クールで賢く、情熱的だった15歳の少年
35年前に公開されて以来、幅広い世代に愛され続けているタイムレスな名作『スタンド・バイ・ミー』。ロブ・ライナー監督がスティーヴン・キングの原作を映画化した同作は、リヴァー・フェニックスという才能を広く世界に知らしめた1作でもある。
・“リヴァーの弟”と呼ばれ続け…。両親はヒッピー、カルト集団の中で育ったホアキン・フェニックス
主人公で作家のゴードンが、1950年代末のオレゴン州の故郷で仲間と過ごした12歳の夏を回想する物語で、リヴァーはゴードンの親友だったクリス・チェンバーズを演じている。アルコール依存症の父親と不良の兄と暮らし、周囲からはクリス本人も問題児と思われている。
そんな彼にも仲間がいる。内気で物語作りの才能があるゴーディ(ゴードン)、軍人に憧れるテディ、天真爛漫でちょっと臆病なヴァーンは、木の上の秘密基地でいつも一緒に遊んでいた。ある日、4人は数日前から行方不明になっている少年が事故死し、その遺体が30キロ先の森の奥にあると知り、遺体を探す旅に出る。
原作のオリジナルタイトルでもある「遺体(The Body)」を見つければ、有名になれる。そんな思いつきから始まった冒険に心を弾ませ、ふざけ合って大はしゃぎするかと思えば、些細なことで喧嘩する4人。ごく普通の少年たちに見えるが、それぞれ家庭環境は複雑だ。ユーモラスなエピソードが重ねられていく隙間に、4人の事情がさりげなく差し込まれ、そこからわかるのは、リヴァーが演じるクリスは頭脳明晰だが、父と兄の存在ゆえに周囲から期待されていないこと。何より本人が自分の将来に何の希望も持っていない。だが、友だちがいじめられていれば助けようとし、悩んでいれば親身になって話を聞く。
ライナー監督は映画の公開当時、「リヴァーはこのキャラクターの持つすべての強さを持っている」と語った。12歳のクリスを演じた当時、リヴァーは15歳。思春期に差しかかる少年の複雑な心情を主観で捉えて客観的に表現してみせた。
ゴーディを演じたウィル・ウィートンはニューヨーク・タイムズ紙に「リヴァーはクールで本当に賢く、情熱的で、あの年齢で僕らにとって父親みたいな雰囲気もあった」と語っている。
森で一夜を過ごしながら、クリスがゴーディと語り合うシーンは胸が引き裂かれそうに切ない。誰にも言えずにいた出来事をゴーディに打ち明けてむせび泣くシーンを撮る前に、監督は「君にとって大切な存在である大人の誰かが、君を失望させた時のことを考えてみて」と指示したという。リヴァーは数分間考え込んでから撮影に臨み、そのテイクが映画に使用されている。リヴァーは誰を思い浮かべたかは決して明かさなかった。
『タイタニック』はリヴァーを念頭に構想された
『スタンド・バイ・ミー』で一躍脚光を浴びたリヴァーは、すぐに引く手あまたの人気若手俳優になった。文明社会を捨てて未開の密林に新天地を求める父親(ハリソン・フォード)に振り回される息子を演じた『モスキート・コースト』(86)、指名手配中の反戦活動家の両親と共に逃亡生活を送る少年を演じてアカデミー助演男優賞候補になった『旅立ちの時』(88)、キアヌ・リーヴスと共演した『マイ・プライベート・アイダホ』(91)では幼くして母に捨てられた青年役、というように、代表作は親との関係に恵まれない設定が多い。無責任な大人への愛憎を切実に演じている。
かといってシリアス一辺倒ではなく、『スタンド・バイ・ミー』でも微笑ましいコミカルな演技を見せ、キアヌと共演した『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(90)ではオフビートなコメディ・センスを発揮、大作『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)ではハリソン・フォードの青年時代を演じるなど、幅広い演技力をみせた。
ジェームズ・キャメロン監督が『タイタニック』を構想中、主演俳優として念頭に置いていたのはリヴァーだったという。
23歳の死で明かされた虚像と実像との落差
20代を迎えて、さらに役の幅も広がっていくだろうという期待がかかる中、リヴァーは1993年10月31日、ロサンゼルスのクラブ前の路上で倒れ、搬送先の病院で23歳の若さで亡くなった。
死因はヘロインとコカインの過剰摂取だった。子どもの頃から厳格なヴィーガンで、革製品も身につけず、ドラッグと無縁な生活を送っているとされてきたこともあり、世間が勝手にふくらませた虚像との落差がセンセーショナルに報じられた。
リヴァーが以前から、ドラッグよりもアルコール依存の問題を抱えていたこと、それを隠そうとしていたことを、『マイ・プライベート・アイダホ』のガス・ヴァン・サント監督は著書「ピンク」(河出書房新社)の中で綴っている。
クリーンな生活を送り、動物愛護の活動にも熱心でストイック。それはもちろん、リヴァー・フェニックスの一面だ。歳を重ねるにつれて、それだけではない部分が現れて矛盾を抱えるのが、生きていくということだろう。「なりたい自分」と「こうあってほしいと他者が望む虚像」が混同してしまうのは悲劇だ。
「最も輝いていた彼を、この業界がめちゃくちゃにした」
イーサン・ホークは「僕の最初の共演者はサンセット大通りでオーバードーズした。最も輝いていた光だった彼を、この業界がめちゃくちゃにした。これは僕にとって大きな教訓になった。僕がロサンゼルスに移住しなかった理由をたった1つ挙げるとしたら、僕のような俳優があんな環境に身を置くことは危険すぎると考えたから、ということになるだろう」と語っている。
ウィル・ウィートンは2011年、『スタンド・バイ・ミー』のBlu-ray発売記念イベントで監督やキャストと再会した際、その場にリヴァーだけがいないことで初めてこみ上げてきた喪失感をブログに綴った。
リヴァーがクラブの外で倒れた時に救急車を呼んだ弟のホアキン・フェニックスは長年、兄について語るのを避けてきたが、主演作『ジョーカー』で多くの賞に輝いた一昨年から昨年にかけて、俳優の道へと導いてくれた兄を慕う気持ちを語り始めた。ホアキンは昨年、ルーニー・マーラとの間に第1子の息子が誕生した。ホアキンが製作総指揮のドキュメンタリー映画のヴィクトル・カサコヴスキー監督によれば、ホアキンは息子に亡き兄の名前をつけたという。
リアルタイムでその活躍を見ていた同世代のスターの突然の死は衝撃だった。30年近く時が経ち、彼のキャリアを振り返ってみると、別の衝撃を覚える。
たった7年なのだ。『スタンド・バイ・ミー』で脚光を浴び、数々の名作に出演してきた彼が突然この世を去るまでが、そんなわずかな期間だったことに胸を衝かれる。その4倍近い時間が流れても、彼の遺した作品は色褪せていない。
それでも「もしも」を考えてしまうことはある。『タイタニック』に主演して、ハリウッドの王道を歩くスターになり、影響力を活かして自然保護活動に勤しんでいたかもしれない。イーサン・ホークのように執筆など他の活動もしながら、リチャード・リンクレイター監督のような盟友も見つけて、メジャーとインディーズ双方でバランス良く活躍したかもしれない。あるいは、クリスのように「誰も僕を知らない場所」を求めて映画界を去ったかもしれない。
リヴァーもクリスも、なりたい自分になって、生きて、生涯を終えた。そして遺された者には、かけがえのない思い出がある。他者である我々が語るのは、これで十分だろう。
[訂正のお知らせ]
本文中で以下の通り訂正しました。
訂正前:「Pink」
訂正後:「ピンク」(河出書房新社)
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