70年代にヴィスコンティ監督作品への出演で一世を風靡
1970年代にイタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督の作品への出演で一世を風靡した俳優のヘルムート・バーガーが18日(現地時間)、オーストリアのザルツブルクで亡くなった。享年78。
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バーガーが所属するヘルムート・ヴェルナー・マネージメントは18日に「ヘルムート・バーガーは、79歳の誕生日を目前に控えた本日午前4時、故郷のザルツブルクで、穏やかに、しかし突然に逝去されました」と声明を発表した。
バーガーは1944年にオーストリアのバート・イシュルのホテル・レストラン経営者の家に生まれ、10代で渡英して演技を学び、その後イタリアに移住。ペルージャの大学在学中の1964年にヴィスコンティ監督の『熊座の淡き星影』の撮影が同地で行われていた際、監督に見出されて1966年に『華やかな魔女たち』で映画デビューした。
当時からバイセクシャルであることを公表していたバーガーはヴィスコンティと公私を共にするようになり、監督と主演俳優として、ナチス政権下のドイツを舞台にした『地獄に堕ちた勇者ども』(69年)、主演作『ルートヴィヒ』(73年)、『家族の肖像』(74年)といった傑作を世に送り出し続けた。
1976年にヴィスコンティが亡くなった後も俳優業は続けたが、作品に恵まれずにキャリアは低迷した。フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザーPART III』(90年)などに出演していた。2014年には、ベルトラン・ボネロ監督の『SAINT LAURENT サンローラン』で故ギャスパー・ウリエルが演じた主人公イヴ・サンローランの老境の姿を演じていた。
薬物中毒や自殺未遂、奔放な恋愛などスキャンダラスな私生活も有名で、1998年にはそれらを赤裸々に綴った自伝も発表している。同著では「私は生涯を終えるまでヴィスコンティの未亡人だ。時には陽気で、時には酔いどれ、ヒステリックになることさえあり、だが常に喪に服す」と記している。近年は地元のTVトーク番組で過去の暴露話をする機会が増えていたという。
『SAINT LAURENT サンローラン』が2014年にカンヌ国際映画祭で上映された際、レッドカーペットを歩くのもやや辛そうな表情を見せていたが、それから健康上の問題が続き、2019年にカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員特別賞を受賞したフランスのアルベルト・セラ監督の『リベルテ』に主演したのを最後に、同年11月に引退を表明していた。
エージェンシーの声明は「彼は生涯を通じて、モットーである“ラ・ドルチェ・ヴィータ(La Dolce Vita/甘い生活)を満喫しました。国際的なジェットセットでパーティーの寵児だった彼は、ザルツブルクで最後まで幸せで、満ち足りて、機嫌よく暮らしました」と晩年の様子を伝え、「ヘルムート・バーガーはヨーロッパ映画の最も偉大で才能ある俳優の1人でした」「バート・イシュル出身である彼の後に、バイエルンのおとぎ話のような王を豊かに体現した俳優はいません」と故人を讃えた。
・[動画]特集上映「ヴィスコンティと美しき男たち ~アラン・ドロンとヘルムート・バーガー~」予告編
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