実際の障害者殺傷事件をモチーフにした衝撃作 共演にオダギリジョー、二階堂ふみ
主演に宮沢りえ、共演にオダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみを迎え、石井裕也が脚本・監督を手がけた映画『月』が、10月13日に劇場公開されることが決定した。本作より場面写真を紹介する。
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原作は、実際の障害者殺傷事件をモチーフにした辺見庸による同名小説。事件を起こした個人を裁くのではなく、事件を生み出した社会的背景と人間存在の深部に切り込まなければならないと感じたという著者は、〈語られたくない事実〉の内部に潜ることに小説という形で挑戦した。
この問題作を映画化したのは、コロナ禍を生きる親子を描いた『茜色に焼かれる』(21年)、新作『愛にイナズマ』(23年)など、常に新しい境地へ果敢に挑み続ける映画監督・石井裕也。10代の頃から辺見の作品に魅せられてきた彼は、原作を独自に再構成し、渾身のパワーと生々しい血肉の通った破格の表現としてスクリーンに叩きつける。
本作は、『新聞記者』(19年)や『空白』(21年)を手掛けてきたスターサンズの故・河村光庸プロデューサーが最も挑戦したかった題材でもあった。それは、日本社会に長らく根付く、労働や福祉、生活の根底に流れるシステムへの問いであり、複眼的に人間の尊厳を描くことへの挑戦だった。
オファーを受けた石井監督は「撮らなければならない映画だと覚悟を決めた」と、このテーマに目を背けてはならないという信念のもと、キャスト・スタッフと共に作り上げる決意をした。宮沢りえ、オダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみといった第一級の俳優陣たちもまた、ただならぬ覚悟で本作に参加した。
今回紹介するのは、主演・宮沢が写る場面写真1点。まるで何かを隠そうと生い茂る森に囲まれ、たたずむ洋子。その表情からは、さまざまな悩みや不安を抱えていることが読み取れる。
また、本作をいち早く鑑賞した有識者からもコメントが届いている。編集者・見城徹は「この社会に蔓延る[嘘と現実]、[善と悪]、[建前と本音]の判断を宙吊りにしたとてつもない映画だった」と語り、作家の高橋源一郎は「『月』は、あまりに強烈なテーマを扱っているので、もしかしたら観客は、そちらに視線を奪われるかもしれない。そうではない。もっとずっと繊細で、実はおぼろげなものが、そこにある。それは『生きる』ということなのかもしれない」と、今の日本映画においての存在意義を表明している。
クランクインの直前に亡くなった河村プロデューサーの遺志を受け継ぎ、本作を完成させた長井龍プロデューサーも「目の前の問題に蓋をするという行為が、社会の至る所に潜んでいるのではないか、という問いが本作には含まれている」と語る。
2023年、社会が、そして個人が問題に対して“見て見ぬふり”をしてきたという現実をつまびらかにし、世に問う本作が放たれることによって、鑑賞する我々も覚悟が問われることになる。
映画『月』は10月13日より劇場公開。
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[コメント]
監督・脚本:石井裕也
この話をもらった時、震えました。怖かったですが、すぐに逃げられないと悟りました。撮らなければい けない映画だと覚悟を決めました。多くの人が目を背けようとする問題を扱っています。ですが、これは 簡単に無視していい問題ではなく、他人事ではないどころか、むしろ私たちにとってとても大切な問 題です。この映画を一緒に作ったのは、人の命や尊厳に真正面から向き合う覚悟を決めた最高の俳優とス タッフたちです。人の目が届かないところにある闇を描いたからこそ、誰も観たことがない類の映画にな りました。異様な熱気に満ちています。宮沢りえさんがとにかく凄まじいです。
プロデューサー:⻑井龍
目の前の問題に蓋をするという行為が、この物語で描かれる環境に限らず、社会の至る所に潜んでいるの ではないか、という問いが映画『月』には含まれています。 障害福祉に従事されている方にも本作をご覧頂き「この映画を通して、障害者の置かれている世界を知っ てもらいたい」という言葉も預かりました。本作を届けていく必要性を改めて噛み締めています。そして、 ただならぬ覚悟。そして映画製作を通して、この数年で障害福祉の環境が変わろうとしている現実も目の当たりにしました。その こともまた、社会の持つ可能性のひとつだと信じています。
見城徹(編集者)
この社会に蔓延る[嘘と現実]、[善と悪]、[建前と本音]の判断を宙吊りにしたとてつもない映画だっ た。「月」は誰もが当たり前のように見ているが、実は誰も本当に存在しているのか解らない曖昧なもの でもある。しかも、「月」は太陽の光に照らされて様々に姿を変える。だから、「月」はロマンチックな 影を人間の心に落とすのだ。オダギリジョーと宮沢りえ夫婦が直面する[圧倒的な現実]と磯村勇斗の心 に影だけを落とす[月]はライバルのように激しくせめぎ合う。後半は磯村勇斗の狂気(=ルナティック= 月)を誰も否定出来なくなるが、ラストに宮沢りえがオダギリジョーにかける一言がこの映画を万感の想 いで支えている。 身動きも出来ないまま観終わって、まだ映画に犯されている。世に問うべき大問題作にして大傑作の誕生。 石井裕也監督、此処にあり。凄過ぎる。
高橋源一郎(作家)
『月』を観て、名状し難い感銘を受けた……と書いて、これは正確ではないと思った。ぼくが感じたもの は、もっとずっとやっかいで、ことばにするのが難しいものだった。 『月』では、障害者施設を襲い、そこに収容されている人たちを殺傷した現実の事件とその犯人らしき人 物がモデルとして描かれている。そこには重い問いかけがある。どんなことばもはね返してしまうような 強烈な問いである。だが、その問いよりもさらに強く、訴えてくるのは「月」だと思った。映画全体をひ たしている「月の光」だ。 「太陽の光」はまぶしく、すべてのものを照らし尽くす。そこではすべてが見えてしまうだろう。世界の 隅々までまでくっきりと。けれども、「月の光」はちがう。ぼくたちひとりひとりを個別に照らすか細い 光である。その淡い光の下でだけ、ぼくたちは「個」になるのだ。
登場人物の多くは、「ものをつくる人」である。そして、同時に「うまく作ることができない人」でも ある。彼らは淡い「月の光」の下でそのことを知る。そこで生まれてくるものがある。そこでしか生まれ ないものが。それがなになのかぼくにはよくわからない。『月』は、あまりに強烈なテーマを扱っている ので、もしかしたら観客は、そちらに視線を奪われるかもしれない。そうではない。もっとずっと繊細で、 実はおぼろげなものが、そこにある。それは「生きる」ということなのかもしれない。もう一度書くが、 ぼくにはその正体がはっきりとはわからない。わからないまま、ぼくはうちのめされていた。ぼくもまた、 この映画が発する「月の光」の下にいたのだ。
森直人(映画評論家)
石井裕也が命がけでぶん投げてきた灼熱の問題提起の豪球。 我々にできるのは、火傷しながらも全身で受け止めること。 『月』は告げる。もう見え透いた嘘はやめにしよう。 本気の表現しか響かない新しい時代が目の前に来ている。
恩田泰子(読売新聞編集委員)
石井裕也監督の「月」は、広く公開され、たくさんの人に届けられなければならない。 この映画は、苛烈にして誠実な表現をもって、人や社会をぬくぬくとくるんできたきれいごとを剥がし、 見ているふりをして見ていなかったこと、考えているふりをして考えていなかったことを突きつけてくる。 もう逃げたり、ひるんだりしているわけにはいかない。 カオスの中でつつましくまたたく希望のかけらを見つけ出すために。この映画から、しっぽを巻いて逃げ 出したら、それこそもう絶望しか残らないのだ。
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