『博士と彼女のセオリー』
エディ・レッドメインが本年度アカデミー賞主演男優賞に輝いた『博士と彼女のセオリー』。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う車椅子の理論物理学者、スティーヴン・ホーキング博士の伝記映画……では済まないことは邦題からも伝わるだろう。これは博士と彼女=博士と苦楽を共にした女性の物語だ。
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では、難病の夫と献身的に尽くす妻を描くお涙頂戴ものかといえば、そんな単純な話ではない。並外れた頭脳とドラマティックな宿命を背負った男性と、彼に愛された女性の歩む道はやはり特別だ。
映画は1963年、イギリスの名門ケンブリッジ大学に学ぶ男女2人の出会いから始まる。物理学を専攻するスティーヴンと英文学を専攻するジェーン・ワイルドはすぐに恋に落ちるが、ほどなくしてスティーヴンの病が発覚し、余命2年と宣告される。明るい未来を信じていた聡明なカップルは共に試練と向き合う決断を下す。そして宣告された2年が過ぎ、5年、10年と月日は流れ、その間に夫妻の間には子どもたちも誕生する。
愛する人と過ごす時間が1秒でも長いことは、むろん幸せだ。だが、それは限られた時間だからこそ悔いなく過ごそうという意志の下での話でもあった。ALSの病状が進行し、肉体の自由はどんどん奪われていく。それでも研究に没頭する夫。彼を支え、育児に追われ、家族のために生きる妻。長らえる喜びがエンドレスの苦難にもなる。それが現実だということは、自宅で家族の介護経験のある者は誰しも多少思い当たる節はあるはずだ。
エディ・レッドメインの渾身の演技に目をみはる。骨はどこへ行った?と心配になるくらい、病に蝕まれていく肉体を表現する。自由の効かない体に、無限の広がりを見せる頭脳。博士の生活を研究するのに半年間を費やしたというが、インプットした情報をアウトプットする技術に驚嘆する。『マイ・レフト・フット』のダニエル・デイ・ルイスを思い出した。身体に障害のある実在の人物。だからオスカーを受賞するというわけではない。大切なのは、これ見よがしではない説得力なのだ。それは演じたジェーンと同様に主役を支え続けたフェリシティ・ジョーンズにも通じる。夫婦を演じた俳優2人の誠実さは、この作品に欠かせない要素だ。
惹かれ合って結婚した男女が紆余曲折を経て、変化していく。カップルの物語として、これ以上ないほど普遍的な構成だ。主人公は不世出の天才学者だが、原作の著者はジェーンであり、彼女の視点で描かれていることも要因の1つだろう。監督はアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞作『マン・オン・ワイヤー』(08年)のジェームズ・マーシュ。
天才の目に映る世界とは、愛とは何なのか。“博士と彼女”から始まり、子どもや様々な他者が関与し、世界は広がる。夫婦あるいはパートナー同士という関係は情なくして成立しないが、それだけでもないことを示す非凡な愛の物語だ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『博士と彼女のセオリー』は3月13日より公開中。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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