「ロシアとウクライナの関係は過去から繋がっている」…気鋭の若手監督がウクライナの革命テーマに描いた理由は
「外から革命を見る」人物を描きたかった
生きるため故郷ウクライナを去った体操選手の少女が、自らの運命を切り開いていく姿を描いた『オルガの翼』が公開中。2013年、ユーロマイダン革命直前のキーウ。2013欧州選手権出場を目指しトレーニングに励む15歳の体操選手オルガは、ヤヌコーヴィチ大統領の汚職を追及するジャーナリストの母と共に何者かに命を狙われる。
身の安全のためウクライナを離れたオルガは、父の故郷スイスのナショナル・チームに。SNSを通じ、革命で変わり果てた街や家族・友人が傷つく姿を遠くから見るしかないオルガ。しかし彼女も欧州選手権出場のため、ウクライナの市民権を手放さなければならず…。政情が刻々と変化しオルガの心は大きく揺れる。彼女が最後に下した決断とは——。
監督を務めたのは、初長編監督作にしてカンヌ国際映画祭SACD賞を受賞したフランス出身の若き逸材エリ・グラップ。本作のテーマとなったユーロマイダン革命とは、親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領の追放をもたらした、ウクライナで起きた市民運動だ。革命の結果、東部2州は独立を「宣言」し、2022年にロシア軍が侵攻することとなった。
今回、エリ・グラップ監督がユーロマイダン革命をテーマにした理由や、本作に込めた思いをインタビューで語った。
・生きるために故郷ウクライナを去った15歳の体操少女が切り開く運命とは……
——なぜユーロマイダン革命をテーマにしたのですか?
大学の課題制作で短編をいくつか撮った後、2015年に音楽学校についてのドキュメンタリーを撮りました。撮影対象の中に、ユーロマイダン革命直前にウクライナからスイスへ移ってきたヴァイオリニストがいたんです。革命が彼女に与えた影響は非常に大きく、私は強く心を動かされ、またヨーロッパに住む一人として革命は深く心に残りました。次回作はこのテーマ以外にあり得ないと思い、製作に着手しました。
——ユーロマイダン革命を描くにあたり、どうして主人公を体操選手にしたのですか?
脚本を書き始めた当初、主人公を体操選手にしようとは考えていませんでした。ユーロマイダン革命についてリサーチをするなか、体操についても調べていったのですが、体操に使われる鉄棒などのメタリックな感じは、マイダン広場にいる人たちが手にしているものの無機質なイメージと重なるように感じました。体操というモチーフは、マイダン革命を描く上で間違っていないと次第に強く思うようになりました。
——外から革命を見る立場の人物を主人公にした理由は何ですか?
当初から「外から革命を見る」人物を書こうと思っていました。オルガはスイスで自分の夢に向かって頑張っていますが、祖国で起きていることが常に頭から離れません。そんなとき、ウクライナで突然革命が起き、彼女の信念が揺るがされるという事態に直面します。これはオルガに限ったことではありません。すべての人が、今起きている現実から逃れることはできないのです。一つの大きなテーマとして、「自分の力が及ばないところで自分自身が歴史の一部になってしまうことの葛藤」を描きたいという思いが根底にありました。オルガは、自分では力の及ばないとても難しい状況に置かれますが、そのために夢を諦めるのではなく「置かれた状況でももっと頑張ろう、もっと体操を突き詰めよう」とします。その姿を描きました。ユーロマイダン革命の映像は、全て実際にマイダン革命参加者が現地で撮影した映像のみを使用しました。外から革命を見ていると「革命なんて本当に起きているんだろうか?」という感覚を抱くことがあると思います。外から見る人にとっては、届く映像を画面上で理解するしかない。私自身も当初マイダン革命に対して「この現実が本当に起きているのだろうか?」と見ていたところがあります。そんなところもオルガの姿に重ねてみたかったのです。
——どうしてオルガの亡命先をスイスにしたのですか?
マイダン革命が起きた当時、スイスは永世中立国で、ヨーロッパの中心にいながらもどこの国にも味方をしないという立場でした。オルガにとってスイスは、ロシア寄りでもヨーロッパ寄りでもない、ある意味一番安全なシェルターのような場所。スイスにいることは、故郷で起きていることから一番遠くにいることを意味します。ただ中立国とは言え、オルガはスイスで常に葛藤を抱えていたし、気持ちの上では全く安全ではなかったのですが。また、私自身が実際にフランスからスイスに移り、拠点がスイスであることも大きかったです。
——15歳の少女が成長する姿をおさめた「青春映画」としての要素もありますね?
青春と言うと、若者が大人になる過程でバカなことをやったり、「未熟さ」であったり…そうしたことと思われがちですが、オルガの日常は全くそうではないので、いわゆる「青春」とは違うのかもしれません。彼女の日常は、管理された環境で練習をきっちりやったり、非常に大きなプレッシャーを抱えたりと、もしかすると普通の大人よりも大変な状況で、「大人より大人」とさえ言えます。私はオルガがどうやって自分と対峙して自分を乗り越えていくかを描きたかったのです。私は高校時代クラシック音楽をやっていて、学校は楽しく青春を過ごす場所というよりは、一日何時間も楽器を演奏しなければならない厳しい場所でした。オルガのように、一番集中して頑張らないといけない高校時代を送っていました。そうした自分自身のベースがあって、ティーンエイジャーであるオルガの描き方がこのようになったのかもしれません。
——オルガ役のアナスタシア・ブジャシキナとの出会いについて教えてください。
初めてアナスタシアを見たのは、2016年スイスで開催されている欧州選手権(ベルン大会。彼女はウクライナのジュニアチームとして出場していました。彼女は非常に集中していて、職人のような選手だなと思いました。その後、キャスティングにあたり何度かウクライナに行き、現地のオリンピックセンターを訪問しました。選手たちには私がキャスティングで行くことを伝えていたのですが、オリンピックセンターを最初に訪れた際、多くの選手がこちらを見て「あの人たちじゃない?」と興味津々のなか、アナスタシアだけはこちらを見さえもしなかったのです。それだけ自分の技に集中していました。あそこまで体操に没頭している姿がすごく響き、主役への起用に繋がりました。初めて彼女と会ってから完成まで4年程、実際に主演をアナスタシアに決めてからは完成まで2年程かかっています。撮影時、アナスタシアは実際にはオルガの年齢よりも若く、マイダン革命が起こったキーウのそばに住んでいるわけではありませんでした。革命についても詳しく知っているわけではなかったので、彼女には革命についてたくさん勉強してもらいました。
——プロのアスリートで演技未経験のアナスタシアをどのように演出したのですか?
彼女にアスリートとしての素の部分を出してほしかったので、撮影では主導権はほぼアナスタシアに渡しました。「あなたに与えたこの空間でフルに躍動してほしい」というスタンスで、私自身は少し引いて撮影に臨みました。普段アナスタシアが体操選手としてやっているように振る舞って欲しかったし、100%をぶつけて欲しかったからです。アナスタシアを選んだのは本当に良い選択でした。私自身は男性で、ウクライナ人ではないし体操選手でもありません。だからこそ自分が演出をするのではなく、逆に、本当のウクライナ人の女性体操選手に自由に演じてもらいたかった。実際、3年かけて書いた脚本で、アナスタシアとは対立するところがたくさんありました。そうした場合は彼女に譲り、アナスタシアの意見を尊重することも多かったです。
——とても自然な演技が多いですが、アドリブも多かったのですか?
アナスタシアは3年間フランス語を勉強したらしいのですが全くダメで、いくつかあるフランス語のシーンは台本どおりにやるしかありませんでした。なのでフランス語のシーンにアドリブは一切ありません。ウクライナ語とロシア語のシーンについては、脚本をまずアナスタシアと一緒に確認し、大事なポイントや流れを頭に入れてもらいました。「このタイミングでこのセリフを」というざっくりとした演出はつけましたが、大体の流れさえ押さえてもらえば、あとは自由にやってほしいと伝えました。オルガがスカイプで母親や友だちと喋っているシーンはほぼアドリブというくらい彼女に任せています。私が決めたことをかっちりやってもらうより、本当にオルガが言いそうなことを言ってもらうこと、シーンの流れが大事だったからです。
——主演のアナスタシア以外にも、プロの体操選手を起用していますね?
スイスのナショナルチームにオルガが入るシーンのコーチやキャプテン役は、実際に当時のスイス・ナショナルチームに所属している人を起用しました。撮影に使用したアリーナやトレーニング施設も、普段スイス・ナショナルチームが使用している場所。普段練習している場所で、普段やっていることをやってもらうという時に、俳優を連れて来て一から学んでもらうより、普段からやっている人たちに演じてもらう方が自然な形で画が撮れます。だから実際のアスリートたちに役を演じてもらいたかったのです。歩き方、新しい選手がチームに入って来た時のリアクション、ライバル心が芽生えた時のアイコンタクトの仕方。大会で5000人もの観客の前で演技する時、どんな気持ちでいるのか? どんな表情をするのか? どんなルーティーンがあるのか?──そういったことは本物の選手でなければ出せないし、そうしたことは監督が演出するまでもなく彼女たちが最もよくわかっていることなので、本物のアスリートを起用して良かったと思います。
——躍動感あふれる体操シーンはどのように撮影したのですか?
体操シーンを撮るにあたり、体操を外から客観的に見ているような感じにはしたくなかったのです。全てアスリートの目線で撮りたいと思っていたので様々な工夫を凝らしました。例えば綱登りのシーンは、撮影用のエレベーターを作り、綱登りをするアナスタシアと同じ高さにカメラマンにも上がってもらいました。撮影監督のリュシー・ボディノとは、私が短編を作っている時から組んでいて、どうやって躍動感がありよりリアルに見せることができるかをよく考えてくれました。編集ではスザナ・ペドロが流れを切らないようにとても頑張ってくれました。音も、体操のシーンをいかにリアルにスクリーンで見てもらうかを考え、一丸となって録りました。また体操は縦の動きが多いので、ワイドスクリーンよりも縦長を活かしたかった。そのため、スクリーンサイズは「1:1.5」程度を採用しました。ワイドなスクリーンより、縦長のスクリーンで見る方が、絶対に体操シーンの迫力があると断言できます。大会のシーンは本物の大会に混ざって撮らせてもらうことになっていたが、新型コロナ感染症の影響でその大会自体が中止になってしまい、撮影が不可能になってしまいました。そこでドイツのチームに依頼し、大会を再現してもらい再撮影しました。そのおかげで、逆にライティングやフロアの色など、自分で自由に選ぶことができました。コロナのせいで撮影が中断し困ったなというところから、再撮影して自分のやりたいようにできたのがラッキーでした。
——ロシアによるウクライナ侵攻が始まる前と後とで、観客の反応は違いますか?
ロシア侵攻が始まる前に見た方からは「こんなにひどいことがウクライナで起こっていたのか」「体操ってこんなスポーツなんだ、感動した」という反応が多かったです。今は、日々ロシアによる侵攻のニュースを目の当たりにしているため、より自分のすぐそばで起こっていることなのだと感じながら見てくれる人が多いと感じます。本作の時代設定は現在より少し前(2013~2014年)のことですが、現在の惨状を感じながら見てくれる人たちが多いです。私自身もロカルノ国際映画祭で久しぶりに本作を見ました。現在のロシアのスポーツ界は、どの大会にも出られないようになっていたりします。今のウクライナの現状を知っているので、現状と本作とを比べて見てしまいます。映画の中に革命が登場しますが、今ではあの広場がめちゃくちゃになっており、ウクライナ自体がめちゃくちゃに破壊されていて、それを思うと心が痛みます。ロシアとウクライナの関係は2020年2月のロシア侵攻に始まったことではなく、過去から繋がっているんだということ、その歴史背景について、今、本作を見てくれた人には知ってもらえるかもしれません。
——撮影当時、ロシアによるウクライナ侵攻が起きることは予期していましたか?
当時、ここ近年ロシアとウクライナの間が非常に緊迫しているということは知っていました。しかし、まさかこのような形で実際の戦争が起こるとは撮影クルーの誰一人として予想していませんでした。私自身何度もウクライナに足を運びましたが、ウクライナの人々もロシアを脅威だとは感じていながらも、ここまでのことをするとは思っていなかったのではないかと思います。ユーロマイダン革命の後、親を亡くした孤児がいたり、家をなくし他国に逃げなければならない人が出て、非常に多くの人が大変な思いをしました。マイダン革命の後でさえ大変で、あれこそが大惨事だと思っていたので、それを超える惨事が起きるとは、まさか誰も思っていなかったと思います。しかし、あの革命が失敗だったということではなく、マイダン革命で国民が自由を勝ち取ることに成功し、その精神が脈々と受け継がれて今のウクライナがあるということでもあるのです。あの革命で国を守ろうという人々の結束力が強まったということもあります。
——日本という遠くの国にいるわたしたちが、ウクライナの人々に対していま出来ることは何かあると思いますか?
今、世界中にウクライナを助けようとする組織やコミュニティができているので、そうしたところに寄付するのが一番早い方法です。マイダン革命の頃に設立された「バビロン13(BABYLON’13)」を通じてウクライナのフィルムメーカーに寄付することができます。クリミア戦争を撮影して記録し、今はロシアが何をやっているのかを撮影して資料として残していこうとして動いているフィルムメーカーたちがいます。ぜひ、支援が可能なのであればそういった組織を支援していただきたいです。『オルガの翼』の日本公開が決まり非常に光栄に思っています。描いている題材はスイスやウクライナで、皆さんとは離れた場所になってしまうが、映画を見てもらい、何か訴えかけるようなものがあればいいなと思っています。
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