ISIS(イスラム国)に引き裂かれた、とあるスウェーデンの家族の記録
娘がISIS(イスラム国)に参加し死亡し、遺された孫7人を救いたいと命がけの旅に出た男性のドキュメンタリー映画『“敵”の子どもたち』。9月16日より全国順次公開される本作より、監督インタビュー&各界著名人のコメントを紹介する。
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世界を恐怖に陥れたISIS(イスラム国)は、とあるスウェーデンの家族を引き裂いていた。ミュージシャンのパトリシオ・ガルヴェスの娘アマンダは、元妻と共にイスラム教徒に改宗。スウェーデンで最も悪名高いISISメンバーと結婚し、2014年にシリアに密航してしまう。帰国の説得は上手くいかなかった。そして2019年、ISIS掃討作戦で夫婦共に殺され、1歳から8歳の7人の幼い子どもたちが遺された。
「娘は救えなかったが、孫は救いたい」。決意を固めたパトリシオは、たった1人で危険を顧みずに孫の救出に乗り出していく。孫がシリア北東部のアルホル難民キャンプにいることを知り彼は、スーツケースにおもちゃや靴を詰め込みシリアとの国境近くのイラクの都市へと向かう。
SNSでは「敵の子どもたちを連れて帰るな」など大量の批判があった。危険で衛生環境も悪い難民キャンプから、孫を救い出すために自らシリア入りすることにしたパトリシオ。果たして無事に孫を救い出すことは出来るのだろうか?
本作の監督を務めたのは、映画、テレビ、ラジオのライターであり、VRなどの実験的フォーマットを扱うマルチメディア・アーティストでもあるゴルキ・グラセル・ミューラー。パトリシオの危険な旅に同行した彼は、インタビューで次のように語っている。
──パトリシオの旅は、どの程度あなたの旅でもあったのでしょうか? どこまでが自分事だったのでしょうか?
ミューラー監督:いろいろな理由から、この旅は私にとっても、とても個人的なものでした。パトリシオとはすでに長い付き合いになっていました。彼が救出した子どもたちを連れて行くために領事館に呼ばれたとき、私は同行が許されず、警備員に止められました。30分もすると、彼1人では子どもたちを運べないことが分かりました。特に子どもの内3人はまだ歩けなかったからです。そこで、彼は私に子どもたちを運ぶのを手伝ってくれるように頼んだのです。これが、私が映画監督というより1人の人間としてこの旅に関わる分岐点でした。子どもが絡むと、周りの人みんなが助けたくなるものです。
──つまり、撮影する者として撮影する側との距離を置かなかったのですね?
ミューラー監督:私はパトリシオを助けなければなりませんでした。彼とは約束をしていたのです。もし彼が映画監督というより友人として私を必要とする時は、彼は私を頼れるという約束です。私は彼に、彼が踏み出した一歩一歩を映画化したいと伝えました。もし彼が困難な状況に置かれ、彼を助けたり子どもの世話を手伝うかという選択に直面したら、手伝うことを決めていました。客観的に撮影することは、映画の導入時点のみの話でした。一方クルーがいなかったので、私はたった1人でした。ですから私は映画制作に加えて様々なことを同時にしなければなりませんでした。
──この物語をどのように知り、どのようにこの旅に参加されたのでしょうか?
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ミューラー監督:私とパトリシオは昔からの知り合いです。映像作家として、彼のバンドのミュージックビデオを監督したことがありました。パトリシオの娘、アマンダのことは知っていました。彼女がイスラム教に改宗したことも知っていましたし、とても興味がありました。というのもチリ系スウェーデン人がイスラム教に改宗したという話は、他に聞いたことがなかったからです。実際、イスラム教に改宗した人を誰1人知りませんでした。パトリシオにとっては受け入れがたいことだったでしょうが、結局受け入れていました。
パトリシオのようなボヘミアン・ミュージシャンと、音楽を基本的に禁止するイスラム教に改宗した少女の間に矛盾を感じました。彼の娘が自分を完全に覆い隠し、パトリシオの世界とはかけ離れた人物になっていくという話は、映画の題材として関心を持っていたストーリーの一つでした。当時私はフィクション映画の仕事に集中していて、ドキュメンタリーは撮影していませんでした。しかし、ある日、パトリシオが「伝えたいことがあるんだけど、電話では言えないんだ」と電話をかけてきたことで変わりました。
彼の口調から、これが重要なことであることがわかりました。会うと、彼は娘を「イスラム国」に奪われたこと、アマンダをシリアから帰国させることができなかったことを話してくれました。アマンダを帰国させることもできず、彼女の子どもたちがどうなったのかもわからない。そこで彼は「一緒に来ないか? 映画化しないか?」と私を誘ったのです。どういうわけか、彼は子どもたちが生きていることを感じました。とてもスピリチュアルな人だったので、彼は子どもたちが生きているから、救われなければならないと強く信じていました。シリアで子どもたちを腕に抱いてみて、それは現実となったのです。
──パトリシオのどんなところが一番印象に残っていますか?
ミューラー監督:彼のストレスへの対処法には本当に感心させられました。私の方がストレスで怒ったり悲しんだりして いました。パトリシオには目標があり、粘り強かったのです。彼は「うまくいくに違いない。何かいいことがあるはずだ」と言い続けました。そして、これをマントラのように繰り返していたのです。
もうひとつ印象に残っているのは、パトリシオは寛容な人だということです。気楽な性格だったため、彼は子どもたちを救うことができたのです。彼は、決して会えないような人たちにも会うことができました。彼はとても気楽な性格なので、極度のストレス状況を克服することができました。彼は常に用意周到でした。
──子どもたちのためにおもちゃを沢山詰めたバッグを持って中東に行きましたね。
ミューラー監督:そうです。歯ブラシも買ってあったんです。彼にとって、これは人道的な介入だったのです。病気や事故で簡単に死んでしまうか、あるいは単に姿を消してしまうような場所から、子どもたちを連れ戻す行動です。
──この救出作戦が失敗する可能性があることを考えたことはありますか?
ミューラー監督:毎日が撮影の最後の日になっていたかもしれません。失敗や悲劇で終わる可能性もあったのです。パトリシオが成功すると信じていた人はほとんどいなかったと思います。私たちの多くは彼の成功を願っていたはずですが、実は誰も可能だとは思っていなかったのです。人の可能性を信じられないというのは、ちょっと悲しいことですが、あまりにも大きな目標だったのです。ビザの更新、許可証の取得、人との面会など、毎日多くのタスクがありました。これらの瞬間は映画的には非常に退屈なので、映画には登場していません。また、役人とのやりとりのほとんどを撮影する勇気がありませんでした。撮影機材を没収されたり、拘束されたりするのが嫌だったからです。
──映画では、自由になってからの子どもたちのトラウマを目の当たりにする、強烈な瞬間があります。カメラを向け、その瞬間を撮影するのは難しかったですか?
ミューラー監督:子どもたちは泣きわめいていました。そのうちの3人は、床の上、ベッドの間で眠りたがりました。子どもたちの行動は理解できません。彼らが悲しんだり、怒ったり、一日中食べ物を手に持って回ったりする、そんな瞬間が何度かありました。撮影では7日間一緒に過ごしましたが、毎日が48時間に感じられました。私はその瞬間瞬間を記録しなければなりませんでしたが、彼らに食べ物を与える側の役割もしていました。私は彼らの薬も担当していました。パトリシオは、すべての面倒を見ることはできませんでした。私はいつも、少なくとも小さなカメラを持っていました。
飛行機から降りるシーンは、私の左腕に子どもを乗せ、右腕にもう1人の子どもを乗せていたので、胸にカメラを縛り付けて撮影しました。なんとしても撮影しなければならなかったのです。私にとって、それは世界に伝えなければならない古代ギリシャの叙事詩「オデッセイ」のようなものでした。なぜなら、この子どもたちはISISの子どもたちではありません。彼らは愛の子なのです。彼らの祖父の愛が彼らを救ったのです。そして子どもたちからパトリシオへの愛も彼ら自身を救ったのです。
──これはあなたの初めてのドキュメンタリー映画です。通常、ドキュメンタリー映画制作者に「フィクションに移らないか」と聞くことがあります。あなたはその逆でしたね、どうしてですか?
ミューラー監督:このような重要なことが自分の身に降りかかると、深い責任を感じるものです。イラクやシリアに行くのが怖かったので、受け入れるのに2、3日かかりました。この物語はどうせ語られていたでしょうが、完成した映画のようには伝えられなかったでしょう。私はマスメディアとは異なる方法で、パトリシオに近づくことができました。だからこそ、この映画を作れたのです。
──映画によって、人々の意識が高まることは確かです。同じような境遇の子どもたちを救うモデルになると思いますか? 難民キャンプでは、おそらく多くの両親や祖父母が子どもたちを探していることでしょう。
ミューラー監督:知らせたからいいというものではありません。難⺠キャンプの外にいる人たち、つまり子どもたちを探したいと願っている親族の視点を共有する必要があるのです。パトリシオは、「私はこの子たちの面倒を見る。人生の新たなスタートが切れるように全力を尽くす」と。それこそが、この映画を観た人たちに持ち帰ってほしいことです。この子どもたちに罪はないのか? 他のヨーロッパの子どもたちと同じように扱われるべきなのか?といった質問は非人間的な問いです。この子どもたちをどう扱うかは、とても基本的な問題です。私たちは、自分たちの文明にどれほどの価値を置いているのでしょうか。私たちは社会の進化において、⻑い道のりを歩んできました。では、敵国の子どもたちをどう扱うべきなのか。彼らは決して両親の行為の代償を払ってはならないのです。
──パトリシオや子どもたちとは連絡を取り合っているのでしょうか? そして、社会はどのように彼らを 迎えていますか?
ミューラー監督:パトリシオとはほぼ毎日連絡を取り合っています。昨年のクリスマスには子どもたちに会いましたが、その元気な姿には驚かされました。元気そうで、自信に満ち溢れていました。素敵な子どもたちです! 彼らはさまざまな家庭に預けられ、世話をする人たちがいます。彼らは難⺠キャンプで成⻑し、「あなたのお父さんはヒーローだった、同じ道を歩むべきだ」と言われ、過激派の餌食になる可能性もあったのです。彼らは今、スウェーデンで普通の子どもたちと同じように、学校、遊び、余暇活動をしています。彼らは普通の人生を歩み始めているのです。
また、本作を鑑賞した著名人からは以下のようなコメントが寄せられている。
■森達也(映画監督・作家)
イスラム過激派組織であるIS版宗教2世の問題を提示する本作は、信仰のために妻と娘を失った夫が主人公だ。でも孫がいる。奪還は可能なのか。激しい戦闘や殺戮のシーンはない。でも激しい信仰は戦闘や殺戮を伴いながら肉親への愛を引き裂く。このとき政治や制度はどのように機能すべきなのか。投げかけられた課題は多い。
■鎌田實(医師・作家)
「敵の子どもたちを連れて帰るな」というSNSの空気に負けない覚悟がいい。ISISに身を投じた娘は助けられなかったけど、7人の子どもたちは助けたい。若いじいちゃんの想いが、ヒシヒシと伝わってくる。
久々に素敵なドキュメンタリー映画を観た。子どもに罪はないはず、としみじみ思った。
感動! 感動!
■高橋和夫(放送大学名誉教授)
テロリストの子供達にも人権はあるのか。欧州出身のIS「イスラム国」の戦士の遺族と、どう向き合うのか。欧州の人権の理念そのものへの問いかけだ。
■須賀川拓(JNN(TBS系)中東支局長)
社会に拒絶された「“敵”の子どもたち」を受け入れ、全てを愛する祖父の目が忘れられない。彼が見たのは希望なのか。それとも、絶望なのか。今も続くシリア内戦が引き裂いた、家族の激動の記録。
■綿井健陽(ジャーナリスト・映画監督)
パトリシオの7人の孫たちは、「テロリストの子どもたち」なのか。「過激派組織の下で暮らした子どもたち」を、社会は受け入れられるのか。
これは「子どもたち救出の物語」ではなく、子どもたちが救出された後の世界へ問いかける映画だ。
映画『“敵”の子どもたち』は9月16日より全国順次公開。
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