貞淑な女たちが隠し持つ欲望…美しく恐ろしい心理劇『ビガイルド』

#ソフィア・コッポラ#週末シネマ

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』
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【週末シネマ】『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』

ソフィア・コッポラが昨年のカンヌ国際映画祭で、女性として56年ぶりに監督賞を受賞した『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』。19世紀、南北戦争下のアメリカ南部ヴァージニア州を舞台に、女子寄宿学校の教師と生徒たちが敵側・北軍の負傷兵を匿って治療したことから始まる耽美な心理劇だ。

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』ソフィア・コッポラ監督インタビュー

南北戦争末期の1864年、寄宿学校の生徒エイミーはキノコ狩りに出かけた森で負傷した北軍の兵士マクバニーに出くわす。エイミーが歩行もままならない彼をなんとか学園に連れ帰ると、園長のマーサと教師のエドウィナは困惑しながらも、敬けんなキリスト教徒らしく彼を介抱し、回復するまで世話することを決める。学園にはマーサとエドウィナ、家に帰れない事情のある生徒5人だけが残っていた。

手負いのマクバニーは南部の女性たちに対して敵がい心を持つどころか、親しみをもって接する。誰にでもいい顔をする彼に対して、男子禁制の環境で生活していた7人全員が女として反応、彼を意識し始めるのだ。ちょっとしたおしゃれをしたり、早熟な生徒アリシアは積極的モーションをかけたり、浮き足立つ彼女たちをたしなめるマーサ自身も、傷の手当てのためにマクバニーの体に触れることで胸が騒いでいるのが見てとれる。

誰もが「自分こそが彼の一番のお気に入り」と思っている間は、まだ平穏だった。だが、ある夜に事件が起きる。

トーマス・カリナンの原作を最初に映画化したのは、ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演の『白い肌の異常な夜』(71)だが、これは女の園に幽閉されたマクバニー(イーストウッド)の側に立つ徹底的な男目線の映画。それに対してコッポラはニコール・キッドマン(マーサ)を中心に、キルステン・ダンスト(エドウィナ)やエル・ファニング(アリシア)といった過去作で主演を務めたお気に入り女優たち、ウーナ・ローレンス(エイミー)やアンガーリー・ライスといった将来が楽しみな10代の女優たちを揃えて、戦時下で孤立し、宗教的に抑圧された境遇に生きる女性たちの物語として描いた。

7人の心を翻弄するマクバニーを演じるのはコリン・ファレル。外見はひげ面でワイルドだが、女性への接し方は非常にソフト。男性に対して免疫のない少女たちも警戒心を持たずに近づき、気づけば彼のフェロモンにやられている、という展開の説得力は、女性監督ならではの演出ではないだろうか。

イーストウッドに比べて、ファレルのマクバニーは人の悪さはだいぶ薄まり、紳士的。どぎつい描写もほとんどない。『白い肌の〜』は、「そんなことまで言わなくても」と思わせるほど、セリフや描写で登場人物の心理を表現するが、コッポラ版はそうした説明を省いている。それも一因なのか、上映時間は『白い肌の〜』より10分近く短い。ちなみに、原作や『白い肌の〜』に登場しながら、今回は黒人奴隷の女性キャラクターがカットされた。そのことからコッポラの判断に対して、人種差別的だと一部で非難の声が上がった。彼女はその後、1864年当時はすでに多くの奴隷たちが白人の家から離れていた事実があるとしたうえで、自分が描きたかったのは、社会から隔絶されて孤立し、時代の変化を受け入れずにいる女性たちの物語だと語っている。

異分子の登場によって、心をかき乱された女たちがどう反応し、どんな決断を下すのか。厳しく律する姿勢を崩さないからこそ、その下に隠された激情を想像させる。その醜さをはらんだ美しさは何とも恐ろしい。(文:冨永由紀/映画ライター)

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』は2月23日より全国公開中。

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。

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