら忘れられない味と香りが特徴で、炭由来の着色料を使った真っ黒の円盤状の見た目もかなりインパクトが強い。「リコリス・ピザ」という店名はおそらく、12インチの黒いレコード盤を、ピザ大の「シュネッケン」に見立てたものと思われる。
ただ、面白いことに本作では「リコリス・ピザ」の実店舗が一度も登場しないし、店の名前すら出てこない。アンダーソン監督にとってすれば、もはや具象化して見せるまでもない、あるいは見せないことに意味がある、青春の象徴のような場所ということなのか。サウンドトラックには1940年代から1970年代の間に発表された様々なポップ・ミュージックが収められているが、きっとその多くは若き日のアンダーソン監督が「リコリス・ピザ」の店頭で出会い、仲間たちと聴いたレコードに違いない。
若い2人が走るシーンで流れる選曲の絶妙さ
聴いたことがない曲でもなぜか「懐かしい」と思えるのは、細部まで徹底的にこだわって当時を再現した映画のルックとサウンドが完全に溶け合っているからだ。本作の時代設定は1973年。サウンドトラックは、ほとんどすべてが1973年より前に発表された楽曲で埋め尽くされている。オープニングから間もなく、25歳のアラナに15歳のゲイリーがひと目惚れして声をかけるシーンで流れる「July Tree」は、ニーナ・シモンが1965年に発表した曲。監督から「July Tree」を使うことを伝えられたアラナ役のアラナ・ハイムは、曲のテンポに合わせて歩くことを提案したのだとか。冒頭から、まるでミュージカル映画のように小気味いい映像と音楽のシンクロニシティが楽しめる。
また、本作は青春映画らしく、アラナとゲイリーが走るシーンがたくさん登場する。嬉しいときも悲しいときも、とにかくふたりは走ることで感情を発散する。中でもふたりが警察から出所した途端に走り出すシーンで流れるソニー&シェール「But You’re Mine」(65年)は絶妙な選曲だ。社会のルールからはみ出してしまうヒッピーのカップルについて歌われたこの曲は、エンドロールでも再び使用される。
1973年のサンフェルナンド・バレーにいるかのような楽曲
ほかにもこのサウンドトラックには、ドアーズの「Peace Frog」(70年)、チャック・ベリー feat. スティーヴ・ミラー・バンドの「My Ding-a-Ling」(72年)、予告編でも印象的に使われていたデヴィッド・ボウイの「Life on Mars?」(71年)、ポール・マッカートニー率いるウィングスの「Let Me Roll It」(73年)といった有名曲から、TVタレントやコメディアンとしても知られるメイソン・ウィリアムズによるイギリス民謡「Greensleeves」のカバー(68年)といった音楽ファンがグッとくる少々マニアックな曲まで、まるで1973年という時代とサンフェルナンド・バレーという場所に自分も居合わせたかのような気持ちにさせてくれる楽曲がびっしり詰め込まれている。
唯一、スージー・クアトロとクリス・ノーマン「Stumblin’ In(メロウなふたり)」だけは1978年のリリースで、正確には1973年よりも後の時代の楽曲になる。しかし、男女が交互に相手への気持ちを伝える歌の世界は、アラナとゲイリーの関係そのもの。これ以上の曲はないとアンダーソン監督が判断したのかもしれない。ふたりが飛行機に搭乗し、NYへ向かうシーンでこの曲がかかる瞬間の甘酸っぱさは、劇中でも特に忘れられない場面のひとつだ。
ショーン・ペン初主演作『初体験/リッジモント・ハイ』へのオマージュも
ちなみに当時の「リコリス・ピザ」の店頭の雰囲気は、1982年の青春映画『初体験/リッジモント・ハイ』の中で少しだけ見ることができる。当時の「リコリス・ピザ」の店内では、訪れた客に無料でリコリス菓子が振る舞われ、音楽ファンたちはそれを齧りながらレコードを物色したとか。この『リッジモント・ハイ』は、ショーン・ペンの初主演作品にあたる。本作にもジャック・ホールデン役で登場し、作品に何とも言えない緊張感をもたらしているが、彼の起用はアンダーソン監督なりの『リッジモント・ハイ』へのオマージュだろう。より深く『リコリス・ピザ』の作品世界に浸りたい方は、合わせてチェックすることをおすすめしたい。
何をどう考えてもうまくいくはずがないように思えるアラナとゲイリー。でも好きになってしまったのだから仕方がない。本作には、向こう見ずなふたりを呆れながらも温かく見守るような寛容さが通奏低音のように流れている。その寛容さはサウンドトラックに選ばれた楽曲群の詞世界にもよく表れていて、本編の最後にかかるタジ・マハールの71年の楽曲「Tomorrow May Not Be Your Day」までシームレスに続く。サウンドトラックを聴いてから映画を見てもいいし、映画を見てからサウンドトラックで余韻を味わうのもいい。青春映画の新たなスタンダードとなるに違いない『リコリス・ピザ』を、いろいろな角度から楽しんでいただきたい。(文:伊藤隆剛/音楽&映画ライター)
『リコリス・ピザ』は、2022年7月1日より全国公開。
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