喪失と疑念の呪縛から新たな境地へ、西島秀俊の名演が光る『ドライブ・マイ・カー』

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ドライブ・マイ・カー
『ドライブ・マイ・カー』
(C)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
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カンヌ4冠!村上春樹の小説を濱口竜介監督が映画化

【週末シネマ】7月に開催されたカンヌ国際映画祭で脚本賞など4冠を獲得した『ドライブ・マイ・カー』。先に開催のベルリン国際映画祭でも銀熊賞(『偶然と想像』)を受賞したばかりの濱口竜介監督が、村上春樹の同名小説を原作に映画化した179分の長編映画だ。長尺だが、一度その世界に引き込まれれば、その時間はあっという間に過ぎる。

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主人公の家福悠介(西島秀俊)は舞台俳優兼演出家で、脚本家の妻・音(霧島れいか)と暮らしていた。だが、音はある日突然、亡くなってしまう。

職業人としてもカップルとして互いを尊重し、だが秘密もあった家福と音が生きた東京の時間を丁寧に描いた後、物語は、家福が演劇祭に招かれて愛車で向かった広島へと舞台を移す。

主催者は家福に専属ドライバーを用意していた。口数の少ない若い女性のみさき(三浦透子)は確かな運転の腕と、心地よい距離感を保ち、徐々に家福との関係を築いていく。

演劇祭で家福が演出と主演を務めるチェーホフの名作「ワーニャ伯父さん」の稽古の日々が始まる。さまざまな国からやってきた俳優をオーディションで採用し、その中にはかつて音から紹介された若手俳優・高槻耕史(岡田将生)もいた。

短編をベースに自由な広がりを見せるオリジナルな作品

小説を映画化するなら、長編よりも短編の方が豊かな作品が生まれるのではないだろうか。原作の要素をしっかり取り入れたうえで、オリジナルな世界をさらに作り出す。アン・リー監督がアカデミー賞を受賞した『ブロークバック・マウンテン』も原作は数十ページの短編だった。今回、濱口は大江祟允との共同脚本で、タイトル作を収録した村上の短編集「女のいない男たち」から「シェエラザード」「木野」の要素も加えている。

原作のある作品の脚本執筆について濱口は、原作を「何度も読んでインプット」しているという。あらすじに沿いながらも自由な広がりを見せる展開に違和感がない。

小説では黄色のカブリオレだったSAABは、赤のサンルーフ付きに変わっている。東京でも、瀬戸内海が広がる広島でも、明るくて色の薄い風景の中を走り抜ける赤が鮮烈だ。大事に乗り続けてきた車は家福の分身ようでもあり、閉ざされた車内での対人関係や運転席を任せることなど、彼の内面の変化を見ているようだ。

車と並んで重要な場は、「ワーニャ伯父さん」の稽古場だ。配役された俳優たちが、それぞれの母国語や手話で読み合わせをする。マノエル・ド・オリヴェイラ監督の『永遠の語らい』でジョン・マルコヴィッチの台詞にあった「より調和のとれたバベルの塔(a more harmonious Tower of Babel)」を思い出した。感情を込めない台詞の棒読みからスタートする「ワーニャ伯父さん」が家福たちと重なってくる展開はスリリングだ。どこを切っても、フィクションでもありドキュメンタリーでもあり、演じるという作業の複雑さについて、ほんの少し理解できた気がする。

三浦透子の佇まい、岡田将生が醸し出す芸術家の性も見事

喪失と疑念の呪縛から次の境地へと向かう家福を、静かに激しく演じる西島秀俊が素晴らしい。音という謎を体現する霧島れいかの存在感も響く。

そして若い俳優2人が見事だ。みさきを演じる三浦透子は佇まいで魅了する。たとえば、投げられたライターをキャッチする、その動作。言葉を尽くすよりも雄弁に、一瞬でみさきという人物の本質が伝わってくる。

長く不可思議な決闘状態を家福と続ける高槻を演じた岡田将生には、失うものがあるのに、無いかのごとく生きてしまう芸術家の性を感じた。車中のモノローグ、というか寡黙な相手のいるダイアローグを長回しでとらえたシーンは強烈だ。

家福、音、みさき、そして高槻も、さらに脇を固める人物たちもそれぞれの物語を生きている。その1つ1つが淡く、濃く、重なり合う瞬間を見続けながら、喪失とは埋めようのないものなのだと得心した。人という生き物が芸術という活動を見いだした必然についても、深く納得させる。思いも寄らない感慨に浸れる3時間弱だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

『ドライブ・マイ・カー』は8月20日より全国公開

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