【週末シネマ】人種への偏見を凌駕する才能でモード界の第一人者となった男、その生涯を描くドキュメンタリー
ファッション界の巨人に迫る『アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者』
女性ファッション誌の編集者というと、ついついマノロ・ブラニクやルブタンのヒールを履いてファッションウィークのコレクション会場を闊歩するような人物を思い浮かべる。ところが、そんな陳腐なステレオタイプのイメージとは大きくかけ離れた風貌でありながら、コレクションのフロントローに鎮座し、ファッション誌の紙面にとてつもなく粋でモードな世界観を繰り広げ、錚々たるモード界の重鎮たちと深い親交を持ったアンドレ・レオン・タリーという男がいる。
・19歳で出産、世界を旅して恋をして才能を開花させたマリメッコのデザイナー、マイヤ・イソラ
元々はすらりとした長身だったようだが、本人曰く「40歳を過ぎた頃から太りだした」らしく、作中の彼の第一印象は「縦にも横にも大きい巨漢の黒人男性」「気の良さそうな黒人のおじさん」であり、失礼だがモード界の一線で活躍した人物とはとても思えない。ケープやカフタン(アラブの民族衣装)といったゆったりシルエットの服を好んで纏う彼の姿は、モード界の第一人者というより教会の日曜ミサで説教をする神父と言った方がよほどしっくり来る。
ところが彼は、『プラダを着た悪魔』でスタンリー・トゥッチ演じたナイジェルのモデルとも言われる、モード界の一大アイコンなのだ。アンディ・ウォーホルのアトリエ「ファクトリー」や伝説のディスコ「54」など、トレンドやモードの「旬」が凝縮している場所には常に彼の姿があった。『アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者』は、大半を彼自身のインタビューで綴ったドキュメンタリー映画である。ファッション誌の編集者にとどまらない彼の肩書は、「ファッションキュレーター」とされているようだ。
人種差別が色濃く残る時代にファッション界で頭角を現した比類なき才能
今ですら人種差別問題は根強く残っているというのに、黒人の人種差別が合法的にまかり通っていた1948年のアメリカ南部で生まれたアンドレがモード界でトップにのし上がるには、並々ならぬ苦労があったことは容易に想像できる。インタビューでは、サンローランのスタッフから陰で屈辱的なあだ名を付けられていたことや、やっかみによる根も葉もない誹謗中傷があったことを本人が語っている。だが彼には、人種差別への偏見をはるかに凌駕するモードな目利き力があった。さらに彼のチャーミングな人柄や知性といった魅力の後押しもあり、人種への偏見が彼のキャリア形成を妨げることはなかった。作中では、マーク・ジェイコブス、トム・フォード、カール・ラガーフェルドといったモード界を牽引してきたトップクリエイターたちも登場し、アンドレの魅力について語っている。
アンドレが過去にディレクションを手掛けたファッション誌のページも紹介されている。奴隷制度時代の南部アメリカを舞台にした『風と共に去りぬ』をモチーフに、メイド(黒人)と主人(白人)の役柄を反転させてモードに仕立て上げたヴァニティフェア誌のファッションページは実に圧巻だ。スカーレットを演じたのは黒人モデルのナオミ・キャンベル。そして、使用人や庭師としてジョン・ガリアーノやマノロ・ブラニクといった白人デザイナーたちが登場する。別の紙面ではシンディ・クロフォードを未亡人に見立て、黒の水着とヴェールというとんでもない「喪服」で正装させて夫の葬儀会場に向かわせる。アンドレには、常人には思いつかないような大胆な発想力とそれをクリエイトする才能があった。
だがそんな彼にも、ついぞ叶わないことがあった。それは、「愛する人との出会い」と「恋愛経験」である。2022年1月に73歳で他界したアンドレ・レオン・タリー。仕事に邁進し続けた彼の華々しい人生の、切ない側面だ。(文:羽野ハノン/ライター)
『アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者』は、2023年3月17日より公開中。
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