無頓着から“お洒落な教授”へ、坂本龍一のファッションの変化を辿る

#ファッション#千のナイフ#坂本龍一#戦場のメリークリスマス#映画音楽家

千のナイフ
『千のナイフ』(ハイブリッドSACD) 坂本龍一
(2016年発売/日本コロムビア)※1978年発表作品

アルマーニにリーバイス、ソロデビューアルバムでポップアイコンに

【日本の映画音楽家・番外編】坂本龍一のファッション

1978年10月25日、坂本龍一はアルバム『千のナイフ』でソロアーティストとしてデビューした。その1ヵ月後に出たYMOの1stアルバム『Yellow Magic Orchestra』が翌1979年5月にアメリカでもリリースされ、逆輸入の形で日本にもYMO旋風が巻き起こることになるのだが、『千のナイフ』がリリースされた1978年10月時点の坂本龍一は世間的にはほとんど無名の存在。このアルバムも当初はまったく話題にならず、数百枚しか売れなかったと言われている。

ジョルジオ アルマーニのツイードのジャケットにリーバイス501、足元はマノロ・ブラニクがデザインしたザパタの靴という出立ちで、小さなバスタブにためられた泡の中に片足を突っ込みながら、鋭い眼差しをカメラに向ける26歳の坂本龍一。その後YMOのブレイクでポップアイコン的な存在になる「教授」のイメージは、ここですでに完成されているように思える。

・映画音楽家・坂本龍一のキャリアは『戦場のメリークリスマス』から始まった

しかし『千のナイフ』以前の坂本は、ファッションにはまったく無頓着。髪は肩の下まで伸び放題、毎日ヨレヨレのTシャツと裾を切りっぱなしにしたジーンズにゴム草履を引っかけた姿でスタジオを出入りしていたという。そのバンカラ風の身なりが水島新司の漫画の主人公を思わせることから、ミュージシャン仲間から「アブ」と呼ばれていたという話もある。

YMOのメンバー高橋幸宏がスタイリスト!?

そんな坂本龍一を「アブ」から「教授」に“変身”させたのは、この直後に同じYMOの一員として行動を共にすることになる高橋幸宏。サディスティック・ミカ・バンドのドラマーとして若くしてデビューし、KENZOのスーツを着て涼やかな顔でドラムを叩く高橋を見て坂本は「こんな野郎がロックなんかやってんのかよ!」と呆然としたそうだが(新潮社刊の自伝『音楽は自由にする』より)、自身のデビューにあたってはスタイリングを高橋に全面的に委ねることに。バスタブに浸かって泡まみれとなったザパタの靴は、高橋の私物を借りたものだという。ちなみに高橋はYMOでもそのファッションセンスを活かし、ロンドンやパリ、アメリカを回ったワールドツアーでは「真っ赤な人民服」を考案。当時の欧米人の考えるステレオタイプなイメージを逆手に取り、海外の音楽ファンたちに強烈なインパクトを与えた。

沢田研二の代役で『戦場のメリークリスマス』に出演、音楽も担当

YMOのメンバーの中でも特にアイドル的な人気を集めた当時の坂本龍一は、YMOの最後期の1983年に大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』で俳優としての出演依頼を受ける。スケジュールの都合で出演できなくなった沢田研二の代役としてのオファーで、坂本は「音楽もやれるなら出演する」と監督に逆オファー。劇中では坂本演じるヨノイ大尉がデヴィッド・ボウイ演じるセリアズ陸軍少佐にキスをされるシーンが大きな話題となった。

日本人として初めてアカデミー賞作曲賞を受賞したベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』にも俳優として出演。元陸軍憲兵大尉の甘粕正彦を演じている。その後、大島渚監督の新作で日本人ハリウッド俳優の早川雪洲を演じる企画が持ち上がり、坂本はワールドツアーを延期して役づくりに取り組むほど力を入れていたが、予算面の都合から撮影中止に。1998年のアベル・フェラーラ監督『ニューローズホテル』でカメオ出演程度に顔を見せたのを最後に、俳優としての出演はない。

ニューバランスのスニーカーやジャックデュランの眼鏡がお気に入り

先述のように、ソロデビュー以前はファッションにまるで無頓着だった坂本だが、その知名度が上がるにつれて身につけるファッションアイテムには都度注目が集まるようになった。たとえば90年代から使用するようになったNew Balance(ニューバランス)のスニーカー。のちに広告塔を務めたほか、2016年にはカスタムメイドのM990V3というモデルも限定販売している。また、2008年に設立されたアイウェアブランド、Jacques Durand(ジャックデュラン)も近年のお気に入りで、ブリッジ部分がユニークなボストンスタイルのPACUES 506という眼鏡は、数種類のカラーバリエーションを使い分けているようだ。

来年の1月17日には古希を迎える坂本龍一。顔には年齢相応に皺が刻まれて、トレードマークだったグレーヘアはいつの間にか真っ白に。現在は、昨年見つかった直腸がんの治療のため音楽活動を休止しているが、音楽はもちろん、70歳ならではのファッションでも再びファンを再び楽しませてほしい。(文:伊藤隆剛/音楽&映画ライター)