近未来のアメリカを舞台に、年に一度、一晩(12時間)だけ殺人を含む全ての犯行が罪に問われないシステム“パージ法”が確立した世界を描く『パージ』。富める者が貧しい者を踏みにじる格差社会を描くショッキングな寓話という見方もできる。失業率も犯罪率も圧倒的に低く、豊かで平和なのは、毎年訪れる“パージ(=粛清)”のおかげという歪んだ平和社会で、妻と2人の子どもを持つ主人公のセールスマン、ジェームズを演じているのがイーサン・ホークだ。
ジェームズは、“パージ”時の凶悪犯罪に備えるセキュリティ・システム販売で優秀な成績を収めるトップセールスマンであり、自宅にも万全な防犯システムを施している。ジェームズ自身は年に一度の凶行に加わる考えなど毛頭ない。だが、暴徒と化した人々の猛追を必死にかわしてきた男が家に逃げ込んだことから、悪夢が始まる。
40歳を過ぎて表情に渋みが増したイーサンが、普通の父親役に見事にはまっている。数々のヒット作に出演したスターでありながら、くせのない、ある種の無名性をまとうことができるのが彼の強みだ。家族を守らなければならないという思いと、何の罪もない人を“パージ”の名のもとに見殺しにしていいのかという良心の呵責に引き裂かれるジェームズの葛藤がひしひしと伝わってくるのだ。
14歳で出演した『エクスプローラーズ』(85年)公開から今年はちょうど30年。長いキャリアにはいくつものドラマがある。最初のつまずきは、リヴァー・フェニックスと共演したデビュー作。同い年なのに自分よりもはるかに才能あふれるリヴァーに圧倒されながら、撮影では自分なりの達成感を得たのに、映画は期待をはるかに下回る興行成績だった。この時点で、映画というビジネスの厳しさが身にしみたという。そして学業を優先した彼が次に出演したのが、ロビン・ウィリアムズ主演の『いまを生きる』(89年)だ。全寮制の学校に転入してきた引っ込み思案な少年が、こんな渋い44歳に成長するとは。2度の結婚で4児の父であるイーサンだが、『いまを生きる』を子どもたちに見せたら、始まって数十分経った頃に「で、パパはいつ出てくるわけ?」と言われてしまったとか。
20代半ばでリチャード・リンクレーターと出会い、『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』(95年)に始まる足かけ18年のシリーズ3作をはじめ、8本の作品を一緒に作っている。最近作『6才のボクが、大人になるまで。』は12年間断続して撮影が行われたが、これはまさに絶大な信頼で結ばれたリンクレーターとの“共犯関係”の賜物だ。
ただ、イーサンの場合、こうした関係はリンクレーターのみに留まらない。先頃公開された『アナーキー』のマイケル・アルメレイダ監督、アカデミー賞助演男優賞候補になった『トレーニング・デイ』(01年)のアントワン・フクア監督、そして『ガタカ』(97年)のアンドリュー・ニコル監督とは『ロード・オブ・ウォー』(05年)に続いて、今秋公開の『ドローン・オブ・ウォー』でも組んでいる。
ちなみに『パージ』のジェームズ・デモナコ監督とも、『ニューヨーク、狼たちの野望』(09年/未)で組み、2005年の主演作『アサルト13 要塞警察』の脚本を手がけている。インディーズから大作まで、様々なジャンルの監督たちに一期一会で終わらせたくないと思わせる。これは俳優にとって冥利につきるはずだ。華やかなキャリアの持ち主にも関わらず、スターの臭みがまるでなく、平凡な男を演じて無理を感じさせない。ナチュラルを極めた演技力は、どんな無理な設定にもリアリティを与える。
もともと学校演劇で演技に目覚めた彼は、20代から自ら劇団を立ち上げ、出演・演出と舞台活動にも熱心だった。自作小説を自ら脚色・監督して映画化(『痛いほどきみが好きなのに』06)するなど、常に意欲的だったが、少々自意識過剰な思春期こじらせ系な感もあった。変化が感じられるようになったのは、『ガタカ』で共演して2児をもうけたウマ・サーマンと離婚し、08年に再婚した前後からだろうか。子どもたちのナニーだった女性との再婚はいろいろな憶測を呼んだが、ウマとの破局でいわゆる“セレブ界”と訣別したことが、彼に安定をもたらしたのではないだろうか。芸術家は不幸でなければいい作品を生み出せないという定説があるが、それにも見事に逆らう活躍ぶり。次々とクリシェから外れて前進し続ける面白い俳優だ。(文:冨永由紀/映画ライター)
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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