【週末シネマ】『泣き虫しょったんの奇跡』
自身もプロを目指した監督が描くリアリティ
一度は年齢制限に阻まれながら、35歳で脱サラしてプロの将棋棋士となった瀬川晶司。史上初の快挙で将棋界の歴史を変えた瀬川が自ら綴ったノンフィクションが映画になった。
・松田龍平と野田洋次郎、プライベートでも仲良しの2人が互いの印象語る
“しょったん”とは、将棋の魅力にはまった小学生の瀬川につけられたあだ名。同級生で隣の家に住む鈴木悠野も将棋好きで、地元の将棋道場でともに切磋琢磨しながら、やがて2人揃ってプロ棋士養成機関である「新進棋士奨励会」の試験に合格する。だが、奨励会に入った彼らを待ち受けるのは「26歳の誕生日までに四段になれなければ退会」という条件だ。その時点で中学3年生のしょったんにとっては10年以上の猶予であり、22歳で三段まで昇段を果たした。だが、そこから足踏みが始まり、そのまま彼はタイムリミットの26歳の誕生日を迎えてしまう。プロへの道を断たれ、しょったんは大学進学を経てサラリーマン生活を始める。そんなある日、突然訪れた悲劇で深い悲しみと後悔を味わった彼を救ったのは周囲の人々と、一度は縁を切った将棋だった。
監督の豊田利晃は、自身もかつて関西の新進棋士奨励会に17歳まで在籍していた。映画界へは阪本順治監督の『王手』(91)の脚本でデビューしている。若くして棋士になる夢に挫折した経験を原作者と共有する豊田は、年齢も瀬川と1歳違い。関東と関西で場所は違うが、同じ時代にプロを目指したことは他の監督では成しえないリアリティを作品にもたらしている。
時系列に沿って、将棋と出会った少年時代から、仲間たちとつるみながらプロを目指す奨励会時代、サラリーマンの無謀な挑戦が話題となってアマチュアからプロ編入を果たすまでが丁寧に描かれる。印象深いのは、しょったんの周囲の人々の温かさだ。理解ある両親、親友の悠野、小学校の担任教師、将棋の世界へ導いた大人たちも奨励会時代のライバルたちも、悪い人間は1人もいない。人間関係や環境に恵まれた彼の持つある種の甘さが最初の挫折を招くこと、じわじわと追い詰められていく奨励会時代の描写は淡々としていながら、なんとも言えない不思議な緊張感と苦しさを帯びている。
早々に見切りをつけて奨励会を退会し、アマチュア名人になった悠野を演じるのは松田の友人であるRADWIMPSの野田洋次郎。キャストには永山絢斗や渋川清彦、新井浩文、松たか子、早乙女太一、板尾創路、藤原竜也、しょったんの父親役に國村隼、と過去の豊田作品に出演してきた俳優たちが揃う。少年時代のしょったんを演じるのは窪塚洋介の長男である窪塚愛流。さらに妻夫木聡や染谷将太、上白石萌音、石橋静河、イッセー尾形や小林薫も出演。中には、これだけ? と驚くほどあっけなくも贅沢な登場をする人もいる。
将棋についての知識はほとんどないが、それでも劇中に登場する数々の対局シーンにみなぎる緊迫感に魅せられた。将棋盤に打ちつけられる駒の音すらドラマティック。将棋をよく知る愛好者の目にはどう映るのだろう。将棋というものに対する興味を掻き立てられる。
“将棋が好き”というシンプルなその気持ちを突き詰め、ある意味で狭すぎたプロへの扉を大きく開く使命を背負った瀬川晶司の起こした奇跡は、あらゆる状況で壁に直面している人々にとって大きなインスピレーションになるはずだ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『泣き虫しょったんの奇跡』は9月7日より公開中。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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