【週末シネマ】死と向き合う一つの姿勢を提示、余命わずかの息子と母を描いた良作
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ドヌーヴとマジメルが母と息子を演じる『愛する人に伝える言葉』
フランスを代表するのはもちろんのこと、映画とは劇場の大画面で見るものと決まっていた黄金時代の空気を2022年の今もまとい続ける大女優カトリーヌ・ドヌーヴと、本作でセザール賞最優秀男優賞を受賞したブノワ・マジメルが親子を演じる『愛する人に伝える言葉』。がんで余命を宣告された息子とその母親の限られた日々を通して、死と向き合う1つの姿勢を提案する物語だ。
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余命宣告を受けた息子と罪悪感に苛まれる母親は…
40代の演劇講師・バンジャマンは膵臓がんを宣告され、母のクリスタルとともに名医として知られるドクター・エデを訪ねる。だが、一縷の望みを託そうとする親子にエデはステージ4の膵臓がんは治せないことを率直に告げる。ショックを受けるバンジャマンにエデは残された日々を大切に過ごせるよう、病状を緩和して生活の質を維持できる化学療法を提案し、「一緒に進みましょう」と励ます。
患者に寄り添うエデの言葉を受け入れ、一度は拒んだ化学療法を続けると決めたバンジャマンは仕事にも打ち込む。生徒たちに死と別れをテーマにした内容を演じさせ、彼らのパフォーマンスが作り出す虚構に現実が反射するような現象は興味深い。一方、母のクリスタルはバンジャマンの若き日に息子の将来を思うあまりに取ったある行動を悔やみ、息子の病が自分のせいではないかという罪悪感に苦しむようになる。
現役のがん専門医がドクターを演じているからこその説得力
自らの死と対峙すること、愛する人が死にゆく時に傍で見守ること、当事者たちに寄り添うこと。さまざまな立場で、誰もがいつか必ず経験する死について考えさせる。特に大きな役割を果たすのが、ドクター・エデを演じるガブリエル・サラの存在だ。彼はプロの俳優ではなく、レバノン出身でニューヨークを拠点とする現役のがん専門医。エマニュエル・ベルコ監督が、ドヌーヴとマジメルも出演した2015年の監督作『太陽のめざめ』のニューヨーク上映を見に来ていたサラ医師と出会ったことが本作の始まりになったという。
劇中、エデがバンジャマンとクリスタルにかける言葉の多くはサラ医師本人から出てきたものであり、それは決して甘いだけのものではないが、曇りなく明解で、フィクションの中にドキュメンタリーが共存する演出はバンジャマンの演劇の授業と重ねてみたくなる。
マジメルとドヌーブの名演が伝える、シンプルなメッセージ
余命半年から1年と宣告されたバンジャマンの残された時間が四季を通して描かれ、マジメルは次第に弱っていく様をきめ細やかに演じる。リアルに衰弱を表現するのではなく、不安や苦痛に苛まれる瞬間と悟りの境地を行き来する心理状態、季節を追うごとに新たな段階へと進む魂の変化が見えるような名演だ。ドヌーヴは我が子を失うという未来に打ちのめされ、自らを責め続ける母親の苦しみを迫真の演技で見せる。実は撮影開始からまもない2019年11月に彼女が軽度の脳卒中で倒れ、本作の撮影は一時中断されたが、翌年7月に復帰し、映画は完成した。
ベルコ監督は「ブノワ・マジメルとカトリーヌ・ドヌーヴのためにメロドラマを書く、ということが出発点だった」と本作について語っている。それは安易なお涙頂戴という意味ではなく、歌(ギリシャ語でメロス)や音楽によってドラマの感情を揺さぶる、メロドラマという言葉本来の意味に沿った余韻を残す。
医師と患者の対話の中に出てくる“愛する人に伝える言葉”は実にシンプルだ。死を意識せずとも、もう既に伝えている人も多いだろう。だが、やはり最終的にはこういうことなのかも。人と人の関係は複雑だが、大切な相手に最も伝えたいことを研ぎ澄ましていくと、この言葉にたどり着く。死へと向かいながら生きるそれぞれのメメント・モリ、そして“好き”よりも深い“愛する”ということが素直に描かれている。(文:冨永由紀/映画ライター)
『愛する人に伝える言葉』は、2022年10月7日より全国公開中。
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