スティーヴン・スピルバーグが名誉金熊賞を受賞!「私はこれで終わりとは決して言いたくないのです」

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スクリーン・デイリーより
スクリーン・デイリーより

ベルリン映画祭で感動的なスピーチ、第二次世界大戦後のドイツの姿勢にも言及

スティーヴン・スピルバーグ監督が21日(現地時間)、第73回ベルリン国際映画祭で名誉金熊賞を受賞し、映画監督として、人として、力強く感動的なスピーチをした。

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プレゼンターを務めたU2のボノの紹介を受けて登壇したスピルバーグは「この栄誉は、私がユダヤ人監督であることから、特別な意味をもっています」と、かつてホロコーストを行ったナチス政権下でも首都だったドイツ・ベルリンで開催される国際映画祭の授賞に言及した。

「私は、これが歴史の傷ついた箇所を癒すという、より大きな現在進行形の努力の中の小さな瞬間であると信じたいのです。ユダヤ人が”tikkun olam“と呼ぶ、世界の修復と復元です。私が1994年にショア基金を設立したのは、歴史家ヨセフ・ハイーム・イェルシャルミ(※)が書いたことが真実であると確信したからです。正義の反対は不正義ではありません。正義の反対は忘却です。和解は、何が起こったかを記憶しているときにのみ可能なのです」と語った。

スピルバーグは「ドイツ国民は、自国の歴史について読み、ホロコーストの前兆となる反ユダヤ主義、偏見、外国人排斥に関する教訓と向き合おうとしていることがわかります」と第二次世界大戦後のドイツの姿勢について述べた。

「私の国を含む他の国々は、ファシストの権力掌握を阻止するためのドイツ国民の勇気ある決断から多くを学ぶことができます。私たちをたぶらかす便利な記憶喪失を拒んでこそ、国家は公正と呼ばれることができるのです。20世紀以降、どの国も自分たちが正義と呼ばれるに値すると驕ったり、妄想ししてはならないのかもしれません。しかし、私たちは正義の可能性を否定すべきではない。その追求を止めるべきではありません。その追求こそが、人生の意味を見出すための最善の希望なのです。そしてそれは、想起することから始まるのです」。

スピーチでは、少年時代の1960年代から映画を撮り始めた自身の歩みを振り返った。「私は60年という長い間監督をしていますが、『激突!』(73年)や『ジョーズ』(75年)を監督したのは昨年のように感じられます。76歳なり、25歳で初めて長編映画を監督したときよりも、映画作りについて多くを知っています。しかし、『激突!』を撮り始めたときに私を苦しめた不安や不確かな気持ち、恐怖は50年経っても、まるで時間が経過していないかのように鮮明です。幸運なことに、監督として仕事の初日に感じる強い喜びは、恐怖と同じくらい不滅です。セットで仕事をしているときほど、故郷のように思える場所はないからです」とスピルバーグは語った。

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さらに妻のケイト・キャプショーや家族への深い感謝を述べたスピルバーグは、生涯功労賞の受賞は少し恥ずかしいとも語った。「その恥ずかしさは、私が1人では何も成し遂げていないことを自覚しているからに他なりません。私の映画はすべて、偉大なアーティストたちとのコラボレーションでした。そしてもちろん、私の人生も、私の家族も、コラボレーションなのです」。

そして賞の名称にかけて「私は生涯を送ったと言われることに少し警戒を覚えます」と語り始めた。「というのも、私はまだ完成していないのです。これからも学び、発見し、自分自身を、時にはあなたを脅かし続けたいのです」、「私にとっての喜びがある限り、そして観客が私の映画に喜びや他の人間的価値を見出すことができる限り、私はこれで終わりとは決して言いたくないのです」と語った。

「正直なところ、私は106歳で最後の作品を監督してマノエル・デ・オリヴェイラ(ポルトガルの映画監督で2015年に106歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた)の記録を破りたいのです。父のアーノルドは103歳半まで生きましたが、理論上は私も遺伝子を持っています」。

スピーチの最後には「告白しなければ……実は熊が本当に怖いんです! サメよりもずっと!」とお茶目に明かして笑いを誘ったスピルバーグ。「でも、怖がるのはいいことです。感謝したり、はにかんだり、警戒したりするのと同じように」と熊を模した金色のトロフィーを手に「だから、この金熊に感謝する。『振り返ってごらん、どこを歩いてきたかを』と私に叱咤激励してくれるのです」と締め括った。

※イェルシャルミの言葉は「“忘却”の反意語は“記憶”ではなく、“正義”である(The antonym of “forgetting” is not “remembering”, but justice.)」

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