【週末シネマ】『欲望の翼』
スクリーンで見られる機会があれば、可能な限り見に行きたい映画がある。『欲望の翼』はそんな1作だ。東京で、地方で、旅先の外国の映画館でも時間が合えば見に行った。どこの館でも、繰り返し上映されてきたフィルムはボロボロで、ところどころコマが飛んだり、傷んだりしていた。それが今回、デジタルリマスターの美しい映像で蘇り、13年ぶりに劇場公開される。
・ウォン・カーウァイ監督伝説のはじまり『欲望の翼』の13年ぶり上映が決定!
ウォン・カーウァイ監督の1990年の作品は、レスリー・チャン、マギー・チャン、カリーナ・ラウ、アンディ・ラウなど、香港のスターたちが一堂に揃う群像劇。1960年の香港を舞台に、男女4人の恋愛模様を中心に描く。
主な登場人物は、ろくでなしの色男・ヨディ(レスリー・チャン)、地味で一見ガードの固そうなスー・リーチェン(マギー・チャン)、派手で明るく、強気なミミ(カリーナ・ラウ)、真面目一方の誠実な二枚目の警官(アンディ・ラウ)、ヨディの親友で哀しさも笑いで誤魔化す三枚目(ジャッキー・チュン)。その後、国際的にも活躍するようになった彼らの若き姿が、最高の物語と最高の映像に収められている。
60年代を完ぺきに再現する美術と衣裳、サビア・クガートのラテン音楽の名曲に彩られた物語は、ヨディと2人の女性の関係を中心に進む。キャーキャー騒がしく、軽そうに見えて実は一途なミミ、大人しそうに見えて“かまってちゃん”なスー・リーチェン……簡単に捨てられてもヨディを忘れられない女たちと、彼女たちに思いを寄せる男たちの純情。主人公だけが恋をしていない、恋愛映画だ。他の誰もが誰かに片思いをして、気持ちは伝わっても受け入れてはもらえない。傷つくことを恐れて愛されることだけを追求する不幸、報われなくても愛することを選ぶ苦しさ。そのどちらも切ない。
ヨディが信じているのは、脚のない鳥の物語だ。ただ飛び続けて、疲れたから風に乗って眠り、地上に降りるのは死ぬときだけ。そして、自分を産んですぐに養母へ預けたきりの、会ったことのない実母のことが頭を離れない。母に捨てられたという意識がヨディの行動原理だ。そのナルシシスティックな一挙一動が陳腐にならずに決まって見えるのは、ひとえにレスリー・チャンの魅力による。
初めて見た時は、いい大人が何をやっているんだろうと思った。今、主人公たちの年齢よりはるか年老いて感じるのは、これは青春映画なのだということ。原題『阿飛正傳』は、ジェームス・ディーン主演の『理由なき反抗』の中国語タイトルだ。恋愛映画から物語は後半、ヨディが実母の消息を訪ねるフィリピンへと舞台を移し、船員に転身した警官との冒険物語にもなり、最後に再び恋を思い出させる。
全編、緑がかったブルーを強調した画面は常に湿り気を帯び、1人1人の体温が伝わってくるような艶かしい熱がある。終盤、「ジャングル・ドラムス」が流れる中にトニー・レオンが突然登場するが、これは結局作られることがなかった続編のイントロダクションだった。結果的には、未完に終わった世界というのが『欲望の翼』にふさわしい運命のように思える。
エンディングに流れるのは、アニタ・ムイが広東語で歌う「ジャングル・ドラムス」。物憂げな歌声が心地よい余韻になる。レスリー・チャンもアニタ・ムイも、もうこの世にはいない。映画に登場する場所のいくつかも、もう香港の街から消えている。諸行は無常、だが映画は美しく遺された。(文:冨永由紀/映画ライター)
『欲望の翼』デジタルリマスター版は2月3日より全国順次公開。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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