【ついついママ目線】『散歩する侵略者』後編
一方的に愛を注ぐことに幸せを感じるオンナ脳
・【ついついママ目線】『散歩する侵略者』前編/「イラっとして叱りつける。「ああ、オンナだな」と思う夫への接し方とは?」より続く
行方不明の後に帰って来た夫が地球を侵略しに来たと告げる、ひと組の夫婦を中心にある異変を描いた黒沢清監督の『散歩する侵略者』。
妻の鳴海は、夫の様子が異常でも、根本的なところに着目せず、目の前の表層的なことがきちんとなされてないことを気にして、夫に感情をぶつけながら話を進めていく。女性の自分がこういうのも嫌だが、オンナっぽいなぁと思わざるを得ない。
さらに物語が展開していくと、町での異変を目の当たりにし、鳴海も夫の真治は宇宙人かもしれないと思うようになる。
しかし、それでも鳴海にとって真治が宇宙人であるか否かはあまり大したことではない。この辺りが黒沢清監督らしく、トラジックコメディのような滑稽さが笑いを誘う。本来のインベイダーものなら主軸となる、身近な家族が宇宙人に乗っ取られたかもしれないということは衝撃の事実なわけだが、それを鳴海はあっさり受け入れてスルーしてしまう。
それよりも、不仲だった夫が別人のように素直で穏やかになった事実のほうが驚くべきことなのだ。鳴海にとっては真治が宇宙人であろうと地球人であろうと、今までは浮気をしていた彼が自分に目を向けるようになり、鳴海が作った料理なら嫌いだったはずの物でも美味しい美味しいと言って食べるてくれることこそ重要で嬉しいのだ。真治は鳴海をガイドだといい、だから彼女に素直に従うし、夫婦とは地球人にとってそういう定義だから鳴海に優しくしているようだが、鳴海はそんなことは構わない。夫であるはずの男が優しく穏やかなら、それでいい。
そして、真治という愛すべき人がいることに大きな喜びを感じている。彼と理解し合っている、彼に愛されているという実感はなくてもいいのだろう。その愛は宗教で説かれるような形骸的で理屈っぽいものではなく、もっと感覚的な愛だ。
自分に向き合ってくれる愛すべき夫に際限なく愛を注ぐこと。それは鳴海にとってこのうえない喜びなのだ。相手が宇宙人であったとしても、相手に愛が届かなかったとしても、愛していられれば幸せなのだ。
あぁ、なんて、オンナ脳なんだろう。もうオンナってしょうがない生き物だなぁと思ってしまう。オンナは誰しも鳴海みたいな思考をするとは思わないが、鳴海を全否定できない自分がいるのも確かだ。
オンナのダメな部分を見て同族嫌悪のような切ないような気持ちが湧いて脱力してしまった。
ちなみに、一緒に映画を見に行った筆者の夫は「登場人物の誰にも共感できないし、心情がわからないから行動も理解できなかった。『クリーピー』(『クリーピー 偽りの隣人』)のほうが面白かったな」と一刀両断にした。ここでまた脱力。
宇宙人どころか、同じ人類でも女と男が理解し合うのは難しい。いや、そもそも理解できると思うほうが間違いなのだろう。
子育ては、言わば二人三脚。夫婦で理解し合って連携していくことが理想ではあるが、それは現実的ではないのかもしれない。女と男は完全には理解できないものというスタンスで向き合うほうが、お互いに摩擦なく良い関係を築いていけるように思う。(文:村井香南/映画ライター)
『散歩する侵略者』は公開中。
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