『サウルの息子』はハンガリー出身の新人監督、ネメシュ・ラースローによって撮られた、ナチス・ドイツのホロコーストを題材とする作品。1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で“ゾンダーコマンド”として働くハンガリー系ユダヤ人、サウルの身に起きた2日間の出来事を描いており、第68回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門でグランプリを受賞している。
当コラムでは、音楽が劇中で重要な役割を果たす作品を中心に紹介しているが、この『サウルの息子』は劇中でいっさい音楽が使われていない。なのにどうして今回取り上げたかと言うと、それは“音”そのものがとてもデリケートに扱われ、音楽を使う以上に見る者の感情を大きく揺さぶることに成功しているからだ。
ゾンダーコマンドとは、日本語で特別労務班の意。同胞のユダヤ人の衣服を脱がせてガス室に誘導し、金目の物品を取り分けた後に衣服を処分。次に“こと”の終わったガス室を開いて同胞たちの大量の遺体を運び出し、床や壁面を清掃。遺体を次々に焼却室で焼き、その灰を川へ流すという、あまりに過酷な任務を遂行しなければらない。そんなゾンダーコマンドとしての“仕事”に日々追われるサウルが、ある日ガス室でかろうじて生き残った自分の息子らしき少年を発見する。少年はナチスの軍医によってすぐ殺されてしまうが、サウルは彼をユダヤ教の教義に則って正しく埋葬するため、ユダヤ教の聖職者であるラビを捜して収容所内を奔走する。
映像は終始、サウルの表情や頭部のアップを手持ちカメラで追うという手法が採用されている。ラースロー監督は本作の映像を“美しく見せない/魅力的に見せない/ホラー映画にしない”というルールを作り、画面に映る情報は実際にサウルが見聞きするものに限定、彼の存在と視力/聴力を超えたフィールドには立ち入らないことを徹底させている。
また、異様なまでに被写界深度が浅く、サウルの眼前や背後で起きている出来事はほとんど輪郭がぼかされているが、いっぽうで音は前述のように生々しい。感情をまったく顔に出さず、ガス室の扉を閉めるサウル。その直後に聞こえてくる凄まじい叫び声にも、彼の表情はピクリとも動かない。見る者は直接的な光景ではなく、サウルの表情と音によって、この状況を体験することになる。ドルビーアトモスなどの最新鋭のデジタル・サラウンド技術を駆使しているわけではないが、ラースロー監督は“死の工場”で日ごと繰り返された狂気の現実を、これまでのホロコースト映画になかった冷徹な手法で再現している。(後編へ続く…)(文:伊藤隆剛/ライター)
・【映画を聴く】後編/“死の工場”で日ごと繰り返された狂気の現実をあぶり出す『サウルの息子』
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