(…前編「生田斗真なのに生田斗真じゃない不思議な感覚〜」より続く)
【ついついママ目線】『彼らが本気で編むときは、』後編
「ごめんね」よりも心に響く、肯定の一言
凛とした強さを感じさせるトランスジェンダーのリンコが登場する『彼らが本気で編むときは、』。このリンコの強さは母親の後ろ盾があってこそのものだろうと思う。
・天才児をもってしまった母の孤独。埋まらない溝に切なさ感じる
田中美佐子演じるリンコの母・フミコは我が子を尊重し、小学生であるトモ相手にでも、リンコを傷つけたら承知しないと釘をさすほど、子どもを守ることに揺るぎない姿勢を見せる母親だ。ときに行きすぎて利己的な発言をしてリンコ自身に諌められることもあるが、それでも「だって、自分の娘が一番かわいいんだもん」と言い放つ。そのぐらいの代償はないと、リンコの強さは生まれなかったかもしれない。
そんなことを我が子に言われたら、自分ならどう言葉をかけるだろう。とにかくいたたまれなくて、おっぱいのある体に産んであげてなくてごめんね、という気持ちでいっぱいになると思う。
でも、この母はしばし間を置いてから大きく頷き、「そうだよね、リンちゃん、女の子だもんね」と返す。そこでリンコは安心して、張りつめていたものが緩んだように泣き崩れる。
監督が本作を作るきっかけとなった実在の親子がいるらしく、その親子も同じ言葉を交わしたそうだ。
はじめに母親のこの言葉を聞いたとき、物理的にも子どもをお腹の中で育てて産み出す母親は、責任を感じて子どもへの申し訳なさが先に来るもんじゃないかなと思った。でも、言葉を噛みしめていくうちに、この母親の言葉にどれだけ子どもは救われただろうと思うようになった。
もし、「ごめんね」と母親に謝られたなら、子どもは母親にそう言わせることを逆に申し訳なく思うだろうし、母親が憐れむ存在である自分を悲観することになるだろう。しかし、現状は男の体を持っていても「女の子だもんね」と、おっぱいを欲しがる思いは当然のことだと肯定されたら、それだけで自尊心を保つことができるんじゃないだろうか。
自己の基盤の大きな土台である性が自分で受け入れられないことはアイデンティティを大きく揺さぶり、想像以上に不安なことだろう。そんな場合に自分を産んでくれた母親の支えこそが大きな励みとなるはずだ。
母親にとっては男の子だ女の子だという前に“我が子”であることに変わりはない。LGBTだなんだと身構えることはないかもしれない。
我が子が自分を受け入れて自分に自信が持てるようなことを言葉にしてあげればいい。難しい言葉じゃなく、間違っていないよというだけで十分なのだ。(文:入江奈々/映画ライター)
『彼らが本気で編むときは、』は2月25日より公開される。
入江奈々(いりえ・なな)
兵庫県神戸市出身。都内録音スタジオの映像制作部にて演出助手を経験したのち、出版業界に転身。レンタルビデオ業界誌編集部を経て、フリーランスのライター兼編集者に。さまざまな雑誌や書籍、Webサイトに携わり、映画をメインに幅広い分野で活躍中。
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