テキスタイルデザインの父・粟辻博の企画展が開催中。ポーチやバッグの即売も
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企画展担当はデザイナーの川上元美
インテリアテキスタイルというジャンルを生み出し、日本モダンリビング創世記を担った粟辻博の企画展「粟辻博のテキスタイル」が2月22日まで東京・銀座の松屋7階デザインギャラリー1953で開催中だ。
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床まで埋め尽くす大柄のプリント群は、スペースが足りないと訴えるかのよう。巨大なスクリーンに映し出された映像のようにヴィヴィッドで力強い柄のテキスタイルが所狭しと掲げられ揺らぐさまは、テキスタイルに込められた生命力をも醸し出す。
今回の展示会を担当したデザイナーの川上元美は、「粟辻博は、京都西陣のDNAを根っこに持ちながら、鮮烈な色彩や多様なパターンのテキスタイルを次々と生み出し、デザイン界に刺激と感動を与え続けた。彼は自らのデザインを、表層(サーフェス)のデザインと捉え、日常のテキスタイルにとどまらず、空間との関係性に踏み込んだデザインや現代アートと交差しながら90年代後半を駆け抜け、日本のテキスタイルデザインを革新し発展させた孤高の先駆者である」と評する。
会期中は、DESIGN COLLECTIONにて、粟辻博のオリジナルテキスタイルを使ったポーチやバッグなども販売されている。
京都西陣という自身のルーツと欧米で得た皮膚感覚の融合。日本的なリビングライフスタイルへと昇華
粟辻博は、1929年に京都の西陣で生まれる。京都市立美術専門学校(同期に田中一光、緒方規矩形子)卒業後、カネボウを経て東京へ移住し、60年に前田(粟辻)早重と結婚。58年、粟辻博デザイン室を設立すると、テキスタイルの自主生産を開始する。
64年には、130日を掛けてフィンランド、スウェーデン、フランス、スペイン、イタリア、スイス、アメリカなどを夫婦で歴訪。肌で感じた欧米テイストを咀嚼し、日本ではまだ「モダンインテリア」への関心が薄い時代に、生地のデザインを日本ならではの“インテリア”テキスタイルデザインへと昇華させた。
粟辻の名を不動のものにしたのは、63年から手がけたフジエテキスタイルでの作品群だ。74年に表参道にオープンしたショップで販売された「ハートアート」は、“心にアートを”とのコンセプトで、アートを飾るようにテキスタイルを楽しむブランドとして一世を風靡した。このシリーズは、フィラデルフィア美術館のパーマネントコレクションとして現在も収録されており、「オーガスト」「コロナ」「ヤサイタチ」など今回の展示でも中心を担っている。
70年には、第3回テキスタイルトリエンナーレ展銀賞を受賞。ロールブラインドの普及や、同じテキスタイルでカーテンから椅子の張り地、クッションまでコーディネートする発想によって、テキスタイルを空間デザインの要素として位置づけた。
公共施設へ採用された例も多く、70年に行われた日本万国博覧会の政府館カーペットデザインや、71年の新宿京王プラザホテルや銀座東急ホテルのタピストリー、87年にはヒロシマターミナルのホテルのタピストリーなど多数を手がけた。
さらに88年には、東京・原宿にデザインハウス・アワ(現・粟辻デザイン)をオープンし、テキスタイルのほか、皿などを発表した。同年には、多摩美術大学教授に就任している。
その後も粟辻の作品は、ミュンヘンの国立装飾美術館やアメリカのクーパー・ヒューイット美術館、カナダのモントリオール美術館などのコレクションに加えられ、世界的な評価が確立。第22回国井喜太郎産業工芸賞を受賞した95年に逝去した。
著書に「粟辻博のテキスタイルデザイン」がある。亀倉雄策、田中一光といったグラフィックデザイナーや、内田繁らインテリアデザイナーとも親交が厚い。妻は人形作家の粟辻早重、娘はグラフィックから立体、ブランディングまで手がける粟辻デザインの粟辻美早、麻喜姉妹。
「粟辻博のテキスタイル」は2月22日まで。(文:fy7d)
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