『ブレット・トレイン』で共演のブラッド・ピットが真田に賛辞
【名優たちの軌跡】トム・クルーズ、キアヌ・リーヴス、ジョニー・デップ、ヒュー・ジャックマン。アンソニー・ホプキンスやイアン・マッケラン、ニコール・キッドマン、ハル・ベリー……まだまだ名だたる大物が並ぶリストに新たに加わったのはブラッド・ピット。何のリストかと言えば、真田広之が過去20年足らずの間に共演してきた俳優たちだ。
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これほど多くのハリウッド・スターや名優を相手に演じた俳優が他にいるだろうか。出演作のジャンルもアクション、SF、ドラマと多岐にわたり、役柄も幅広く、激しいアクションも自ら演じ、どんな期待にも応えてみせるオールマイティーな存在だ。さらに、感嘆させられるのは誰にも真似のできない軌跡だ。最新出演作『ブレット・トレイン』ではその名も“エルダー”という剣の達人を演じた真田について、主演のブラッド・ピットは、子役時代から続く55年以上のキャリアに惜しみない賞賛を送っている。
そこで、今もなお前進を続ける名優のこれまでの歩みを、映画を中心に振り返ってみよう。誰もが知る代表作ではないものも挙げていきたい。
5歳で児童劇団へ、その後JACでアクションを学ぶ
1960年に東京で生まれた真田は5歳で児童劇団に入り、1966年に映画『浪曲子守唄』でデビューした。海外メディアで「デビュー作は白黒映画でした」と話して笑い誘う彼も、さすがにデビュー作ではセリフも仕草もたどたどしかったが、高倉健の息子を演じた『新網走番外地 さいはての流れ者』(69年)などで健気な演技を見せる子役に成長。俳優という仕事を志すようになったのもこの頃だという。
10代になると、デビュー作から共演を重ねた千葉真一が主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入った。幼い頃から、スタントを立てずにアクションを演じるスターたちを見て「これは観客への最大のサービスだ」と思い、自身も空手から日本舞踊まであらゆるスキルを身につけた。この時期は学びを中心に、芸能活動は千葉真一の主演作に出演する程度に抑え、高校時代は一時的に休業もしている。
アクション・スターでありアイドルでもあった青年時代
1978年に芸名を“真田広之”にして、活動を本格的に再開する。初主演作『忍者武芸帖 百地三太夫』(80年)や『吼えろ鉄拳』(81年)など、東映ではちゃめちゃな娯楽作を量産した鈴木則文監督の青春アクション活劇で危険なスタントも全て演じ、若きアクション・スターとして、主題歌も歌うアイドルとしても絶大な人気を博した。沢田研二とのキスシーンが世間を騒がせた『魔界転生』(81年)、薬師丸ひろ子と共演の『里見八犬伝』(83年)でも超絶アクションを披露した。
一方で派手なアクションを封印し、繊細な演技力を証明したのは年上の女性と恋する画学生を演じた『道頓堀川』(82年)だ。『柳生一族の陰謀』(78年)のオーディションで真田を見出した深作欣二監督のもと、松坂慶子と悲恋を演じたが、同時期に『伊賀忍法帖』や香港映画『龍の忍者』にも主演するなど、ジャンルを問わない活躍はこの頃から始まり、年に数本の映画出演とドラマ、CM、そして坂東玉三郎の相手役を務めた「天守物語」など舞台にも活躍の場を広げた。
イラストレーターの和田誠の監督作『麻雀放浪記』(84年)など、20代半ばからはアイドルの枠から飛び出す役柄に挑んだ。『必殺4 恨みはらします』(87年)では冷血非道な奉行役で悪の華を咲きほこらせ、翌88年の『快盗ルビイ』(88年)では小泉今日子扮するヒロインに振り回される冴えない青年を演じた後、1989年にJACから独立。80年代後半から90年代前半は、バブルの時代を表すような軽いコメディ・タッチの役も多い。凄まじい階段落ちをやってのけた『病院へ行こう』(90年)や『継承盃』(92年)のラストシーンなどでは身体能力も合わせ技で見せ、ちょっとバスター・キートンを思わせる。1991年にはNHK大河ドラマ『太平記』に主演し、30代も映画とドラマ、舞台でも大活躍し、名実ともに日本を代表するスターの座を不動のものにした。
『ラスト サムライ』でトム・クルーズと共演、アメリカを拠点に
30代最後の年に、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの公演「リア王」に唯一の日本人キャストとして出演し、道化を演じた経験はその後の道標になったのではないだろうか。最初は出演を躊躇った彼に、プロデューサーが「あなたは日本人、アジア人である以前に俳優です」と告げたという。この公演での功績は名誉大英帝国勲章第5位授与という形で評価され、その手応えが海外での活動へ踏み切るきっかけになったはずだ。
40代になった真田は山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』(02年)に主演、同作は第76回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。そしてトム・クルーズ主演の『ラスト サムライ』(03年)への出演が決まる。時代劇で培った知識をハリウッドのスタッフたちとシェアし、大きく貢献した彼は日本で築き上げた地位に未練もなく拠点をアメリカに移し、40代半ばから一俳優として新たなスタートを切った。
華がありながら、キャラクターが抱える闇を魅力的に表現できる役者
2000年代の出演作では英語のセリフに固さがあったが、主演スターのポテンシャルを持つ真田だからこそ、母国語ではない言葉の壁をはじめとする数々の障壁を乗り越え、出演作を増やすごとに存在感を増していった。
ヒーロー然とした晴れやかな主役もいいが、キャラクターが抱える影を本当に魅力的に表現する。本来の華があり、それを抑えて見せるが、ただ地味なだけにはしてしまわない。たとえば『たそがれ清兵衛』の主人公は、真田広之でなければ成り立たなかっただろう。
昨年公開の『モータルコンバット』では真田が登場する最初のシーンの数分間、息をのんだ。久しく見ていなかった純然たるアクション演技を60歳にしてやってのける。しかもセリフはほとんどが日本語。多様性を重視し始めたハリウッドの変化の時期と重なった幸運もあるが、まさに還暦を迎えた時に自らの原点に立ち返り、40年前から変わらぬ真摯さに積み重ねた経験をプラスした迫力に圧倒された。
『ブレット・トレイン』でも作品作りに貢献
真田が出演したハリウッド作品で描かれる日本は必ずしも正確ではない場合もある。ただ、どんな突飛なシチュエーションであっても、自分が表現する日本というものについて彼は妥協しない。ブラッド・ピットや他のキャストたちがポップに暴走する『ブレット・トレイン』でも、真田と彼の息子を演じたアンドリュー・小路のキャラクターはブレを見せない。小路は本編ではカットされたあるシーンの撮影時、真田が彼とどのように接したかを「Entertainment Weekly」でこう語った。「カメラに映されてもいないのに、彼はこの瞬間がどれほど深く、(演じていた)親子が前進するためにどれほど意味があるのかを話してくれました」。コロナ禍での撮影でもあり、「僕がつらい思いをしていたのをわかってくれて、そんな必要はないのに、誰もが心を閉ざしていたあの時期に彼の一部を開いてみせてくれました。あの心遣いは忘れません」。
過去に仕事をした共演者たち、監督たちは誰もが真田の作品への献身を語る。スターとして担ぎ上げられるよりも作品を作ることへの集中を選んだその姿は多彩な出演作を通して見ることができ、その選択が彼自身にとっても、私たち観客にとっても最良のものであることを証明している。
これがピークだと思える地点を何度も迎え、まだ越え続けていく。きっと、越えるべき山の高さは問題ではないのかも。低くても高くても、越えた先の境地を知りたければ、真田広之は進み続けるのだろう。彼の作品を追って、私たちもまた、まだ見たことのない景色を見ることができる。(文:冨永由紀/映画ライター)
『ブレット・トレイン』は、2022年9月1日より全国公開中。
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