西川美和監督×役所広司が初タッグを組んだ『すばらしき世界』
【週末シネマ】良い脚本と良い俳優、良いスタッフが揃って、完成したすばらしき映画。西川美和監督が脚本も手がけ、役所広司が主演する『すばらしき世界』は、人生の大半を刑務所で過ごしてきた男が一般社会で再スタートを切ろうとする姿を追う物語だ。
主人公の三上正夫は幼い頃に母親と離別し、10代から悪の道に入って前科十犯を重ねた男。殺人で13年の刑期を終えて刑務所を出所した彼は50代になっていた。身元引受人の弁護士に見守られて東京の下町でアパート暮らしを始め、就職活動に励むが、老年に差しかかろうという前科者に対する壁は厚く、思うように物事は進まない。その頃、三上の存在を知ったTVプロデューサーが、元犯罪者の社会復帰に生き別れの母との再会も加えた“感動ドキュメンタリー”を企画し、彼の元に若手テレビマン・津乃田を送り込む。
元服役者をモデルにした小説『身分帳』を現代に置き換えたリアルな世界観
『ゆれる』や『永い言い訳』など、これまでオリジナル作を作り続けた西川監督にとって、初めて他者による原作のある企画だ。原作である佐木隆三の『身分帳』は、実在の元服役者をモデルに執筆され、1990年に出版された小説。身分帳とは、受刑者の経歴を仔細に記すもので、津乃田は参考資料として、三上自身が綴った大量の身分帳に目を通していく。太平洋戦争の戦中戦後に幼少期を過ごした主人公の生い立ちも含め、映画では現代の物語として設定を変えた部分もあるが、原作を尊重しながら、今を生きる人々に響く世界が構築されている。
原作に記された克明な内容は、映画で描写されない部分も含めて人物にも物語にもリアリティを与えているのだろう。現代に置き換えて、よりフィクション濃度が高くなっても、三上と彼を取り巻く世界は非常にリアルで、西川監督作としても、これまで以上の説得力を感じる。
主人公にほだされる人々を演じた仲野太賀らの演技にも心打たれる
三上は「根はいい人」という表現そのものの人間だ。生真面目で曲がったことが大嫌いだが、感情をコントロールできず、自分の正義にこだわり過ぎて暴走する。その結果、殺人まで行きついてしまうのだ。普通の感覚では、関わりを持ちたくないと思われて当然。だが、役所は融通の聞かない荒くれ男の中にある、周囲が構ってあげたくなる可愛げを絶妙に見せる。弁護士も、近所のスーパーの店長も、思惑を持って近づいた TV関係者も、ケースワーカーも、いつしか立場を超えて三上の人生に関わり、支えようとする。
些細な気遣いに泣くほど感激し、弱い者を助けるためには見境いなく戦う。子どものような無邪気さと、スイッチが入って荒ぶる時に見せる凶暴さは、人間なら誰もが内に持つ感情をむき出しにしているだけなのかもしれない。無難に毎日をやり過ごしている大人たちが心の中に溜め込むモヤモヤを全て表に出す。それが三上という人間だ。その様子にほだされる周囲の人々を演じる俳優たちのアンサンブルにも胸を打たれる。
原作者と主人公のような関係を、三上と築く津乃田。その津乃田を演じる仲野太賀をはじめ、俳優1人1人が役所と織りなしていく物語に引き込まれる。心から応援しているのに、それを壊してしまう。そんな三上を見放さない温かさは、厳しさが増す一方の現実社会において今、最も必要とされるものではないか。
大切なのは人を信じることや誰かを気にかける寛容さ
三上の彷徨を見ながら、是枝裕和監督の『万引き家族』をふと思い出した。赤の他人の家族に迎え入れられ、やがて引き離されたあの幼女と三上の共通点は、実の親の愛情に恵まれなかったことくらいに過ぎないのに。誰かとのつながり、ほんのささやかな幸福の記憶の共有で、人の心は救われる。
母親がいなければ誰もこの世に生まれて来ない。だが極論すれば、親はなくても子は育つし、人は生きながらずっと学んでいく。三上も周囲の助言で処世術を学び、必死で社会に馴染んでいこうとする。ちょっと寂しくも思えるが、それが現実。この世は冷たくて厳しく、温かく優しい。矛盾だらけでもある。ただ、そんな混沌の中でも、人を信じ、誰かのことを気にかける寛容さがあれば、世界は素晴らしい。(文:冨永由紀/映画ライター)
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『すばらしき世界』は2021年2月11日より公開
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