『パプーシャの黒い瞳』
文字を持たないロマの一族に生まれながら、言葉とそれを書き表す文字に魅了されて読み書きを覚え、自ら詩を書くようになった少女がいた。『パプーシャの黒い瞳』は“パプーシャ(人形)”という愛称で呼ばれた実在の詩人、ブロニスワヴァ・ヴァイスの数奇な生涯を描いたポーランド映画だ。
1910年から1971年まで、60年を超えるパプーシャの足跡が時間を行きつ戻りつする形でモノクロ映像で描かれる。自分の意志とは無関係に、父親ほど歳の離れた相手との結婚を強いられた少女時代から孤独な晩年まで、その生涯は波瀾万丈だ。
1949年、パプーシャたちのキャラバンに1人の青年が転がり込む。その青年・イェジは作家・詩人であり、秘密警察に追われていた。やがて彼は素朴な言葉を紡ぐパプーシャの詩の才能を発見する。初めての理解者であるイェジに言われるまま、パプーシャはその後ワルシャワへ戻った彼のもとへ自作の詩を書き送る。だが、それが1冊の詩集として出版された時、パプーシャは思わぬ事態に直面する。
パプーシャには詩作の対価という発想がまるでなく、稿料を渡そうとするイェジに「どうして?」と問う。社会主義国家になったポーランドで、一族は強制的に定住させられ、子どもたちは教育も受けるようになるが、大人たちはたとえ金を手にしても、同じものでも金で買うより盗む方がいい、心の底ではそう考えている。そして、社会とは相容れない価値観と自由を貫き通そうとする彼らにとって、何世代にもわたって守り続けてきた秘密が書物によって広められるのは許し難いことだった。
映画の中ではかつての呼称“ジプシー”で呼ばれるロマ族は、一カ所に定住せず各地を転々としながら、教育や労働など社会の常識を拒否して生活してきた放浪の民。文字はガジョ(よそ者)の呪文だと忌み嫌い、独特の掟を守って生きる彼らが、第二次世界大戦中の大殺りくとその後の政治制度の変化という激動の20世紀をどう生きたかを知ることもできる。
差別を受ける集団の中でもさらに生まれる差別、何者をもはねつける結束の固さ、同じ物差しでは計れない正義の複雑さを詩情あふれるタッチで描いたのはヨアンナ・コス=クラウゼ&クシシュトフ・クラウゼ夫妻。夫のクシシュトフは昨年12月に亡くなり、本作が遺作となった。
モノクロの映像が、非道と理不尽で覆い尽くされたパプーシャとその一族の物語にある種の神々しさを与えている。これをカラーで撮っては生々しくなりすぎただろう。白と黒と、微妙なグレーが幾層にも折り重なったロングショットの映像は神秘的な美しさに満ちている。(文:冨永由紀/映画ライター)
『パプーシャの黒い瞳』は4月4日より公開中。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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