カンヌでは監督賞受賞、英国アカデミー賞でも4部門ノミネート
【この監督に注目】ハリウッドのみならず世界中が注目する映画界最大の祭典、アカデミー賞。毎年、ノミネーションをめぐってサプライズが起きるが、3月12日(現地時間)発表の第95回アカデミー賞の場合は、パク・チャヌク監督の『別れる決心』が国際長編映画賞の候補から外れたことだろう。
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昨年5月の第75回カンヌ国際映画祭に『別れる決心』を出品して監督賞を受賞したパクは今年、アカデミー監督賞でサプライズ候補になるのでは、と言われていたが、一方で作品そのものの国際長編映画賞ノミネートは確実視されていた。受賞こそ逃したが、先ごろ発表の第76回英国アカデミー賞でも非英語映画賞、監督賞、脚本賞、編集賞の4部門にノミネートされ、韓国の青龍映画賞、大鐘賞など国内外で受賞も重ねてきた本作は、なぜオスカーで無視されたのだろうか?
『JSA』『オールド・ボーイ』で2000年初頭から国際的評価を高めた鬼才
パク・チャヌクといえば、『パラサイト 半地下の家族』(19年)のポン・ジュノ監督に先駆けて、21世紀を迎えてすぐに国際的に注目された韓国の映画監督だ。2000年の監督デビュー作『JSA』はソン・ガンホとイ・ビョンホンが主演を務め、日本でもヒットした。『オールド・ボーイ』(03年)は第57回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞、『サイボーグでも大丈夫』(07年)で第57回ベルリン国際映画祭アルフレッド・バウアー賞、『渇き』(09年)で第62回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。その人気はヨーロッパだけに留まらず、2013年には『オールド・ボーイ』がスパイク・リー監督、ジョシュ・ブローリンとエリザベス・オルセン主演でリメイクされ、パク自身も『イノセント・ガーデン』(13年)でハリウッド進出を果たした。
日本統治時代の朝鮮が舞台の『お嬢さん』(16年)は第71回英国アカデミー賞非英語映画賞を受賞、翌年にはイギリスのBBCでTVシリーズ『リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ』(18年)を、大ブレイク前のフローレンス・ピューを主演に迎えて監督した。
過激な描写を抑えて新たなステージを迎えた『別れる決心』
そして『リトル・ドラマー・ガール~』の長い撮影期間中、再び韓国で映画を撮りたいという思いを募らせたのが『別れる決心』の始まりだ。きっかけはドラマ撮影時によく聴いていた韓国の懐メロ「霧」だという。
『オールド・ボーイ』の原作は日本の劇画、『渇き』ではフランスのエミール・ゾラの小説に着想を得て、『お嬢さん』はウェールズ出身のサラ・ウォーターズの小説が原作。パクは海外の創作物を見事に自分の世界に変貌させ、代表作にしてきた。欧米でいち早く受け入れられた一因はその辺りにもありそうだ。
今回も『親切なクムジャさん』(05年)以来、数多くを共作してきたチョン・ソギョンとの共同脚本だが、母国の歌謡曲がインスピレーションのロマンス、さらにトレードマークだった暴力や性の過激な描写も抑えたスタイルは、彼らが新たなステージを迎えたように思える。
男性の転落死事件を捜査する刑事と、夫殺害の疑惑をかけられる中国人の妻が惹かれ合う物語だが、パクはサンタ・バーバラ国際映画祭のQ&Aで、刑事が主人公の映画にしたいと話すと、誰もが「バイオレンスもエロも満載になりますね」と反応し、その逆を行こうと思ったと語った。
刑事のヘジュンを演じるパク・ヘイルも、中国から来たソレを演じるタン・ウェイもパク作品への出演は初めて。さらに撮影監督も長年組んできたチョン・ジョンフンに代わってキム・ジヨン(『白頭山大噴火』19年)を起用し、ヴィジュアルの新しさを取り込みながら、『別れる決心』はどこを切ってもパク・チャヌクらしさに満ちている。
宿命の女と男を描いた極上の恋愛心理劇
あらすじはノワール映画の王道だが、その要素として倦怠期の夫婦、移民、老人介護、原発、そしてスマートフォンと、2020年代の社会を普遍的に表すモチーフをごくナチュラルに散りばめ、特にスマートフォンのアプリの取り入れ方は見事だ。ハイテク機器がこれほど有機的に機能する映画は初めて見た気がする。
優しき刑事ヘジュンのキャラクターはスウェーデンの推理小説の主人公マルティン・ベック(劇中の本棚にも「刑事マルティン・ベック」がある)の影響があるという。『別れる決心』を語るうえで、ヒッチコックの『めまい』がしばしば言及されるが、同作の影響を認めつつ、パクが事前にチョン・ソギョンに見るように勧めたのはデヴィッド・リーン監督の『逢いびき』(45年)だという。本作の世界もやはり、ソレの出身である中国を含めて多様な文化の融合で成り立つものだ。
タン・ウェイが醸し出す生活感あふれる艶かしさが絶妙なソレはファム・ファタール(宿命の女)ではあるが、ではヘジュンは振り回されるだけなのかというと、ソレを駆り立てるという意味では彼もオム・ファタール(宿命の男)だ。取り調べ室の2人の攻防や張り込みといった刑事ドラマの典型的なシーンこそが、「愛している」とは言わないロマンスを描く道具になっている。
前哨戦でも健闘してきた作品を選外にした理由と“らしさ”
映画を楽しむうえで個人的に喰らって嫌なネタバレは、ストーリーの展開よりも画面や音についての情報だ。ゆえにここでもふわっとした表現にしてしまうが、とにかくあらゆる面が緻密に構築されている。山のようにも海のようにも見える壁紙、様々な状況での男声/女声の使い分けなど、見えるもの聞こえるものをありのまま受け取っても、深読みをしても、どちらも正しい。観客その人の映画になるのだ。野暮に説明し過ぎないのは観客を信じているからなのだろう。アカデミーの会員にそれはうまく伝わらなかったのか。
今年のアカデミー賞国際長編映画賞の候補作は『アルゼンチン1985~歴史を変えた裁判~』を除く4本はヨーロッパの作品だ。一方、最多11部門ノミネートの『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はアメリカのアジア系移民の家族の物語で、ミシェル・ヨー(主演女優賞)、キー・ホイ・クァン(助演男優賞)、ステファニー・スー(助演女優賞)がノミネートされ、助演女優賞ではアジア系のホン・チャウ(『ザ・ホエール』)も候補になっている。
改革が進められているアカデミーだが、保守的な会員にとっての無意識の“アジア枠”は、彼らにとって理解しやすい英語話者によって埋まってしまったのではないか。的外れな私見だが、前哨戦でも健闘してきたノミネート本命作を選外にしてしまう理由は、他にあまり思い浮かばない。
アカデミー賞の長い歴史の中で、どうしてこれが? という授賞もあれば、どうしてこれを無視した? という選考は何度もあった。ヒッチコックなど古典を踏襲する極上の恋愛心理劇を表彰する機会をみすみす逃すのは“らしい”とも思えると同時に、映画ファンの心がアカデミー賞から離れる決断のきっかけになりはしないか、と老婆心ながら思う。(文:冨永由紀/映画ライター)
『別れる決心』は公開中。
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